【読書ノート】Jacques Godbout(1998)The World of the Gift 第6章

抜き書きとコメント

Chapter 6 The Gift in Liberal Society

p93 贈与のお返しは、感謝とかつながりとか。そういうお返しがないのは失敗した贈与だ。

If we extend the definition of return beyond the material circulation of goods and services, then there is always a return, and this return is considered important by most donors. There are a variety of non- material returns from a gift: the gratitude it inspires, the appreciation, the links it creates, that supplement any circulation of material goods and do not enter into the accounting. These represent important returns for the donors. In fact, if this return is not there, we are left with a "failed" gift and the donor feels he has been taken advantage of.

  • お返しを求めて贈与をするのは贈与でないけれど、贈与には全くお返しがないというわけではない。「ありがとう」とは言われるし、相手と仲良くなったりもする。逆に、そういうお返しの無い贈与は「失敗した贈与( "failed" gift)」ということになる。
  • で、ここらへんが難しいところだよね。やっぱり贈与する人は、どこかで返礼を求めているものだと思う。だって、何かをあげたのに全くお返しが無かったら、なんか嫌な気持ちになるでしょう。別に金をくれとか、褒めちぎってとか、そういうのではないけれど、ちょっと笑いかけてくれるとか、無言でぺこりと頭を下げてくれるとか、それくらいは無いと寂しい。ましてや、後で「あいつになんかもらったけどマジゴミ」みたいのを言ってるのを聞いてしまったりしたら、数日は枕を涙で濡らすことになるだろう。
  • 正確に言うと、お返し目当てに贈与するわけではないけれど、贈与したのにお返しがないと何か悲しい。それは、せっかく声をかけたのに無視されるのに似た悲しさだ。悲しいのは、贈与というのが相手と関係性をつくるために行われる行為だからではないだろうか。

p94 贈与は功利主義者が言うような損得勘定という考えに疑問符をつけるものだ

The gift calls into question the utilitarian practice of calculating "pluses” and “minuses Doing so assumes that for a decision to be truly "human" or "civilized," it must be rational. It turns out, however, that donors making the most important decision of their lives, that of donating a kidney, do not "weigh the pros and the cons” - there is no calculation.

  • 筆者のいう功利主義者(utilitarian)という用語は、普通とはちょっと違う意味合いで用いられているので注意。むしろ、経済合理性だけで動く「ホモ・エコノミクス」に近いイメージで使っていると思う。
  • 功利主義者は損得だけで動くけれど、贈与するひとはそんな損得勘定はしない。臓器提供をする人は、損得勘定抜きで臓器提供するのだ、というようなことが述べられている。

p96-97 現代社会における贈与の特徴は?

What are the common features of the gift that emerge from these forrays in different aspects of today's society?
- The stranger: Who turns out to be everywhere, even though the gift is supposed to be mediated by community ties. We have found that tine stranger plays an important role in modern society, where gifts to strangers and to the unknown occupy a special place....
- Freedom. The important element of constraint emphasized by Mauss the gift reciprocated obligatorily”) seems to be missing, in part, from the modern gift. ...
- Disinterestedness. If there is no disinterested gift, there is still disinterestedness within the gift, in the sense that the gift is often given with our thought of return. ...
- Spontaneity, which is found everywhere that the gift is. The gift knows no constraints, whether authoritarian, legal, or rational (as a product of calculation). ...
- Debt is omnipresent, but not mercantile debt. ...
- Return, something that cannot be accounted for if we try to apply the standard idea of reciprocity to the gift.

  • 献血みたいに見知らぬ人同士の間で贈与するとか、贈与は義務ではなく自由で自発的なものだとか。そこらへんは現代における贈与の特徴かもしれないけれど、無私(disinterestedness)とか借り(debt)が偏在しているとかお返し(return)が計算に入っていないとかは古代でも同じなんじゃないかな?

今回はここまで

  • 今回は現代における贈与の諸相を見てやろう、という第1部の最後の章なので、これまでのまとめのような内容になっている。だから特に目新しい話題は無い。
  • 最後に、現代社会における贈与の特徴を整理してるけど、列挙してるだけ、という感じもしてちょっと物足りない。なぜ現代だと見知らぬ人どうしで贈与が行われるのかとか、贈与は義務という感覚はなぜ今は見られないのかとか、もっと理屈的なところも突っ込んでほしかったと思う。それとも、この本の後半で考えていくのだろうか。
  • いちおう本の半分近くまで読み終わったんだなあ。今のところの感想だけど、イマイチ贈与という考え方の独自性が見えてこないなあ、というのが正直なところ。ケアとかソーシャルキャピタルとかの概念でも同じようなことは言えそうだし。前回も書いたけど、アートと市場の関係に関する議論は『報酬主義を超えて』みたいな心理学系の議論(内発的動機づけとか言う奴)でも説明できそうな気がする。贈与論特有の議論ってのは今のところはっきり示されていないと思う。
  • ただ、はっきりとは示されていないけれど、薄ぼんやりとは示されている気もする。ちょっと面倒で端折っちゃったけど、前章に出てくる臓器提供の話なんか、ケアとはちょっと話が違う気がする。ケアは相手のニーズに応えることだけど、自分にとってかけがえのない何かを他人にあげる、ということまでは想定されていないんじゃないかな。
  • レヴィナスの本で、飢えた子どもが目の前にいるときに、パンを手に取って食べようする自分の右手を左手で押さえつけてその子にあげる、みたいなたとえ話が書いてあった記憶がある。「顔」というのはそういう風に自己犠牲をするよう迫ってくるものなのだとかいう話。贈与って、ケアだけでなくて、レヴィナスのいうような倫理のあり方も含んでいる気がする。単に相手のニーズに応えるという意味での贈与もあるけれど、他者の「顔」に迫られてやむにやまれず自己犠牲的に何かを差し出すような意味での贈与もある。そういう、レヴィナス的な贈与というのをもうちょっときちんと論じていかないと、贈与という現象の特異性はなかなか見えてこないんじゃないだろうか。

言及した本など

レヴィナス。飢えた子どものエピソードは確かこの本に出てきた。これもロールズ正義論と同じくらいの時期に読んだなあ。あのころは超絶難解本を読むブームが自分の中に来ていたのだ。内容を説明しろって言われても無理だけど、読みながらやたらと感動してた記憶がある。藤井貞和の「雪、nobody」って詩を読んだときも同じような感動があった。この世界の暗いところに存在しない誰かがいる、みたいな世界観になぜか惹かれてしまう。