【小説の書き方考】「彼は言った」はなぜ必要か

はじめに

  • 6年半前くらいから毎日コツコツ小説を書いている。これまでの成果は、原稿用紙100枚前後の中編が2本。書きかけも含めると、原稿用紙300枚くらいまで行って中断している長編が1本、そして、今書いている原稿用紙200枚くらいの長編(?)が1本となっている。
  • 最初は登場人物が1人しかいなくて、延々とシュールな風景描写がつづくようなのしか書けなかったけど、だんだん人が増えてきて、会話が生まれ、ストーリーが動き出すようになってきた。そろそろ人に見せられるものになってきた気がするので、今書いているのが完成したらどこかの新人賞に出そうと思う(たぶん文藝賞。他の賞だと審査員が知らない作家ばかりなので、どんな評価を受けても納得いかないと思うから)。 → (2022/09/23追記)やっぱりやめる。なんか、差別問題がらみである作家の作品を掲載拒否したとか、いやーな感じの記事を見つけてしまった(「三冠小説家」が「文壇」からパージされつつある(レビュー))。純文学系の文芸誌より、なろう系投稿サイトの方がずっとまともなのかもしれないと最近思いつつある。
  • で、会話を多用するようになると、「彼は言った」というたぐいの表現の扱いに困るようになった。今回はこの問題について考えてみたい。もしかしたら専門家はこんなこととっくの昔に解明してるのかもしれないけれど、自分に納得のいく理屈が知りたいので、自力で考えてみる。

「彼は言った」問題

  • 村上春樹の小説が例としてわかりやすいので引用してみる。

「しばらくこのまま、お宅にいさせていただいてかまいませんか?」と免色は少し後で私に尋ねた。「何か秋川さんから連絡が入るかもしれませんし」
「もちろんそうしてください」と私は言った。「ぼくもすぐには眠れそうにありません。好きなだけここにいらしてください。泊まっていかれてもちっともかまいません。寝支度は調えますから」
そうさせてもらうかもしれない、と免色は言った。
「コーヒーはいかがですか?」と私は尋ねた。
「ありがたくいただきます」と免色は言った。
村上春樹騎士団長殺し

  • ここで、「私は言った」とか「免色は言った」とか「私は尋ねた」といった記述は、無くても普通に意味が通じると思う。また、「そうさせてもらうかもしれない」がなぜか地の文になっているけど、カギ括弧の中にいれてはなぜダメなのか? ためしにやってみよう。

「しばらくこのまま、お宅にいさせていただいてかまいませんか?」と免色は少し後で私に尋ねた。「何か秋川さんから連絡が入るかもしれませんし」
「もちろんそうしてください。ぼくもすぐには眠れそうにありません。好きなだけここにいらしてください。泊まっていかれてもちっともかまいません。寝支度は調えますから」
「そうさせてもらうかもしれない」
「コーヒーはいかがですか?」
「ありがたくいただきます」

  • 意味は通じる。登場人物は明らかに二人しかいないのだから、これで読者が「私」と「免色」を取り違えるということは考えられない。なんだったら、カギ括弧の前に話者を入れたって構わないはずだ。

免色「しばらくこのまま、お宅にいさせていただいてかまいませんか?」と免色は少し後で私に尋ねた。「何か秋川さんから連絡が入るかもしれませんし」
私「もちろんそうしてください。ぼくもすぐには眠れそうにありません。好きなだけここにいらしてください。泊まっていかれてもちっともかまいません。寝支度は調えますから」
免色「そうさせてもらうかもしれない」
私「コーヒーはいかがですか?」
免色「ありがたくいただきます」

  • 完璧に意味が通じる。ただ、何となく、流れが単調になってしまっている気がする。とくに、「もちろんそうしてください。……」という「私」の台詞は、かなり説明くさくなっていて非常にかったるい。
  • また、免色の「そうさせてもらうかもしれない」も、カギ括弧の中に入れてしまうとやや不自然だ。ただ、ここを考えるとちょっと話がずれるので(本当はずれてないんだけど)、今回は保留にしておく。
  • という風に、意味の伝達という点ではカギ括弧のアタマに話者の名前をくっつけとけば済むはずなんだけど、どうもそれで済むものではなさそうだ。意味とは別の次元で、「彼は言った」のような表現が必要とされているように思われる。なぜなのか? これをとりあえず、「彼は言った」問題と呼ぶことにする。

「……」や「!?」に置き換えたら?

  • 他の小説の会話描写とも比較してみよう。

だがその翌日、マチーヌは壜を満載した手押し車が台所に運び込まれるのを見て、茫然として立っていた。マチーヌは二本の指で壜に触れてみてから、その一本を取り上げた。
「この壜、中身はなにかしら、バベット」とマチーヌは不安そうな声で聞いた。「ワインではないかしら」
「ワインですって」バベットは驚いたようにいった。「とんでもない、お嬢さま、クロ・ヴージョの一八四六年ものですよ」ひと息ついて、バベットはさらにこういった。「モン・オルジェイ街の店フィリップの品なのです」
ワインに名がつけられているなど、マチーヌは聞いたこともなかったので、黙ってしまった。
イサク・ディーネセン『バベットの晩餐会

  • この例では、たとえば「マチーヌは不安そうな声で聞いた」を取り除いてしまうと、「不安そうな」という情報が消えてしまう。だから、さっきの例とちがい、削除すると文意自体が変わってしまう。
  • ただ、会話文の中身を見ても、「不安そうな」というニュアンスはそれなりに出てると思う。なんだったら、「この壜、中身はなにかしら、バベット……?」のように「……?」を入れてしまえば不安さが明確に伝わってくる。なるべく地の文を削り、会話文だけで表現してみよう。

だがその翌日、マチーヌは壜を満載した手押し車が台所に運び込まれるのを見て、茫然として立っていた。マチーヌは二本の指で壜に触れてみてから、その一本を取り上げた。
マチーヌ「この壜、中身はなにかしら、バベット……? ワインではないかしら」
バベット「ワインですって!? とんでもない、お嬢さま、クロ・ヴージョの一八四六年ものですよ…………。モン・オルジェイ街の店フィリップの品なのです」
ワインに名がつけられているなど、マチーヌは聞いたこともなかったので、黙ってしまった。

  • 「……」や「?」や「!?」といった記号を多用することで、地の文を省略しても意味は通じるようになる。
  • だけど、やっぱりリズムが単調になってしまったように感じる。
  • ここでリズムといっているのは、「音のリズム」ということではない。音が問題なのなら、漫画みたいに効果音を入れれば良いだけの話だ。

だがその翌日、マチーヌは壜を満載した手押し車が台所に運び込まれるのを見て、茫然として立っていた。マチーヌは二本の指で壜に触れてみてから、その一本を取り上げた。
マチーヌ「この壜、中身はなにかしら、バベット」ドキドキドキドキ……。「ワインではないかしら」
バベット「ワインですって」ガガーン!! 「とんでもない、お嬢さま、クロ・ヴージョの一八四六年ものですよ」ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。「モン・オルジェイ街の店フィリップの品なのです」
ワインに名がつけられているなど、マチーヌは聞いたこともなかったので、黙ってしまった。

  • こりゃダメだ。効果音の付け方が悪いという考え方もあるけれど、たぶんそういう問題じゃないと思う。
  • こう考えると、やはり地の文でナレーション的に「彼は言った」のような表現が入ることでリズムが生まれているのだと思う。で、それは「音のリズム」ということではなく、「視点の切り替え」によるリズムではないだろうか。つまり、台詞の話者の視点と、「彼は言った」という語り手の視点がくるくる切り替わることで、こういうリズムが生まれているのではないかと思う。

視点の切り替えがリズムを生む

  • 次に、「と言った」を使わないのにリズムのある会話文を検討してみる。

問題は、いま見たことをローザと話し合おうとしたときのことです。ローザが怪訝な顔で、「ケンカ? 見なかったわよ、クララ」と言ったのです。
「そんなはずないでしょ、ローザ。いま、目の前で起こったことよ。ドライバーが二人……」
「ああ、タクシーの人のこと? あの人たちのことだと思わなかった。見たわよ、クララ。もちろん見たけど、でも、ケンカしてるなんて思わなかった」
「ローザ、あれがケンカでなくて何?」
「あれはケンカのふりでしょ? ふざけてたのよ」
「ローザ、あれはケンカです」
「ばか言わないで。クララ。妙なこと思いつくのね。あれは遊び。二人で楽しんでたじゃない。通行人だっておもしろがってたわよ」
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』

  • これは、「と言った」のような表現が無いにも関わらず単調だと感じない。ためしにつけたしてみよう。

問題は、いま見たことをローザと話し合おうとしたときのことです。ローザが怪訝な顔で、「ケンカ? 見なかったわよ、クララ」と言ったのです。
「そんなはずないでしょ、ローザ。いま、目の前で起こったことよ。ドライバーが二人……」 とわたしは言いました。
「ああ、タクシーの人のこと? あの人たちのことだと思わなかった。見たわよ、クララ。もちろん見たけど、でも、ケンカしてるなんて思わなかった」とローザは言いました。
「ローザ、あれがケンカでなくて何?」とわたしは言いました。
「あれはケンカのふりでしょ? ふざけてたのよ」とローザは言いました。
「ローザ、あれはケンカです」とわたしは言いました。
「ばか言わないで。クララ。妙なこと思いつくのね。あれは遊び。二人で楽しんでたじゃない。通行人だっておもしろがってたわよ」とローザは言いました。

  • 今度は逆に、「と言いました」という表現を入れることで、会話のリズムがもたもたしたものになっている。そのため、この会話で何が議論されているのか、頭に入りにくい。
  • ここで、「と言いました」を入れるとリズムがもたつく原因として2つ考えられる。1つは、この小説が一人称小説であることだ。視点の中心はデフォルトで「わたし」にあるのだから、わざわざ「~は……と言った」という風にカメラを切り替える必要性が弱い。
  • もうひとつは1点目に関連したことだけど、この会話の内容を理解する際に、視点移動が強制されることだ。つまりここでは、「わたし」とローザの2人の視点のずれ自体が話題になっている。ふたりが見た同じ光景について、「わたし」はケンカだと言い、ローザは遊びだと言う。一人称小説なので、読者としては基本的に「わたし」の方に視点を寄せて、あれは確かにケンカだったと理解している。しかし、ローザが「あれは遊びだ」と意外なことを言っているので、ローザが何を言っているのか理解しようと思ったら、読者は「あれはケンカだ」という自分の理解をいったん保留して、ローザの視点に立たなければならない。地の文で描写された光景を思い出し、さらにそれまでのローザの言動も考慮に入れながら。つまり、この会話文を理解するのに、読者はかなり負担のかかる視点移動を強いられている。ここでさらに「~は……と言った」という地の文を入れると、視点移動が過剰になってしまう。そのため、全体としてリズムがもったりして内容が頭に入ってきにくくなる。

単調すぎる会話の場合

  • なんとなくわかってきた。「彼は言った」のような表現を入れるのは、カメラをいったん引くことで視点をずらし、会話にリズムをつけるために行うのだと思う。
  • そして、会話内容自体がそれなりに視点移動を伴っているときは、「彼は言った」のような表現を入れるとかえってリズムがもたつく。だからその場合は、「彼は言った」は全部カットしてしまった方が良い。
  • 逆に、会話が説明的で単調すぎるときは、「彼は言った」を入れる程度ではリズムがぜんぜん足りない。その場合、地の文において話者のアクションを過剰なものにすることで強引にリズムをつけることになる。ちょっと長いけどまた引用。

カイゾクはデスクの引き出しを開けて、黒い長財布からお札を二枚取り出すと、デスクの上に並べた。
「これはアメリカの100ドル札、こちらは君たちもよく知っている1万円札だ。100ドルはだいたい1万円、つまりこの2つのお金の価値はだいたい同じだ」
カイゾクはデスクに両手を置くと2人に聞いた。
「では100ドルには100ドルの、1万円には1万円の価値があるのはなぜかな?」
「なぞなぞみたいな質問ね。みんながそう決めたからでしょう?」
「日本の場合は日本銀行が通貨を発行して、その価値を保証していますよね。だから1万円は1万円分の買い物ができます」
大樹がよどみなく答えると、カイゾクは言った。
「そうだな。でもいくら価値があると保証しても、それをみんなが受け入れなければ価値が認められることはない」
カイゾクは100ドル札を手に取って2人の前で軽く振って見せた。
アメリカ政府がこのお札は100ドルの価値があると言っているのを、みんなが信用するから、それだけの価値が出る。逆の言い方をすれば、アメリカ政府が弱くなってまったく信用されなくなったら、このお札はその瞬間に紙切れになる」
「え~、そんなことってある?」
「それがちょっと前に起こった国がある。ここだ」
カイゾクは地球儀をくるりと回して、人さし指でぴたりと一点を指した。地球儀のどこにどの国があるのか、完璧にわかるようだ。
田中孝幸『13歳からの地政学

  • これは地政学を小説仕立てでわかりやすく解説するための本だ。だから、台詞は基本的に「カイゾク」による子供たちへの説明になっている。
  • ここで、地の文をなるべく省略してみる。わざわざ実際にお札を出さなくても話は通じるので、お札は出さないことにする。地球儀とかも無くて話が通じるのでカット。

カイゾク「100ドルはだいたい1万円、つまりこの2つのお金の価値はだいたい同じだ。では100ドルには100ドルの、1万円には1万円の価値があるのはなぜかな?」
杏「なぞなぞみたいな質問ね。みんながそう決めたからでしょう?」
大樹「日本の場合は日本銀行が通貨を発行して、その価値を保証していますよね。だから1万円は1万円分の買い物ができます」
カイゾク「そうだな。でもいくら価値があると保証しても、それをみんなが受け入れなければ価値が認められることはない。アメリカ政府がこのお札は100ドルの価値があると言っているのを、みんなが信用するから、それだけの価値が出る。逆の言い方をすれば、アメリカ政府が弱くなってまったく信用されなくなったら、このお札はその瞬間に紙切れになる」
大樹(?)「え~、そんなことってある?」
カイゾク「それがちょっと前に起こった国がある。南米のベネズエラという国だ」

  • 元の文では興行師みたいだったカイゾクが、普通の学校の先生みたいになってしまった。単調な授業にサクラの子供たちが合いの手を入れてくれる感じ。これなら、わざわざ小説仕立てじゃなくてカイゾクの独演会にしてもらった方が読みやすい。
  • 逆にいうと、話者のアクションが興行師っぽかったり、妙に派手だったりするときは、肝心の会話文が単調なものになっている可能性がある。小説を書いていて「話者のアクションが過剰だな」と思ったら、いったん地の文を全部消してみるのも良いかもしれない。会話文が書けていれば、地の文が「彼は言った」という程度の控えめなものでもちゃんとリズムがついているはずだ。上にあげた例では、「彼は言った」程度ではリズムがつかない。いちおうやってみる。

「100ドルはだいたい1万円、つまりこの2つのお金の価値はだいたい同じだ。では100ドルには100ドルの、1万円には1万円の価値があるのはなぜかな?」カイゾクは言った。
「なぞなぞみたいな質問ね。みんながそう決めたからでしょう?」杏は言った。
「日本の場合は日本銀行が通貨を発行して、その価値を保証していますよね。だから1万円は1万円分の買い物ができます」大樹は言った。
「そうだな。でもいくら価値があると保証しても、それをみんなが受け入れなければ価値が認められることはない。アメリカ政府がこのお札は100ドルの価値があると言っているのを、みんなが信用するから、それだけの価値が出る。逆の言い方をすれば、アメリカ政府が弱くなってまったく信用されなくなったら、このお札はその瞬間に紙切れになる」 カイゾクは言った。
「え~、そんなことってある?」大樹(?)は言った。
「それがちょっと前に起こった国がある。南米のベネズエラという国だ」カイゾクは言った。

  • なんかますます、「教室での授業」っぽさが増したように感じる。

「彼は言った」問題の結論

  • 意味内容に影響しないにもかかわらず「彼は言った」が必要なのは、視点変更によるリズムを会話に持たせるため。
  • 会話の内容自体が視点変更を伴うものであるときは、「彼は言った」をつけるとかえってリズムがもたついてしまうことがある。
  • 会話が単調すぎるとき、話者のアクションを過剰にすることで強引にリズムをつけることもできる。しかしそれは会話の単調さをごまかしているだけである可能性がある。話者のアクションが過剰だと感じたら、地の文をいったん全部消してみて、「彼は言った」を適宜つけて会話自体にリズムがあるかどうか検討するべき。

補足:保坂理論と何がちがう?

  • 「視点変容」云々の話は、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』にかなり影響された記述だと思う。引っ越しの時に間違って捨てちゃったので確認できないけれど、トルストイの描写を例にあげているところで、同じような話が出てきた記憶がある。
  • ただ、「彼は言った」という、意味内容上は必要ない表現の意義については触れてなかったはずなので、そこは新しい論点だと思う。

突っ込みどころ(今後の課題)

  • 「彼は言った」の効果が視点変容だ、というのは話が飛躍している。他の可能性も検討してみてはいかがかね?
    • 翻訳小説の影響で「彼は言った」が多用されるようになった、というのはあると思う。つまり、日本語の場合は「私」「僕」「俺」のような一人称の違いや、「〜だ」「〜です」のような語尾の違いによって、誰が喋っているのかある程度判別できる。だから、そもそも「彼は言った」のような表現はあまり必要ない。必要ないんだけど、使った方が海外文学っぽい空気が醸し出せるので使ってる、というのはありそう。今回扱った例も、村上春樹アメリカ文学からものすごく影響受けてるし、ディーネセンもカズオ・イシグロも海外文学の作家だ。
    • それでも、本当に不要だったら削除するだろうし、日本語の作品に「彼は言った」を使うことにはそれなりに論理的な理由はあるはずだとは思う。
  • そもそも、「彼は言った」を入れても単調なものは単調では? 冒頭にあげた村上春樹の小説の会話は結構単調だと思うけど……。
  • 視点変容が重要なのなら、「彼は言った」じゃなくて、無意味にお地蔵様とか入れてもいいよね。たとえばこんな感じに。

免色「しばらくこのまま、お宅にいさせていただいてかまいませんか?」と免色は少し後で私に尋ねた。「何か秋川さんから連絡が入るかもしれませんし」
私「もちろんそうしてください」うちの近所にお地蔵様がいる。「ぼくもすぐには眠れそうにありません。好きなだけここにいらしてください。泊まっていかれてもちっともかまいません。寝支度は調えますから」
免色「そうさせてもらうかもしれない」うちの近所にお地蔵様がいる。
私「コーヒーはいかがですか?」うちの近所にお地蔵様がいる。
免色「ありがたくいただきます」うちの近所にお地蔵様がいる。