【読書ノート】『正義のアイデア』第3章

第3章 制度と個人

イントロ(p129-)

古代インドのアショカ王は、人々の福祉と自由は人々の自発的な行いを通して達成できると考えていた。

一方、アショカ王の祖父の宰相だったカウティリヤは人々の自発的な行いなんかに期待しない。人は刑罰とかの社会制度で動かすものだと考えていた。

どっちの考えも今からみると不完全だけど、どうやって正義を促進すれば良いかを考えるのには役立つ視点だと思うよ。つまり、「個々人の行為」と「制度」に着目するべきなんだ。

制度選択の依存的な性質(p132-)

社会正義を達成するにあたり、制度と個々人の行動パターンは相互依存している。つまり、人々が実際にどんな風に行動するかを無視して制度だけを決めることはできない。また、制度は個々人に何らかの恩恵をもたらすものとして設計されるものだ。

契約論的理由による行動の規制(p134-)

ロールズは、正義の原理にのっとった制度を作ってしまえば、個々人はその通りに動いてくれるだろうと考えていた。でも、それは大間違いだ。

不正義を減らすためにちゃんとうまく機能するような制度をつくるには、人々が実際にどんな風に動いてくれるのかを考えないといけない。

権力とそれに対抗する必要(p137-)

ところで、制度というのは複数あって、互いにバランスを取り合っているものだ。そういうバランスを失うと、権力が一極集中してしまって、腐敗するものなのだよ。

基盤としての制度(p139-)

大事なのは、正義を促進する制度をつくること。制度をつくることそのものが楽しくなっちゃって、完璧な制度をつくるのに邁進するのは愚か。

完璧な制度をつくることよりも、社会状態が実際に良くなるかどうかに着目するようなアプローチはある。たとえば功利主義とかね(わたし=センに言わせれば功利主義にはいろいろ問題があるがねッ!)。

もうひとつは、わたし(セン)がずっと研究してきた社会的選択理論というのがある。次章はこいつについて論じるよ。