【読書ノート】『ゲド戦記1 影との戦い』7章まで

各章のあらすじとコメント

4 影を放つ(p93)

ハイタカとヒスイはとうとう全面的に対立する。ヒスイの挑発に乗って、ハイタカは死人の霊を呼び出す魔法を使う。すると、黒い影の塊のようなものを呼び出してしまって、ハイタカはそいつによって半殺しにされてしまう。大賢人ネマールが助けてくれたけれど、その代償にネマールは死んでしまった。

ハイタカは身体が治ったけれど、すっかり暗くなった。天才少年と呼ばれていい気になっていたころの姿はもはや無い。ハイタカはロークを去った。

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読み返してみると、なんでハイタカがロークを去るのか、ちゃんとした理由は書いてない。どうしていいかわからないとき、賢人である「守りの長」という人に出会って、「そなたは自分の名をあかして、ロークに入ることを許された。今度はわしの名をあかして、ここから自由に飛び立っていくがいい。」(p126)と言われる。だから、ハイタカ自身もどうしたいのかわからないまま、外に出て行くことになったわけだ。まあ、自分探しの旅というのはそういうものかもしれない。

5 ペンダーの竜(p130-)

赴任地であるペンダーでハイタカはのんびり暮らしていた。しかし、影はまだ追いかけてくる。仲良くなった家族の子どもが病気で死にかけていたので、魔法でなんとか助けようとしたけれど、黄泉の国であの影に出会ってしまった。で、子どもは結局死んでしまった。

ハイタカは影から逃れるために、ペンダーを困らせている竜を退治に行く。で、魔法で竜たちを次々倒していったのだけど、年寄りの竜に、お前、影に追われているだろう、わしはお前の影の名前を知っているぞ、どうだ、教えてほしいか、と言われる。

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たぶんこの竜退治が全巻を通して一番派手な戦闘場面。といっても、やっぱり地味なのだけど。

こうしてまとめてみると、かなり単調なお話なのだなあ、というのがわかる。それぞれの土地の文化人類学的な風俗描写はとても詳しいのだけど、それで時間稼ぎしているようなところもある。結局のところ、1巻はハイタカの自分探しの旅であり、自分の弱さに真正面から向かい合えるようになるまでの内面の物語なのだから、どうしても単調にならざるを得ない。

6 囚われる(p159)

ハイタカはペンダーを離れてまた放浪の旅に出る。スカイアーという頭巾のへんな男に出会って、しばらく一緒に行動してたのだけど、なんかおかしい。アッ!! こいつは影ではないかッ!!! 影から逃れて、命からがら、謎の建物の中に逃げ込んだ。

コメント
ここらへんも単調だなあ。

7 ハヤブサは飛ぶ(p183-)

謎の建物はテレノン宮殿というところだ。助けてくれたのは、セレットというきれいな奥さん。やさしくされる。奥さんに、この宮殿にある不思議な宝石を見せられる。ハイタカさん、この宝石は何でも知ってる物知りなのよ、何か聞いてみたいことがあるんじゃないの? うそおっしゃい、聞きたいこと、あるんでしょう? 聞いてごらんなさいよ。ね? ね? 

セレットによると、宮殿の人々はだれもその宝石を使いこなせていない。でも、ハイタカなら使いこなせる。そうすれば、とんでもない力を手に入れることができるという。しかしハイタカは宝石に手を出さなかった。

そうこうしているうちに、それまで存在感のなかった宮殿の主のおっさんが出てきて、セレットのたくらみを非難する。で、ハイタカとセレットのふたりに襲いかかる。ふたりは逃げ出す。すると、セレットの姿がみるみる変わっていく。ああ! こいつは魔女ではないか! わかったぞ、俺が子どもの頃、魔法を使ってようとせがんできたあの女の子じゃないか! 

なんだかんだあって、セレットは殺され、ハイタカハヤブサに変身して逃げていった。そして、やがてオジオンの元にたどり着いたのだった。オジオンは、影から逃げてもダメだ、向きなおるのじゃ、そなたを追ってきた狩人はそなたが狩らねばならん、と言う。ハイタカはオジオンの元を去り、また旅に出た。

コメント
初めて読んだとき、このセレットという女性が気になっていた。確かに魔女だし、ハイタカを利用して悪しき力を使わせようとはしている悪役だ。でも、セレットはそういうたくらみとは別に、純粋にハイタカのことが好きなんじゃないか? という感じもしていた。

いや、そんな描写は一切ないんだけど、でも、少なくともセレットはハイタカに危害を加えようとはしていないんじゃないか。「あなたは誰よりも強くなれましてよ。人の国の王となり、君臨するのです。そうしたらわたくしもともに王座につきますわ。」(p199)という発言からすると、ハイタカに闇の力を使わせて王に仕立て上げ、自分はハイタカのお妃になろうというつもりらしいことがわかる。

もちろん、闇の力を使えば世界の均衡は崩れることになる。でも、世界の均衡が崩れたとしても、わたしたちは恋に生きる、という選択肢もあるだろう。そういう恋愛至上主義みたいな価値観をとると、セレットと恋に落ちてしまってもいいんじゃないか、という気がしないでもない。 で、哲学者とか経済学者なら世界の均衡を気にするべきかもしれないけれど、小説家というのは芸術家なのだし、世界の均衡よりも恋愛を優先するべきなんじゃないか? 

この後の章で、ハイタカカラスノエンドウの妹とも良い感じになるのだけど、それも結局、恋愛には発展しないまま終わってしまう。で、ハイタカが誰かときちんと恋愛するのは、かなり年老いてからだ。真面目すぎる。2巻でも、ある女性と良い感じになるのだけど、それも一切手出ししないし。なんだよそれ、と恋愛展開を期待する向きからすると肩透かしを食らう。チャンスはいくらでもあるのに、ハイタカはすべてのチャンスをふいにしていく。すべては「世界の均衡」のためなのかもしれない。でも、そのくそ真面目さが、この作品をとても説教臭いものにしているのも確かだ。