【読書ノート】『モラル・エコノミー』第4章

第4章 情報としてのインセンティブ(p73-)

イントロ(p73-)

そもそもなんでクラウディングアウトが発生するんだろうねえ。

実験から選好について学ぶ(p74-)

人々の本当の動機を観察するのは実はけっこう大変だ。一見利他的に行動しているように見えても、実は自分の利得を最大化するために利他的に振る舞っている場合があるからだ。

でも、その人が本当に利他的に行動しているかどうかを判別する方法はある。つまり、利己的な人ならどういう戦略をとるだろうかというのをベースラインとして、そのベースラインからどれくらいズレているかで、その人が利他的に振る舞っている程度を評価できるのだ1

で、そういう風に実験してみると、やっぱりインセンティブを与えると経験に基づく価値に負の影響を与える影響が大きいのがわかってきた。それは前章でもいろいろ見せたよね。でも、じゃあなんでそういう負の影響が生まれるんだろう? というのを本章では考えていこう。

インセンティブの意味(p78-)

インセンティブというのは「意味」を持つ。たとえば同じ50万円でも、「給料」と「賄賂」では意味が違う。

で、その「意味」に応じて、状況が違った風に性格付けられる。そして、その状況の性格付けの違いに応じて、その人の選好も変わってくる。たとえば、それが「ショッピング」という状況であれば、利己的に振る舞っても全然問題ないだろう。でもそれが「被災者への募金」という状況であれば、利己的に振る舞う(つまり一銭も払わない)のには躊躇する。

つまり、選好とは状況依存的なのだ。

悪いニュース(p80-)

インセンティブを設定する人は、インセンティブに対して何らかの「意味」を込めている。たとえば、ボストンの消防局の例でいえば、病欠が多いと給料を減らすという負のインセンティブに「ずる休みはよくないことだ」という意味を込めているわけだ。

でも、そういうインセンティブの意味を、インセンティブを課される側はちがった風に読み取るかも知れない。たとえば「上司は消防士たちを信頼してない」という風に。その場合、消防士たちは自分たちを信頼しない上司に対し、「もっとずる休みをする」という形で報復することになるだろう。

これが「悪いニュース」効果だ。つまり、インセンティブから読み取られる意味が、インセンティブを設定する側と、インセンティブを課される側とで食い違っているために、インセンティブが設定者の意図通りに機能しないのだ。これが、クラウディングアウトの原因の1つめだ。

道徳的束縛からの解放(p83-)

クラウディングアウトの2つめの原因は、「道徳的束縛からの解放」だ。つまり、インセンティブの設定によって「この状況は一種の市場だ」と認識されてしまったら、人々は道徳を忘れて、純粋に利己的な消費者として行動するようになってしまうということだ。

こんな実験がある。まず、学生にネズミの世話を任せるのだ。しばらくしてから、学生にこんな風に言う。「君が世話してるネズミを殺処分しようと考えてるんだ。認めてくれるかい? 認めるなら君に10ユーロをあげよう。さあ、どうするね?」

10ユーロがほしい学生はさっさと殺処分を認める。でも、ネズミに情が湧いてしまっている学生の場合、躊躇する。半分くらいの学生が、殺処分に10ユーロ以下で賛同した。

そこで、別のパターンの実験もやってみる。同じように学生にネズミを世話させるのだけど、しばらくしてから、学生に対してこんな風に言うのだ。「君が世話してるネズミを殺処分しようと考えてるんだ。認めてくれるかい? いや? そう。じゃあ、そのネズミを別の学生に売ることもできるよ。まあ、そいつは殺処分に賛成してくれる奴だと思うけどね。さあ、どうするね?」

この場合、70%くらいの学生が、別の学生にネズミを10ユーロ以下で売ることにした。

ネズミの殺処分にその学生自身が賛同するのだろうと、殺処分に賛同するであろう他の学生にネズミを売るのだろうと、結局そのネズミが殺処分されるという点では同じだ。それなのに、ネズミを売るという条件だと多くの学生が、売るという判断になってしまったのだ。

これは市場的な状況設定によるクラウディングアウトだといえる。

コントロール――インセンティブは自律性を失う(p91-)

インセンティブというのは、「人々を思い通りにコントロールする」という使われ方をするものだ。つまり、馬の目の前にニンジンをぶら下げるみたいなことだね。

でも、人間は馬ではない。ニンジンをぶら下げるなんてことを露骨にやられたらやる気を無くす。

たとえば、お片付けを手伝った幼児にご褒美としておもちゃをあげる、という実験がある。この場合、ご褒美をあげるよ、と言われた幼児はお片付けをあまりやらなくなるそうだ。なぜかというと、幼児立ちはご褒美をもらうまでは「おかたづけたーのしー!」とか思ってやってたからだ。お片付けしたいからお片付けしたいという「自律性」がご褒美によって浸食されてしまったのだ。

という風に、インセンティブによって自律性が損なわれてしまうのが、クラウディングアウトの起こる3つめの理由だ。

情動、意識的思考およびクラウディングアウト(p97-)

(グリーンの二重過程論を持ち出して、インセンティブがクラウディングアウトを引き起こす原因をあれこれ考察してるけれど、単純な対応関係はないみたいだ、という結論。だったらなんでその話持ってきたの?)

難題(p103-)

市場ベースの社会だとインセンティブがガンガン使われるので、クラウディングアウトがかなり発生しやすいはずだ。だけど、実際にはクラウディングアウトがそこまで頻発しているわけではない。

なぜだろう? 私たちはクラウディングアウトの問題を誇張しすぎているのだろうか? あるいは、クラウディングアウトを防ぐような市民文化があるということなのだろうか?

コメント

今回も読みにくい。二重過程論のところとか、せっかく頑張って読んだのに「単純に、意識的思考・情動の区別と社会的選好を結びつけることはできない」(p103)とか書いてあって、ざけんなと思った。そういう話は普通、注に回すものなんだよ。何でもかんでも本文に書くんじゃないっつうの。

インセンティブが何らかのメッセージを持つことがクラウディングアウトの原因だ、ということを論じるのがこの章。で、章末では、そうしたクラウディングアウトが現実にはあまり起きていないということを指摘して、次章の市民文化の話につながっていく。

さて、この本で今のところ気になっているのは、ボウルズの言っている「市民」というのが、センとかヘーゲルが言うような、理性的に対話して正義を実現していく主体としての市民というのとちょっとずれているんじゃないかということだ。前近代的な農漁村の住民なんかも「市民」に含まれてしまっている気がする。そこがどうなのか、というのに気を付けて次章もまとめていきたい。


  1. たとえば、1回限りの信頼ゲームで、受託者がかなりの金額を投資家にキャッシュバックする場合だ。このゲームを1回限りやる場合、参加者は「評判」というものを気にする必要がない。だから、受託者は1円もキャッシュバックしないのが一番利益を高める選択になる。逆に、ゲームを何回か繰り返す場合、そういう外道な振る舞いをしていると誰からも投資してもらえなくなるので、たとえ受託者が利己的な人であってもいくらかキャッシュバックするはずだ。しかしそれがたとえ1回限りのゲームでもキャッシュバックするのだとしたら、その受託者は利他的に行為しているのだといえる。