【読書ノート】『現れる存在』イントロダクション

読む動機

急遽、人工知能について勉強する必要が出てきて、関連文献を漁ったり、Pythonをちまちま勉強したりしている。

で、それなりにイメージはついてきたし、人工知能がらみで駄法螺を吹いている人たちをある程度見破れるようになってきた気もする。とはいえ、独学なので、気がついたらトンデモの世界にはまり込んでいた、なんてことも十分あり得る。ブログに整理して、自分が何がわかっていて、何がわかっていないのか、明確にした方がいいと思う。

今回扱う本の著者アンディ・クラークは、前に読書ノートを書いた『啓蒙思想2.0』でも外部足場に関する議論で引用されてたし、ヘルマン=ピラートのヘーゲル本でも、ヘーゲル経済学3つのテーゼのひとつである連続性テーゼを支える重要な論者として取り上げられていた。原書の出版が1997年なので、ディープラーニングの話は出てこないけれど、まあ問題無いと思う。まだ読みかけだけど、この本の議論は、むしろディープラーニングみたいなやり方よりも先を行っているものだと思う。

イントロダクション――ゴキブリの脳を載せたクルマ

われわれが無視している事実とは、生物の心が何よりもまず、生物の身体をコントロールするための組織だということだ。心は動きを作り出す。それもすばやくでなければならない――敵に捕まる前に、あるいは獲物に逃げられる前に。心は決して身体を伴わない論理的推論装置ではないのだ。 p26

という風に、身体抜きで心について探究しようとするアプローチを筆者は批判する。イントロダクションでやり玉に挙げられているのは、CYCという、明示的知識をコード化して、百科事典みたいにガンガンコンピュータに入れていく、というものだ。で、こういう風にガンガンデータを入力していけば、やがてはCYCが自分で勝手に知識ベースの残りを自己プログラムできるところに到達できるだろう、と思われていた。つまり、コンピュータが心を持つだろう、ということだ。こういう考えを筆者は批判する。

もっともっとたくさんの知識をCYCに足したとしても、このことは改善されないだろう。その理由は、CYCには環境に対する、もっとも基本的な適応戦略が欠けているからである。  p30

つまり、生物は環境に適応して、環境とのあいだに「なめらかなカップリング」を持っている。そういう「なめらかなカップリング」が、CYCには存在しない。

じゃあ、その「なめらかなカップリング」とはどのようなものか? アメリカゴキブリの逃避技術を例に、筆者は説明する。

ゴキブリは、襲ってくる捕食者の動きが原因の風の乱れを感じることができる。
ゴキブリは、捕食者が原因の風と、通常のそよ風や気流とを区別することができる。
ゴキブリは、他のゴキブリと接触することは回避しない。
ゴキブリが逃走行動を始めるときには、ただランダムに走り出すわけではない。自分の最初の向き、(壁や角といった)障害物の存在、照明の程度、風向きなどを考慮に入れている。 p31

これらをCYCで再現しようとしたら、膨大な量の明示的なデータの蓄積と検索が必要になる。それでは敵から素早く逃れることはできない。ゴキブリはもっと単純なルールで動いている。「風が0.6m/s2以上で加速していたら逃避行動を活性化する」などだ。

CYCが望み無しだとしたら、心に対してどうやってアプローチすればいいのだろう? ひとつのやりかたは、自律的エージェント理論という方法だ。

自律的エージェントとは、複雑である程度まで現実的な環境中でリアルタイムに、生き残り、行為をし、運動することができる生き物のことである。現存する人工自律的エージェントの多くは、昆虫ふうの歩き方と障害物回避が可能な実ロボットだ。その他は、そのようなロボットのコンピュータシミュレーションであり、コンピュータベースでシミュレーションされた環境の中でだけ動いて行為をすることができる。 p34

そして、本書ではこれからロボットやコンピュータシミュレーションの話が色々出てくることになる。

コメント

心を身体抜きで捉えようとするアプローチへの批判というのは別に珍しくなくて、アフォーダンスとかオートポイエーシスなんかも同じような問題意識に基づくものだと思う。ただ、ちょっと新しいな、と思ったのが、身体を考慮に入れる方が計算上のコストが節約できる、という発想があるところ。つまり、「近代西洋的な二元論の克服を!」みたいな思想的な問題として身体の問題を取り上げているのではなくて、なんでもかんでも脳が計算しているというモデルだとコストがかかりすぎるし、生物が周囲の状況に反応するのも遅れてしまう、というので身体を重視している。

で、このコストに関する話が、後々の章で、生物進化に関する話につながってくる。心も進化の産物だと考えるなら、コストのかからない適応戦略の方が生き残る可能性が高くなるだろう。こうやって、進化論と接続していくことで、身体の問題がただの哲学上の問題ではなく、科学で扱うべき問題へと姿を変えることになる。

いや、もしかしたらアフォーダンスとかオートポイエーシスにもそういう発想はあるのかもしれないけれど、これまで勉強した本だとそういう議論は出てこなかった。それで、こうした議論が哲学の世界に閉じ込められてしまって、科学の世界に応用するのが難しいという印象があった。哲学をほとんど前面に出さないで、あくまで科学の範疇で心身問題を扱うというのは、私にはとても新鮮に感じる。