【アニメ感想】『ゆるゆり』第7話まで

ピングドラムと新劇場版エヴァを立て続けに見て、次は思いっきり軽い内容のアニメがいいなあ、と思って手を出したんだけど、意外ときつい。きついのは主人公のあかりの扱いで、「いじり」を通り越してほとんど「いじめ」になっていると思う。

このアニメはいわゆる「百合」の世界で、登場人物はモブも含めほぼ全員が女性であり、主要人物で相関図をつくるとハートマークがあちこちにつく。なんだけど、主人公のあかりだけが、その相関図から排除されている。あかりは誰にも恋してないし、誰にも恋されていない。そして、恋してる・恋してないという周りの人間関係に鈍感で、何も見えていない。

あかりは百合アニメの主人公というよりも、女児向けアニメの主人公に向いている。元気で素直で良い子で優しい。たぶん、プリパラとかに出てきてもぜんぜん違和感ないと思う。しかしそれだけに、そういう子が百合アニメの世界に迷い込むと途端に居場所を失ってしまう。カーストが逆転し、元気印の女の子はただの空気に堕してしまう。

もしあかりが極度に鈍感だったら、それでも元気印の女の子をつづけられるのだろうけれど、自分が空気になっていることに気づくくらいの感度はある。そのため、あかりはコンプレックスを抱えることになり、回を追うごとに性格が卑屈になってくる。第7話では、クリスマスは女の子同士でカップルつくって楽しもうぜという京子の提案で、カップル選びのくじ引きをすることになるのだけど、他の人たちが「あの子とカップルになれますように」と祈っているなかで、あかりだけが「あたしのくじだけ真っ白だったりしませんように」と祈っている。完全に病んでいて、ちょっと笑えない。

笑えないのは、こういうハブり方は、現実世界でも見られるものだからだ。周りよりも精神的な成長が遅くて恋愛話に疎く、なかなか周りとなじめなかったり、影で笑われたりしている人は多いと思う。大島弓子の『バナナブレッドのプディング』とか「F式蘭丸」って、そういう話じゃなかったっけ。大島作品の主人公たちは、いつまでも子どもでいようとするがあまり、自分を守るための妄想世界を発動して、そこに周りを巻き込んでいくだけのたくましさをもっている。しかし『ゆるゆり』のあかりは、そんなたくましさを持っていない。そして、そういうたくましさを持っていないのが普通なのだと思う。だからこそ、その弱さが痛々しくて、リアルすぎて、素直に笑えない。

あかりを救う展開として、彼氏ができる、というのはどうだろうか? 彼女じゃなくて彼氏。みんなが百合をやっている中で、ひとりだけ彼氏をつくったら、百合というゲーム全体をひっくり返すことができる。女児アニメの主人公に彼氏ができるというのは問題無いんじゃないだろうか(いや、見たことないから知らんけど)。百合という共同幻想の中であかりに居場所がないのなら、もっと広い「一般社会」という共同幻想に居場所を求めればいい。一般社会では、むしろ彼氏がいる女の子の方が勝ち組なのだ。でもそうすると、あかりを救うために『ゆるゆり』という作品自体がぶち壊しになってしまうかな。だとしても、夢オチでいいから、そういう革命の可能性を垣間見せてほしいなあ。今のままだと見ていてつらい。