【読書ノート】Morality, Competition, and the Firm 第2章

2_Stakeholder Theory, Corporate Governance, and Public Management

2.1. Introduction

株主利益や株主によるコントロールというのは、他のステークホルダーの利益を追求する上でも重要なことだ。それはエンロンの例を見ればわかる。エンロンの経営者が株主利益に反するような行動をたくらむことで、結果的にあらゆるステークホルダーがダメージを受けたのだ。 (p44)

エンロンのケースはエージェンシー問題1として捉えられる。経営者(エージェンシー)は情報の非対称性を利用して、株主たち(依頼人)の利益に反する行動をしていた。それでは、CSRみたいに、株主以外のステークホルダーに対しても経営者が義務を負うようなガバナンスなら、エージェンシー問題を回避できるのだろうか? これが本章の主な問いだ。 (p44)

2.2. Corporate Social Responsibility and Stakeholder Theory

ステークホルダー理論はいくつかにタイプ分けすることができる。(p45-46)

  1. 存在論ステークホルダー理論:企業の本質とはステークホルダーに奉仕することだという立場。
  2. 説明のためのステークホルダー理論:企業の行動原理を説明するのに、「彼らはステークホルダーのことも考えているのだよ」という風に解釈する立場。
  3. 戦略的ステークホルダー理論:ステークホルダーのことを配慮すれば儲かるよ、と考える立場。
  4. ブランディングと企業文化のためのステークホルダー理論:戦略的ステークホルダー理論の部分集合。特定のステークホルダー集団に目を向けることが、企業のブランディングとか企業文化の醸成に役立つよ、という立場。
  5. 義務論的ステークホルダー理論:ステークホルダーの権利を定めた上で、企業の義務がなんなのかを決める立場(必ずしも法律上の権利や義務のことではない)。
  6. 経営的ステークホルダー理論:いろんな経営理論をぐじゃぐじゃに放り込んだ立場2
  7. ガバナンスのステークホルダー理論:ステークホルダーによる経営のコントロールに関する立場。
  8. 規制重視のステークホルダー理論:ステークホルダーの利益や権利が企業活動によって損なわれそうなときは、政府が規制をするべきだという立場。
  9. 会社法に関するステークホルダー理論:伝統的な会社法を修正して、存在論的・義務論的・ガバナンスのステークホルダー理論に適したものにしようとする立場。

「いや、これって本当に理論っていえるの?」というイチャモンがつきそうだね。たしかに。ここでは、「ここ15年くらいのマネジメントやビジネス倫理学系の研究の中で、ステークホルダーに重要な役割を与えているもの」くらいの意味で捉えてくれたまえ。 (p47)

CSRとかステークホルダー理論とかを唱えている人は、会社法の修正について真剣に考えた方が良い。というのは、現行の法律だと、CSRに熱心な経営者は破滅してしまうからだ。株主の利益を無視してCSRばっかりやってる経営者はクビになったり、場合によっては株主に訴えられる可能性だってある。 (p48-49)

だけど、そうやって会社法を修正して、経営者がCSRに熱中できるようになったとしたら、今度は深刻なエージェンシー問題が発生するかもしれない。というのは、利益を出してなくても「だって、CSRを頑張ってるんだもん」と言い訳できてしまうからだ。場合によっては、CSRを隠れ蓑にして汚職に手を出すということだってありうる。

2.3. Governance and Principal – Agent Theory

会社の所有と経営が分離することで、フリーライドの可能性が生まれることになった。つまり、経営者が株主の利益を無視して自分の利益を追求する可能性が出てきたということだ。コーポレートガバナンスというのは、そういう集合的行為の問題を解決するための主な手段だ。 (p51)

だけど、経営者をコントロールするようにインセンティブを配置するのは難しい。また、株主は株主で経営者の監視コストを誰がどれだけ支払うかという集合的行為の問題を抱えている。(p52)

また、経営者の仕事というのはマルチタスクなので、株主が経営者をコントロールするのはなおさら難しくなる。タスクとタスクが補完的ならいいけれど、互いに代替的だったら、片方のタスクをうまくやっているときはもう片方のタスクがうまくいかない、というトレードオフが発生する(たとえば、生産量を増やして市場シェアを高めようとすると、生産の限界費用が高まるので、生産性が下がる)。こういう状況で経営者に最適なパフォーマンスを取らせるようコントロールするようなインセンティブを設定するのはほとんど不可能だ。 (p53)

また、株主は一枚岩ではない。それぞれの株主が別々のことに関心があって、それぞれの関心を満たすようにインセンティブを設定したら、それはインセンティブとしてメリハリのないぼんやりとしたものになるだろう。で、結果的にそれぞれのインセンティブが打ち消し合って、経営者は株主たちの関心から自由に振る舞うことができるようになってしまう。 (p54)

2.4. Lessons from Public Management

CSRエージェンシー問題を生み出すというよりも、既存のエージェンシー問題を悪化させるものだ。株主だけ相手にする場合だってエージェンシー問題は発生する。 (p54)

でも、CSRをもっとすごくすれば、エージェンシー問題を解決することもできるんじゃない? そうでもない。そのことを確認するために、1960年代と70年代の国有企業について見てみよう。CSRの強化版を実行したら、この時期の国有企業のような悲惨な結果になるかもしれない。(p55)

この時期の国有企業は、私企業に任せていたら私的な利益ばかり追求してしまうので、国有にしてしまえばもっと公共性のあることをやってくれるだろうという期待があってつくられたものだ。で、利潤を目指さず、公共性のあることを目的にして経営するよう指導されていた。ここで扱うのはカナダのケースだけど、カナダ以外の西欧圏ではもっと悲惨なことになった。 (p55)

こうした国有企業は、70年代に入るとどんどん「商業化」されていった。つまり、単純に利潤を追求するよう指導されるようになったのだ。 (p57)

なんでこんなことになったのか? それは、こうした国有企業は稼ぎが良くないというだけでなく、公共性のある仕事のパフォーマンスさえも恐ろしく低かったからだ。 (p58)

国有企業に対しては、経営者が効率的に仕事をするよう国が働きかけるのが難しい。 (p58)

私企業が相手なら、株主は「投資を引き上げるぞ」と経営者を脅すことができる。だけど、国有企業に対して政治家はあまりできることがない。国有企業だから破綻させるわけにいかないし、経営者もそれは理解している。だから経営者はお金を無駄遣いするし、場合によってはわざと赤字を出すことで「もっと予算をくれ」と要求してくることさえある。 (p58-59)

そして、国有企業を商業化せざるを得なかった大きな理由は、様々な目的を経営者に与えることが問題を引き起こしていたからだ。まず、そうやって政治の側から国有企業に与えられる様々な目的は、混乱しているし、しょっちゅう変わるし、互いに食い違っていたりするものだ。そして、それがために、そうした様々な目的を国有企業に追求させるのはとてつもなく難しいものになってしまったのだ。 (p59)

2.5. Multitask Problems

マルチタスクが外部から与えられると、経営者としては、自分たちがどれだけうまくやれているかという情報が手に入らなくなってしまうし、どう改善すればいいかもわからない。市場で競争していれば、「利潤」がうまくやっていることの指標として使える。マルチタスクだというそういう指標がないのだ。それで、経営者はそうした様々なタスク同士を「うーん、まあ、こんなもんかなあ」と勝手にバランスさせることになる。で、どんな風にバランスさせるかは経営者次第なので、どの企業がうまくやっているか、という比較ができなくなるし。経営者自身も、自分がうまくやっているのかそれともポンコツなのか判断できなくなってしまう。 (p60)

これはCSRとか3BLについても同じことがいえる。3BL(triple bottom line)というのは、社会・経済・環境の3側面で経営を評価しようという発想だけど、3つもボトムラインがあるということは、実質的に、ボトムラインが何も無いというのと同じことなのだ。 (p61)

2.6. Multi-Principal Problems

ステークホルダーの利益が互いに食い違っていて、ゼロサムゲームになっている状況がありうる。だから、様々なステークホルダーに配慮しようとすると、経営者は深刻なマルチ・プリンシパル問題に直面することになる。(p62)

ステークホルダーは必ずしも環境保護団体みたいに組織化されているわけではない。となると、組織化されていないステークホルダーに関しては経営に対して影響力を振るうことができなくなってしまう。 こういうバイアスをどう解決すればいいのだろう? (p63-64)

2.7. Beyond the False Antagonism of Shareholders and Stakeholders

経営者に対する監視役としてきちんとしたインセンティブを持っているのは株主だ。株主が企業の利益を保護する役割を担うことによってのみ、従業員や供給者、顧客、債権保有者、貸し付け者などの長期的利益に適うやり方で企業を経営できるのである。 (p65)

本章の分析は、「CSRステークホルダー理論」「ガバナンスとエージェンシー理論」「国有企業の経営」という、普通はばらばらに議論されがちなテーマを互いに関連づけることで行ったものだ。 (p66-67)

感想

CSRにおいてステークホルダーたちの利害をどうやってバランスさせるのか、ということ自体は既存のビジネス倫理学でも認識されている問題みたいだ。たとえば、下記の本のp69で指摘されている。

ただ、これは単に「バランスさせるのが難しい」と言っているだけだ。そして、「ステークホルダーたちの利害をバランスさせるのが難しいのは、どうすれば利潤を最大化できるのか予測するのが難しいのと同じことだ」と反論している。しかし、今回のヒースの議論を踏まえると、これは十分な反論になっていないと思う。

ヒースの議論が新しいのは、CSRの問題をエージェント問題と関連づけていること。つまり、ステークホルダーたちの利害のバランスの取り方を経営者任せにしてしまうと、経営者がうまく経営しているかどうかを判断する基準が失われてしまう。結果的に、CSRを企業に対して強く要求すると、誰も経営者を監視できなくなり、場合によっては汚職の原因になってしまうことさえあるのだ。その可能性の証拠としてあげられているのが60年代から70年代にかけての国有企業の失敗だ、ということになる。

この議論は株式企業を前提にしたものだけど、そうでなくても成り立つ議論だと思う(国有企業は株式会社じゃないはずだし)。世のため人のためになることをなんでもかんでも企業にやらせようとすると、かえって何も達成できなくなってしまうということだ。

SDGsとかESG投資なんかも同じような状況にはまってしまっている気がする。きちんと評価していったらステークホルダー間の利害をどうバランスさせるかという問題に直面するし、そういうめんどくさい問題を回避しようとしたらもっと形式的なところでいい加減な評価をするだけで終わってしまうだろう。前にThe EconomistでESG投資を批判する特集をやってたけど、今回の議論とかなり主旨が似ていたと思う(評価が曖昧、形式的な評価しかしてない、評価が難しいSとGは捨てよ等々)。


  1. ビジネスの話に疎いので、Wikipediaで調べてみた。ようするに、経営者が株主の利益に反して自身の利益を優先した行動をとってしまう、という問題。なんでそういうのがまかり通ってしまうかというと、経営者の行動を監視するのにもコストがかかるので、株主の見てないところでやりたい放題やれてしまうとからだ。ようするに、エージェント問題の原因は情報の非対称性ということみたいだ。

  2. ここはよくわかんなかった。いろんな経営理論を闇鍋みたいに放り込んでCSRについてわかった風なことを語る立場、みたいなことかなあと思ったのだけど…。