第2章 経営の意思決定過程
イントロ
本章の目的は、意思決定者としての経営管理者を検討すること。
意思決定者としての経営管理者
意思決定は4つの主要な局面から成り立っている。主に議論したいのは下記の1~3についてだ。
- 情報活動
- 意思決定が必要となる条件を見極めるため、環境を探索すること
- 設計活動
- 可能な行為の代替案を発見し、開発し、分析すること
- 選択活動
- 利用可能な行為の代替案のうちから、ある特定のものを選択すること
- 再検討活動
- 過去の選択を再検討すること
会社の社長が意思決定をするとなると、3の「選択活動」のことばかり考えがちだ。つまり、天才社長がしばし沈思黙考すると何か素晴らしい天啓が降りてきて、周りを驚かせる画期的な選択を行う、というようなイメージだ。しかし情報活動と設計活動をきちんとやっていれば、最後の選択活動はほとんど形式的なものでしかないのだ。
諸局面の交錯
一般的には、「情報活動」→「設計活動」→「選択活動」という順序で意思決定は進む。だけど、実はこんな単純なものじゃない。それぞれの段階自体が、複雑な意思決定過程なのだ。
意思決定技能の開発
管理することと意思決定することが同義だとしたら、経営管理者にとって重要なものは意思決定技能だということになる。
意思決定技能は才能に左右される面もあるけど、それだけでは足りない。天与の才に恵まれた人が、実践と学習と経験を通じて自らの才能を成熟した技能へと発展させないといけないのだ。
組織的意思決定に対する経営管理者の責任
経営管理者の任務は、自分ひとりが意思決定するということだけじゃない。組織の人々が効果的に意思決定しているか否かを監督するのも彼の任務だ。というか、彼の意思決定活動は、実は彼の個人的な活動というよりも、彼の部下のものなのだ。
だから、効率の良い意思決定システムを設計しないとならない。だけど、個人として意思決定の上手な社長が、意思決定システムの設計も上手にやってのけるとは限らない。そういうシステムの設計は直観的でないものだ。したがって、才能よりも、むしろ訓練がものを言うのだ。
プログラム化しうる意思決定とプログラム化しえない意思決定
意思決定は、それが反復的で、常規的である程度に応じて、プログラム化される。たとえば事務用品の補充注文とかだ。
逆に、意思決定は、それがまれにしか起こらず、構造化されず、また特別に重大である程度に応じて、プログラム化することが困難になる。たとえば、新しく外国で事業展開するとかだ。
じゃあ、その「プログラム」ってなんだい? と疑問に思うだろう。それはこういうものだ。
プログラム :複雑な課題環境に対してシステムが反応していく場合、その一連の反応を支配する詳細な処方箋あるいは戦略
だから、「プログラム化しえない」というのは、状況を処理するための特定の手続きが存在しない、ということだ。
そういう場合、特定の手続きに頼らないで、汎用的なプログラムを使えばいいのだけど、そういうプログラムのコストは一般に高くつくものだ。だから、そういう汎用的なプログラムはもしものときのために温存しておこう。日常のルーチン的な業務は専用プログラムで扱った方がコストがかからない。
さて、意思決定に関する技術を次のように分類してみよう。それぞれについて、以下、論じていく。
伝統的意思決定技術 | 現代的意思決定技術 | |
---|---|---|
プログラム化しうる意思決定 | 1. 習慣 2. 事務上の慣例 3. 組織構造 |
1. オペレーションズリサーチ 2. 電子計算機によるデータ処理 |
プログラム化しえない意思決定 | 1. 判断、直観、想像力 2. 目の子算 3. 経営者の選抜と訓練 |
発見的問題解決法 |
伝統的な意思決定方法
プログラム化しうる意思決定に対する伝統的諸技術
組織のメンバーに訓練や経験を積ませることで、職務遂行に必要な技能や習慣を身につけさせることができる。また、標準的な処理手続きをつくってしまうというやり方もある。
プログラム化しえない意思決定のための伝統的諸技術
プログラム化しえない意思決定に関しては、とにかく経験を積ませたり、能力の高い人を選抜したりというのがこれまでのやり方だった。
組織構造を設計し直すというやり方もある。たとえば、そのプログラム化しえない意思決定を担当する特定の責任単位をつくるとかだ。というのは、組織の中では、プログラム化しうる活動がプログラム化しえない活動を駆逐しがちだからだ。
いずれにしても、プログラム化しえない意思決定プロセスについて、これまでは仕組みがよくわかっていなかった。だから、なんで経験を積ませたら意思決定技能が改善されるのかとかもよくわかっていなかった。
プログラム化しうる意思決定のための新技術
オペレーションズ・リサーチ
オペレーションズ・リサーチは、システムズ・アプローチと呼ばれる見方を経営意思決定の領域にもたらすことになった。つまり、システム全体を見渡して問題を把握する、ということだ。
経済分析やら数学的諸技法(サイバネティクスとか)のおかげで、システム全体と個々の意思決定の関係がつかみやすくなった。
数学的諸用具
「この問題は定性的だから、数学では扱えないよ」とか言う人はいるけれど、もうちょいと頭使ってみれば数学で扱えるようになることはあるよ。
でも、もちろん本当に数量化できないものもあるし、そもそも計算能力が足りないということもある。だから、オペレーションズ・リサーチが経営意思決定をぜんぶ扱えるわけではないのだ。
コンピュータの導入
コンピュータを使ってシミュレーションをすることも有用だ。解析的に扱えない問題でも、シミュレーションをつかえばシステムの振る舞いを研究することができるのだ。
もちろん、シミュレーションは万能ではない。シミュレーションの結果を評価するのはまた別の話だし、そもそもシミュレーションを行うためにはシステムの構造をきちんと把握しておかないとならない。でも、別にシミュレーションで最適解を導き出す必要はない。常識や直観で得られるものよりも良い結果が得られればそれでいいのだ。
プログラム化しうる意思決定の変革
プログラム化しうる意思決定の変革は急速に進められている。それは、コンピュータが導入されたり、オペレーションズ・リサーチの適用領域が広がったりしたからだ。
発見的な問題解決
人間の問題解決過程の理解
問題解決過程やプログラム化しえない意思決定において人間がどんな風に情報処理をしているのかは、つい最近までよくわかっていなかった。でも、プロトコル分析を使ったりして、結構わかってきた。
問題解決過程は一見とても複雑だけど、実は単純な要素が相互作用して成り立っているみたいだ。で、そのことを検証するには、人間に思考プロセスをコンピュータ上でシミュレーションしてやればいい。
人間思考のシミュレーション
コンピュータのことを持ち出したので、ここで、コンピュータに関するありがちな誤解を解いておこう。
- 「コンピュータって数字しか扱えないんでしょう?」 → そんなことない。言葉だって操作できる
- 「人間とコンピュータは別物でしょう?」 → いや、課題に対する認知的反応は原理的って同じようなものですよ。「原理的に」というのは、コンピュータのハード面の能力に依存する問題だから。
だから、コンピュータに人間の思考プロセスをシミュレートさせることは可能なのですよ。
一般的問題解決プログラム
問題解決過程とは、「注目する」「探索する」「手がかりを元に探索方向を修正する」というおなじみのプロセスなのだ。だから、どこにも神秘なんて無いのだよ。
人間の問題解決プロセスの多くは、GPS(General Problem Solver)とよばれるシミュレーション・プログラムに含まれている。一般的(General)というのは、何か特定の問題に特化したプログラムじゃなくて、もっと一般的に「手段ー目的」の観点からつくられたプログラムだからだ。
プログラム化しえない意思決定は、プログラム化しうる意思決定に変えてしまえばいい。そのために役立つのが問題解決プロセスだ。たとえばGPSは以下のようにやる。ね? 神秘なんてどこにもないでしょう?
GPSにおける目的ー手段分析
- 変換目標:aをbに変化させる
- 差違減少目標:aとbの差違を除去または減少させる
- オペレータ適用目標:プログラムoを状況aに適用させる
GPSにおけるプランニング
- いきなりaをbに変換するのを目指す前に、まずaとbを抽象化して、a’とb’にする。こうした方が問題を解きやすくなる
発見的プログラミング
これは、人間の選択プロセスのうち、うまくアルゴリズムに変換できなかった部分もうまく活用していこうというアプローチだ。経営者の意思決定の補助に人工知能を使うみたいなのも、発見的プログラミングに関連する発想だ。
認知過程のシミュレーションのその他の発展
次のようなやっかいな問題についても問題解決に向けて進展がある。
- 悪構造問題
- 言語の理解
- 現実的な問題領域
悪構造問題に関しては、問題が何かを明確にしたり、問題表示のための適切な方法を発見したりする作業が必要だ。これについてはアンダスタンド・プログラムというのが開発されている。
言語の理解については、単に文法的知識にもとづいて理解するようなやり方はダメだ。なぜなら、言語を理解するには意味内容にまで踏み込まないといけないから。そういうプログラムの開発も進められている。
在庫管理とか新製品ラインとか、現実の問題を扱うときには意味の領域にまで踏み込むことが必要だ。つまり、いろんな情報を扱わないといけない。人間の長期メモリの構造をシミュレートする方法も開発されている。
問題解決のシミュレーションはどこへ
人間の問題解決過程のシミュレーションに成功すれば、次のような帰結が生み出されるかもしれない。
- 組織内のいくつかの問題解決的な仕事をオートメ化できるかもしれない
- そういう仕事を担当する人の能力を実質的に改善できるかもしれない
プログラム化しえない意思決定のオートメ化
プログラム化しえない意思決定がどこまでオートメ化できるかは、技術的な問題ではなく、経済的な問題だ。
たとえば、あるコンピュータを1ヶ月1万ドルでリースするのなら、そのコンピュータによるプログラム化しえない意思決定のアウトプット量が、約5人のミドル・マネジメントによるアウトプット量に等しく無い限り、コンピュータを利用するべきではない。発見的な問題解決の分野では、コンピュータが人間以上の比較優位をもつことはまったくありえないように思われる。
人間の意思決定の改善
人類が思考過程を改善するような革新を行ったのは、何も今回が初めてというわけじゃない。たとえば筆記の発明は、記憶に対する補助用具として、革新的なものだった。
コンピュータによって人間の意思決定がどの程度改善されるかはまだわからないけれど、見通しは明るいものだと思うよ。
結論
(本章のまとめ。省略)
感想
「プログラム化しうる意思決定」「プログラム化しえない意思決定」というのが本書の最重要キーワードだと思う。
「プログラム化しえない意思決定」というのは、字面だけみると、「コンピュータやらAIやらには任せられない、人間特有の意思決定」という風に解釈しそうになるけれど、本書を読んでいくとそういうことではないみたいだ。単に、ルーチン化できない意思決定、というくらいの意味で捉えた方が良いと思う。で、ルーチン化できない意思決定であっても、コンピュータやらAIやらはちゃんと役に立つ。というのも、人間の問題解決プロセスをコンピュータにシミュレーションさせることは可能だからだ。
ただ、どんな問題を解くかを決めるのは、やっぱり人間の役割なんじゃないだろうか。GPSというのが紹介されているけれど、これも、「aをbに変化させる」という変換目標自体は人間が設定してあげないといけない。
結局、今のAIもそこのところで行き詰まってるんじゃないかなあ、と思う。たとえば、人間顔負けの絵を描けるAIは実用化されている。でも、それは人間がAIにいろんな絵を読み込ませた上で、どんなシチュエーションの絵を描くかを指示してるのだ。つまり、「こういう画風でこういうシチュエーションの絵を描け」という風に問題を人間が与えないといけないのだ。だけど優れた人間の絵師は、自分で新しい画風をつくったり、新しいシチュエーションを考えたりすることができる。
ここからはただの思いつきだけど、問題発見においては「感情」の役割がすごく重要になってくるんじゃないだろうか。たとえば新しい画風の絵を描こうとする人は、既存の絵に何らかの「物足りなさ」を感じているのだろう。また、新しい画風を追求するときには、「なんとなくこうするとかわいい」とか「ここの色の感じがなんかかっこいい」という風に、自分の感情を道しるべにしていると思う。もちろん、「この属性の人たちはこういう絵柄に対してニーズを持っているのだけど、そこは今のところニッチ市場になっているから」みたいにマーケティング的なアプローチに頼って理詰めで絵を描く人もいると思うけど、そういう人の絵はオリジナリティの無いものになりがちだと思う。もし、問題発見において感情の役割が重要だとしたら、今みたいなディープラーニング方式でAI研究を進めていっても、AIが問題発見をするようになることはあり得ないと思う。
あと、コンピュータの言語の理解について最後の方で述べられているけれど、今から見るとちょっと楽観的過ぎたんじゃないかという感じがする。東ロボくんが東大に合格できないのは読解力がないからだ。つまり、AIは文章の意味が理解できない。機械翻訳の性能は昔に比べると飛躍的に向上したけれど、別に機械が文章の意味を理解して翻訳しているわけではなく、単に、過去に人間が行った翻訳のパターンを模倣しているだけだ。AIは言葉の意味を理解できない、というのもAI研究の重要な行き詰まりポイントだと思う。というわけで、問題発見だけでなく、問題解決プロセスにおいても、オートメ化できない部分はある程度残るんじゃないか。
とりあえず、自分が興味のあるのは2章までなので、3章以降は放置ということにしたい(いちおう最後の章まで読んだけど)。