【雑文】ジャンル外に手を出して無脳者になれよ私よ

こないだ某学会誌に投稿された論文の査読をやっていたのだけど、その論文の統計分析のやり方がメチャクチャすぎたので、「統計分析がメチャクチャなのでちゃんと教科書買って勉強してね」とコメントしておいた。学生の論文だから割り引いて考えなきゃならない。とはいえ、共著者に大学教授の人(たぶん指導教員)も入っていたのだから釈然としない。その大学教授の人は統計をあまり使わない人だから自分の学生が何やってるのかよくわかんなかった、ということなんだろう。でも自分の学生が何やってるかわかんないのに論文投稿させるってさあ…。

超弱小学会だからそういう阿呆なこともあるんだろうなあ、とは思う。学生も無脳だし、教師も無脳だ。へらへら笑って座りションベンして馬鹿になっててもなんとか生きていける舐めた界隈ではある。だけど、「マンガでわかる統計うんたら」みたいな本を買ってきてザッと目を通すことくらいできないのかなあ、とモヤモヤしている。その程度の努力でも「メチャクチャな分析」を「パッとしない分析」くらいにまで持って行くことはできるはずだ。忙しくても隙間時間を使えば1週間くらいで読めると思う。なのに、なんでその程度の努力ができないのだろう…?

同じようなことを、何年か前に人文系の人たちとの勉強会に参加していたときも思った。今は彼らと距離を置いているけど、その勉強会のメンバーは反原発とか反資本主義の傾向が強い人たちで、酔っ払うたびに「どこそこに行ってデモしてきたぜ」みたいなことをのたまってはシュプレヒコールを上げていて私はドン引きしていた。でも、その人たちと話していても、どう考えても原発の仕組みとか資本主義の仕組みとかを理解しているようには思えなかった。原発事故のときの水素爆発を核爆発だと勘違いしているようなフシもあったし。ブルーバックスとかで原子力関係の本を1冊選んで読むだけでずいぶん考え方が変わるはずだし、資本主義についてどうこう言いたいのなら新書で良いから経済学の入門書を1冊読んでみればいい。自分の専門分野の本や論文は膨大に読むのに、専門外のものには一切手を出さないみたいで(実際、その人たちの研究室に行って本棚を見せてもらってもそんな感じだった)、不健康な集まりだなあと思うようになって距離を置くようになった。

別に統計学とか物理学とか経済学とかが最強で他はクソとか言いたいのではない。逆に、統計学やら経済学やらに詳しい人が、自分の専門外の文献を一切読まないでへんなこと言ってるみたいなことも普通にある。こないだ計量系の研究会に出たとき、計量分析の手法についてはやたらと詳しいけれど、前提になってる社会学的な議論がやたらと薄っぺらい大学教授の人がいた。で、へんなの、と思ったから「へんじゃないですか」と勇気を出して質問してみたけど、あんまりそういう理論的な話に関心無いみたいで適当に受け流されて、また分析上のテクニックを楽しそうに語るターンに戻ってしまった。

別にあらゆるジャンルに精通しなくてはならない、なんてことではない。私だって別にそんなんじゃないし。だけど、新書とかブルーバックスとかを一冊読むだけでもずいぶん理解がちがってくるはずなのに、なんでその程度の努力を惜しむのかなあと思う。

ただ、ジャンル外のことに手を出すのがおっくうだ、という気持ちはわからなくはない。自分の専門内では神のように振る舞えても、そこから一歩外に出ればあっという間に無脳力者になってしまう。シェイクスピアについてなら何を聞かれても答えられますよという人が経済学の勉強を始めてみたら、たぶん最初のうちは教科書の章末問題がぜんぜん解けなくて泣くと思う。「私は何十年も努力を重ねてド天才の座に上り詰めたと思っていたのに、実は高校生のころからたいして知力が上がってなかったんだなあ。私は孔明(知力100)だと思ってたけど、実は劉禅(知力9)だったのだなあ」そう自覚するのは確かにキツいことかもしれない。で、人はキツいことを嫌うので、専門に閉じこもって「私はド天才」という迷妄を後生大事に抱えて生きていくわけだ。それはそれで悲しいけれど、運良く最後までその迷妄を守り切れれば死の床で弟子たちに囲まれて幸せに死んでいける…。だとしたら幸せってクソだよね、とも思うけど。

でも、ジャンル外に出て自分は無脳者だと気づくのはそんなに悪い経験でもないと思う。大学教員をやっていたころ、学生の前ではボロを出してはいけないと思っていて、なんにも知らなくても付け焼き刃で勉強してなんでも知ってるふりをしていた。で、そんなことやってるうちに自分は優秀だと勘違いしたりもしていた。だけど、大学教員って間近で見てるとそんなに優秀な人いないと思うよ。専門領域の中ではド天才でも、現実世界に対する考え方がおそろしくナイーブな人ってかなりいる。大学で授業をやっていると学生たちが真面目に話を聞いてくれるし、授業の感想を求めると「わかりやすく丁寧で素晴らしい授業でした!」「授業中の先生のジョークが楽しみでした!」とか書いてくれる。で、そんな嘘くさい感想を教員は素朴に信じ込んだりしている。そんな風に学生たちにマヌーサかけられて幻想世界で生きるよりも、自分は無脳者の劉禅阿斗だなあ、とさっさと認めてしまった方が気楽に生きられると思う。なので今は私のジャンル外のアジアンカンフージェネレーションのワールドワールドワールド聞きながら「悪くないじゃん」とか思ってるよ(『ぼっちざろっく』つながりです)。

(追記)あれ? なんか前に書いたことと真逆のこと書いてるような気がする...。前は「脳無しでもジャンルを絞ってガンガン死ねばレベル上がるぜ」みたいな話だったと思うけど、今回は「ジャンル外にガンガン手を出して脳無しになれボケ」と言ってる。

odmy.hatenablog.com

自分でもよくわかんないけど、別に矛盾しているわけでもないんじゃないかな。まあ、矛盾してても「弁証法」とか言ってれば大体許してもらえると思うので別にいいや。弁証法です。弁証法ですよ。