【雑文】obsidianを低級に使う

obsidian.md

obsidianというツールを導入したのだけど、たぶん私は低級な使い方をしている。

obsidianがいかに便利で革命的なのかということを力説する人は多い。obsidianで彼女ができました、背が伸びました、脳が2つになりました、とかいうことをいう人もいたりいなかったりする。でもわたしは、あまりそんな画期的な使い方はしてない。どちらかといえば低級な部類に入る使い方をしている。

「obsidianってなにさ?」

簡単にいうと、テキストファイル同士のあいだに好き勝手にリンクを張れるツール。個人用のWikipediaみたいなもの。わたしも4日前くらいに知ったばかりなのでよくわかってない。

WikipediaみたいなことをしたいのならWikipediaに書きたい記事書けばいいじゃないの」

そうなんだけど、Wikipediaは公共財だから、好き勝手に書くと怒られるでしょう? 

「じゃあ、ブログでいいじゃん。ブログでたくさん記事作って記事同士のあいだにリンクを張ったら?」

でも、ブログってなんか重いし…。記事を1つアップロードするだけでもわたしの家の貧弱なネット環境ではぐるぐるが止まらなくなる。obsidianの良いのはローカルで動いてくれるところ。ぐるぐるを気にせずに光速で新しいテキストをつくったり、リンクを張ったりできるのです。ようするに、超快適ということだ。

テキストファイル同士をリンクできるとなにがうれしいのか? そこにどんなうれしさを発見するかはその人次第だ。リンクをグラフで図解できる機能もあるので、それでそれまで気づかなかった知識同士の関連に気づけるところがうれしいという人もいる。でも図解機能はあんまり役に立たないから使ってませんという人もいる。なので、なにがうれしいのかはわたしにはよくわからない。

わたしは単に、「注釈がすごく書きやすいノート」くらいの気持ちで使ってる。Wordなんかにも注釈機能やコメント機能はあるけれど、書けるスペースが小さすぎるし、文章のなかに埋もれてしまって、後から見返すのにすごく苦労する1。そして人は苦労が嫌いなので、すごく苦労することはしない。つまり、せっかく書いた注釈は決して読み返されないということだ。

obsidianならここらへんの問題を解決できる。まず、本体になるファイルを用意する。人の論文や本でいい。テキストデータになってなかったらOCRソフトかなんか使ってがんばってテキストデータにする。

次に、そのファイルのなかでよくわかんない単語やら記述やらがあったらそこからリンクを張る。リンク先のファイルなんか用意する必要はない。「[[]]」と打って、この二重四角括弧の中にファイル名を自由に書けば良い。そうすると勝手にそのファイル名のファイルが出来上がっているという寸法さ。二重四角括弧が紫色になるので、そこをクリックするとその新しいファイルが表示される。Wordのコメント機能の吹き出しとちがって広々してるのでたくさん書ける。そして広々してるから読み返すのも苦労しない。そうしたら、そこに書きたいことをガンガン書けばいい。書いているうちにまたわからないことが出てきたらそこからさらに「[[]]」で新しいリンク先をつくってもいい。

今のところ、このやり方で読書ノートをつくるのがすごく便利だと感じている。読書ノートを書くのって、すごくおっくうだ。簡単な本なら、単に1段落ずつ地道に要約をしていけばいい。だけど、難しい本の場合、その1段落自体が複雑すぎて、どう要約していいのかよくわからなかったりする。そういうときは、その1段落をさらに分解する。といっても、分解作業を厳密にやると面倒で死ぬので、重要そうなところにだらだら線を引っ張っていくだけでいい。そして、その線を引っ張ったところをひとつずつ自分の言葉で要約していけばいい。線を引くのは要約のためなので、そこそこ長めにたくさん引いた方がいいと思う。

しかしそうやって細かく分解していくと、そのうち、元々の文章とのつながりがわかんなくなっちゃったりもする。「あれ? この要約って、本のどの部分を要約したんだっけ?」ってなる。だから、元の文章ときちんと紐付けしておきたい。そういうときにobsidianが便利。

この程度の作業ならobsidianを使うまでもない、という気もする。でもわたしは低級な人間なので、最適化なんて求めてない。高級なツールを低級に使うことがわたしの醍醐味だ。obsidianには便利なプラグインがたくさんあるが、わたしは代表的なものをいくつか試してみた後、すべてアンインストールした。わたしのように低級な使い方をする人間にとって、プラグインはかえって邪魔なのだ(プレビュー画面を固定するプラグインよりもプレビュー画面を消すプラグインがほしい)。

もうちょっと言うと、obsidianを使うと延々と作業をつづけられるところもいい。なぜかはわからない。たぶん、作業が快適でストレスがたまらないからじゃないかと思う。プチプチシートを無心にプチプチ潰していくような快楽もある。けっきょくのところ、なんだって時間をかければ成果は出るのですよ。時間を惜しみなくかけることができて、それが苦にならない、ということこそが本当の効率化だと思う。だから、obsidianをこれ以上高級な感じに使いたいとはまったく思わない。高級にすればするほど作業がややこしくなってストレスがたまるのが目に見えているから。低級には低級の良さがあるのさ。

ついでに言うと、わたしはchatgptやbingについても低級な使い方をしている。「chatgptを検索に使うような奴は出世できない」みたいな記事を読んだことがあるけれど、わたしはまさにそういう使い方をしている。だって、そういう使い方の方が明らかに便利だから。自分があまり詳しくないことについて調べるとき、そもそもどんな検索ワードを使えば良いのかとか、どんなサイトを見ればいいのかさえもわからない。そういうときは、AIに雑な感じで質問する2。無知なわたしが雑に質問しても、AI様はそれなりに適切な回答を出してくれる。で、その回答が本当かどうか疑わしかったらググればいい。低級な使い方だし、出世もできなさそうだけど、それがなにか? AIは嘘をつくから検索に使うなんてもってのほか? それを言うならネット自体嘘だらけなんだし、今さらって感じだ。嘘とのつきあい方を身につければ良いだけの話です。

道具の使い方は自由だ。トングでパスタを摑むこともできるし、トングで人を撲殺することもできる。めいめいがめいめいの使い方をすればいい。わたしは低級が好きなので低級で行きます。


  1. workflowyでメモ用のノードを作ったりもしてきたのだけど、いまいち使いにくい。わたしとしては、メモはメモで独立したウィンドウかなんかで開いてほしいのだけど、workflowyではそういう風に独立してウィンドウを開くことができない。そういうことができれば、workflowyでもぜんぜん問題ないのだけど…。
  2. あるいは英語でしか手に入らない情報が欲しいときとか。わたしみたいに「英語はわからなくはないけれどネイティブ並とかのレベルじゃない」という人間は、英語で適切な情報を検索するのに苦労する。そもそもどんなキーワードが良いのかわかんないから。日本でキーワードとして通用する単語をそのまま辞書引いて英語にしたからといって、それが英語圏でもキーワードとして通用するかどうかはわからんし。検索結果を絞り込むのにどんなキーワードを追加すればいいかもわからない。また、出てきた結果が自分の望むものであるかをチェックするのにも時間がかかる(外国語だと「斜め読み」をするのが難しい)。こういうとき、AIに頼むととても楽。英語で質問する必要はあるけれど、雑に聞いてもちゃんとほしい情報をくれるから。なのでわたしは出世を諦めてAIを検索ツールとして使い続けるつもりだ。