【読書ノート】『モラル・エコノミー』第2章

第2章 悪党のための立法(p9-)

イントロ(p9-)

ボストンの消防本部長は、病欠の多い消防士の給料を減らすことにした。そうすると、かえって病欠が増えてしまった。ずる休みが増えてしまったのだ。

こんな風に、インセンティブを与えるとかえって逆効果になることもあるのだよ。

マキャベリの共和制(p10-)

昔の哲学者たちは、法律だけつくっても人々が従ってくれないことに気づいてた。大事なのは、市民的徳(civic virture)を涵養することなのだ。

あのマキャベリだってそうなんだよ? マキャベリって、人間というのは根っからの悪人だから、法で縛んないとろくなことになんねえ、って言ってた人だ。そんなマキャベリでさえ、市民の教育は大事だと考えていた。人々は法に従うことを通して、善い慣習を学んでくれる、って考えてたわけだ。

制度だけでも人は動かない。でも、人々の善良さだけに期待するわけにもいかない。問題は、制度によって人々の善良さに関してどんな創発がみられるかということ。つまり、秩序立った社会の創発性だ。

悪党のための立法(p15-)

今の経済学者たちは「ホモエコノミクス」なんていう風に人間を単純化をする。でも、古典派経済学者たちは、それがただのフィクションであることをきちんとわかっていた。インセンティブみたいな制度だけで人が動くわけがない。

道徳感情と物質的利害の分離可能性(p20-)

今の経済学者たちは、インセンティブと道徳が分離できるものだと思っている。つまり、インセンティブで人を動かすときは、道徳の問題は棚に置いておいて構わない、ということだ。だけど、そういう認識は大間違いだ。

こういう研究がある。アメリカの士官候補生にアンケート調査をしたんだ。アンケートでは、彼らに士官学校に入学する動機を尋ねた。

動機には「道具的動機」と「内発的動機」という2つのカテゴリーを設定した。「道具的動機」は、「出世したい」みたいな、士官学校を自分の利益のための道具としているっていうタイプの動機だ。一方、「内発的動機」は、「とにかく士官になるのが夢だから」みたいな動機のことだ。

内発的動機が低い奴らは、道具的動機が高いほど士官になる確率が高かった。まあ、これはわかるだろう。つまり、とくに士官という仕事に思い入れはなくても、「出世して金持ちになって数十名の美女を自宅敷地内の各所にはべらせてやるぜ」みたいなガツガツした奴の方が士官になるということだ。

ところが、内発的動機の高い奴らは、道具的動機が高いと逆に士官になる確率が下がってしまうのだ。つまり、「士官になるのは子どものころからの夢でした!」と語りつつ、でも一方で、「美女をはべらせるのもいいよねえ」とか言ってる奴は、士官になりにくい。

士官学校側がPR戦略を立てるとする。相手が内発的動機の低い奴らばっかりだったら、「うちにくると出世できるよ!」「就職率100%」とかPRすればいいだろう。そうすれば、そいつらは道具的動機を刺激されて、士官になる確率が上がる。でも、相手が内発的動機の高い奴らだったら逆効果だ。かえって、「俺は士官になりたいのか? それとも出世したいのか?」というもやもやを抱えて、士官になる確率が下がるだろう。

ここで「内発的動機」というのを「道徳」と読み替えてごらん。で、「就職率100%」みたいなPRの仕方を「インセンティブ」と読み替える。すると、インセンティブと道徳は分離できないということがわかるだろう。

道徳不在の領域としての市場(p23-)

でも、経済学者たちは愚かにも、インセンティブと道徳は分離できると思い込んできた。だから、何か社会問題が発生しているのなら、人々が他人への害を考慮できるように、商品やサービスの価格に反映させればいい。つまり、内部化ってやつだ。

市場において、すべては「見えざる手」が何とかしてくれる。だから道徳なんて必要無い。そんな風に経済学者たちは考えてきたわけだ。

悪党のための経済学(p27-)

経済学者たちは、経済的相互作用は完備契約によって統治されなければならない、と考えている。つまり、すべては契約に書かれている。そして、買い手と売り手はその契約によって、請求権と責任を割り当てられるわけだ。

だけど、なんでもかんでも契約に書くことはできない。たとえば、あなたの労働契約書をタンスの中から引っ張り出してきてごらんなさい。あなたはたぶん、その契約書に書かれていない仕事をいろいろやっているはずだ。「職場で同僚に会ったら挨拶すること」なんて書かれてないし、「頭の悪い上司から理不尽な叱責を受けること」も「無能な部下に適切な指導を施すこと」も書かれていない。だけど、そういうことをあなたは日常的にやっている。

つまり、ほとんどの契約というのは実は不完備契約なのだ。ということは、「見えざる手」だって機能するかどうか怪しくなってくる。というのは、「見えざる手」が発動するためには、完備契約という条件が満たされていないとならないからだ。詳細を知りたかったら、厚生経済学の教科書を買ってきて、厚生経済学の第一基本定理というのを勉強してくれ。

マキャベリからメカニズム・デザインへ(p31-)

最近はメカニズム・デザインってのが流行ってる。インセンティブ・システムをもっと巧妙なものにして、人々をうまいこと動かしてやろうってアプローチだ。でも、第6章で検討するけれど、メカニズム・デザインが機能するための仮定もかなり現実離れしたものだ。だからやっぱり、道徳抜きでインセンティブだけで世の中を動かせるものではない。

で、そんなことみんなわかってるはずだよ。あなただって、自分の部下が「ボクはインセンティブが無いと全く働く気しないんです。ボクを働かせたいなら労働契約書に全部書いてください」なんて奴だったら明日から会社行くの嫌になっちゃうでしょう? そういうことだよ。

それなのに、インセンティブさえつければ人は動くっていう思い込みは根深いものだ。そういう思い込みに基づいて政策を立てたら、おかしなことになると思うよ。

コメント

前回のイントロの話をもう少し具体的にして、データの裏づけとか経済学上の議論との関連づけとかもしてみた章です。

士官学校のくだりは、ちょっとかみ砕いてまとめてみたけれど、解釈が合ってるかどうかよくわからない。そもそも「内発的動機も道具的動機も共に高い人」っていうのがどういう人なのかイメージがよくわからん。内発的動機が高いと、普通、道具的動機は下がるものじゃないだろうか? 少数ならそういう人もいるかもわからんけれど、その場合、サンプルに偏りが出てくるのは。あとで再サンプリングするとかなのかな。