第4章 社会的決定関数
前回の復習と今回のねらい
前章は「社会的厚生関数」というやつを取り上げて、この社会的厚生関数に常識的な条件を加えただけで必ず独裁者が発生してしまうというアローの一般可能性定理を扱った。今回は「社会的決定関数」を扱う。似たような用語が増えてきたのでちょっと整理してみよう。
- 集合的選択ルール(個々人の選好から社会としての選好を導き出す関数)
- 社会的厚生関数(3章で扱った)
- 社会としての選好は順序でなければならない(反射性、完備性、推移性が備わってなくてはならない)
- 次の4つの条件を同時に満たすことができない(アローの一般可能性定理)。
- 定義域の非限定性
- パレート原理
- 無関係対象からの独立性
- 非独裁制
- 社会的決定関数(今回扱う)
- 社会としての選好は選択関数を生み出すものでなくてはならない
- さっき挙げた4つの条件を同時に満たす社会的決定関数は存在する(このことは、パレート原理と非独裁制の内容をもうちょっと強めても成り立つ)
- でも4つの条件にさらに性質βを条件として加えることはできない(これら5つの条件を満たす社会的決定関数は存在しない)
- 社会的厚生関数(3章で扱った)
社会的厚生関数ってのがどういうのか前回は具体例を示してなかったのだけど、たとえば次のようなものが該当する。
- 多数決 →(2022/11/08追記)これはまちがい。多数決は選好順序が循環しうるので社会的厚生関数じゃないという話が5章で出てくる。ボルダルールの方はどうなんだろう? 自信がなくなってきた…。
- ボルダルール
- 個人の選好にまったく配慮しない伝統的慣習
ボルダルールというのは、個人の選好順序がx,y,zだったらxに3点、yに2点、zに1点みたいに、順序によって点数を付けるやり方。多数決をもう少し柔軟にしたようなイメージ。で、多数決にしてもボルダルールにしても、獲得点数(票数)にしたがって選択肢に順序がつくわけだから、社会的厚生関数ということになる。
最後の「個人の選好にまったく配慮しない伝統的慣習」とはどういうことかというと、つまりその社会には「xとyという選択肢があったら必ずxを選択する。その選択において人々の声には一切耳を貸さない」というような伝統的慣習があるということだ。で、その伝統的慣習による選択に順序があるのなら、それもまた社会的厚生関数だということになる。「え、それって集合的選択ルールですらないないんじゃないの?」と言いたくなるけど、まあ、すべての個人的選好のウェイトをゼロにした関数なんだみたいに捉えれば一応集合的選択ルールと言えるんじゃないだろうか?
というわけで、社会的厚生関数というのは実は種々雑多な関数を含むことになる。そして、そういう種々雑多なものすべてに対してアローの一般可能性定理が当てはまる、というのが前章の話。したがって、アローの議論というのはめちゃくちゃ射程が広いということになるし、それだけにインパクトもめちゃくちゃでかいということなんだと思う。
本章で扱う社会的決定関数は社会的厚生関数をもう少し概念的にゆるくしたものだ。で、社会的決定関数の場合はアローの一般可能性定理は通用しない。ふうん社会的決定関数いいじゃんと言いたくなるけれど、それでも性質βという1章で扱った合理性の条件を追加するとやっぱりうまくいかなくなってしまう……。え? 性質βってなんだっけ? 選択関数ってあんまり覚えてないや、という私の中の私の声に応えて、振り返りながらまとめていこう。
社会的決定関数
社会的決定関数とは、社会的選好が選択関数を生み出すようなものだけに制限されている集合的選択ルールのことだ。選択関数とは、第1章でも扱ったけど、こういうの。図に出てくる「最良要素」というのは、他のどんな選択肢よりもましなもの」ということ。
社会的厚生関数であればそれは社会的決定関数でもあるということになる。なぜなら、社会的厚生関数では社会的選好に順序が成り立つから。順序が成り立つということは、選択肢の中でどれが一番ましか(つまりどれが最良要素か)ということも決められることになる1。だけど逆に、社会的決定関数だからといって社会的厚生関数だとは限らない。たとえば最良要素は選べるけれど、完備性が成り立ってないということはありうる。上図でいえば、「リンゴ、桃、メロン」の中で最良要素として桃を選べるけれど、リンゴとメロンの間の選好関係は決められない(完備でない)ということはありうる。
つまり、社会的決定関数の方が概念として広いということになる。
社会的決定関数にアローの一般可能性定理は通用しない
ここは証明を追うとそのまま本を書き写すことになるので省略。概要だけ書くと、まず次のような集合的選択ルールをつくる。
「すべての人がxよりyをマシだと思っていて、かつ、xよりyを良いと思っている人が少なくとも一人いる」ということが成り立っていないとき、社会としてはyよりxをマシだということに決定する。
ややこしい。式で書いてもややこしいけど、日本語で書いても意味がよくわからない。もうちょい噛み砕くとこんな感じ。もし「 」内が成り立っているとすると、普通に考えれば社会としてxよりyを選んだ方が良いということになる。だけど成り立ってないわけだから、「xよりyを選んだ方が良い」を否定して「yよりxをマシ」とする、というようなこと。まあ、こういう集合的選択ルールが実用的かどうかはわからないけれど、論理的には問題はない。
で、こういう集合的選択ルールを仮定すると、社会としての選好に準推移性が成り立つ。また、こういう集合的選択ルールが反射性と完備性を満たしているのは明らかだ(え? と思うなら、反射性や完備性に違反する例を考えてみるといい。思いつかないから)。で、反射性と完備性と準推移性が成り立つと、1章でやった補題1*kという奴にしたがうと、選択関数が定義できることになる。だから、この集合的選択ルールは社会的決定関数だということになる。
で、この集合的選択ルールは個人の選好パターンを制限していないので「定義域の非限定性」は満たしている。他の条件も満たしている、と本には書いてあるけど、詳しく説明されてないのでよくわからなかった……。
たぶん、個人レベルでの二項の選好関係だけから社会レベルでの二項の選好関係を決めてるわけだから「無関係対象からの独立性」は満たされている、ということかなあ。あと、「パレート原理」も満たされている(全員がyよりxを良いと考えるという選好パターンを仮定して、この集合的選択ルールに代入してみると、社会としてもyよりxを良いと決定することになるので)。で、この集合的選択ルールにおいて、ちゃんと全員の選好が考慮されているわけだから、「非独裁制」も満たされている。……たぶん。
まあともかく、社会的決定関数であればアローの一般可能性定理は通用しないということになる。
ちなみに、選択対象が有限集合ではなく無限集合になると最良要素を決められなくなるので選択関数が存在しないことになる(無限なので、「上には上がある」というのが無限につづくから、最良要素が存在しなくなる)。だから社会的決定関数も存在しないことになる。だけど、まあ現実世界に無限の選択対象なんてありえないので、実用上はまったく問題ないと思う。
でも性質βを追加するとそうでもなくなる
社会的決定関数は例の4つの条件を満たすことができる。でもそれに追加して性質βも満たすということはできない。なぜなら、選択関数が性質βを満たすには、社会的選好が順序でなければならないから(ここは1章で証明したのだけどブログ記事では省略した)。で、社会的選好が順序であるということは、それはもはや社会的決定関数というよりも社会的厚生関数だ。で、社会的厚生関数にはアローの一般可能性定理が通用してしまうので、例の4つの条件を同時に満たせないことになる。
性質βというのがどういうのかというのを改めて説明するとこういうの。
- AさんとBさんは日本一のイケメン。全日本イケメン選手権で同着1位になった。
- Aさんは世界イケメン選手権でも1位になった。
- それならBさんも世界イケメン選手権で1位でないとおかしい。
つまり、狭い範囲において同じように評価されているのなら、もっと範囲を広げてみても同じように評価されないとおかしい、ということ。もちろん、現実には必ずもこうだとは限らない。文脈が変われば評価だって変わるものだ。日本ではイケメンでも世界では「いやあ、あなたは醤油顔ですねえ。もっとソースが欲しいところですね」と評価を下げられることは十分あり得る。だけど、これがイケメン選手権じゃなくてIQ選手権だったら範囲を広げただけで評価が変わったらへんだということになるかもしれない。
性質βは合理性の条件のひとつとして考えられているものだ。必ずしもこれがないと合理的といえないというわけではないけれど、人によってはこれは合理性の条件としてとても大事なものだと考えるかもしれない。というわけで、性質βをないがしろにするわけにもいかない。それだけに、社会的決定関数が4つの条件+性質βを同時に満たすことができないというのはそれなりに深刻な結論ではある。
感想
今回はちょっと地味な内容かもしれない。
なるべく細かい証明を省いて直観的にわかりやすくまとめていきたいのだけど、やっぱり証明内容にある程度触れないと、そもそもその定理がどういう意義を持っているかもうまく見えてこないというケースがちらほら出てきた。どこまで続けられるだろうか……。