日記
Categorizing The Witch from Mercury, the latest anime series of Mobile Suit Gundam, as a science fiction work may be misleading. I think it is rather a fantasy story that allegorically depicts the essence of our reality.
Le Guin, the author of the Earthsea novel series, says that the raison d'être of fantasy novels is inexplicable from a social or political viewpoint. I agree with her. Although deciphering The Witch from Mercury from a sociological perspective is possible, I'm afraid that it could diminish the value of the anime work.
I was impressed by the dialogue between the deceased and the living in this anime. Suletta Mercury is a brave protagonist who holds on to play the role of bridge between her mother, who is entangled in the tragedy of the past, and the world where Miorine Rembran, Suletta's loved one, lives. She and her incorporeal sister Elnora try to "override" their mother's ambitious plan. The process involves critical arguments between the older generation and the younger generation.
コメント
時代について行けないわたしだけど水星の魔女だけは毎週見ていました。
ガンダムはGガンダムとターンAガンダムが好きという人間なので、決闘とかの現実離れしたシステムは割と楽しく受け入れられた。このままずっとGガンダムのノリで行くのかなあ、と思ったら途中から雰囲気が変わってきて、Zガンダムとかエヴァンゲリオンみたいな世界観になったらやだなあと毎週びくびくしながら見てた。
ハッピーエンドなのだけど、でもたくさん人が死んだわけだし(殺しもしたし)、完璧にハッピーというわけではない。エヴァだったら、そこのネガティブな部分をどこまでも掘り下げていって、最後には作品自体が自壊してしまうのだけど、この作品はそのネガティブな部分も飲み込んだ上でポジティブなんだよなあ。「進めば2つ」というスレッタにとってある意味母からの呪いの言葉みたいなものが、母の意図とはまったくちがったものに書き換えられていくプロセスがこの作品のひとつのモチーフになっている。
「父と息子」の物語じゃなくて「母と娘」の物語だからこういう展開にすることができたのかもしれないなあ。エヴァがああいう息苦しい作品になってしまったのは「父と息子」の物語だからじゃないだろうか。息子の前に父が立ちはだかったら、息子としては父をぶん殴るか諦めて引きこもるかの二択になってしまう。で、ぶん殴る勇気のないシンジはうじうじと引きこもるしかなくなる。だけどこれは「母と娘」の物語なので、ぶん殴るという選択肢はない。引きこもる選択肢もあるけれど、その代わりに、「母を肯定する」というやり方もある。ただそれは「母に洗脳される」という落とし穴もある危うい道でもある。洗脳から逃れつつ、しかも母を肯定する、という危うい綱渡りを最後まで描ききったのがこの作品のすごいところなので皆さん見てください。