メリケン日記2023-07-05

日記

As philosophy is not my major, my knowledge about it is rather limited. I am just an amateur learner of philosophy and have been exploring philosophers’ works in my own way. For instance, I am fond of Lévinas and Kierkegaard but tend to avoid contemporary philosophers like Deleuze or Derrida. While experts might shrug, I don't mind. I am primarily drawn to the radical nature of philosophy rather than its extensive body of knowledge.

In fact, I had not read Kant's works until recently. His writing style is excessively formal and lacks literary qualities. However, I have been reading his books for a few months now. As expected, it has been a rather tedious experience. While I understand his endeavor to disentangle morality from desire, his discussions appear unnecessarily convoluted. It would be preferable if he could have rewritten his works more concisely.

コメント

カントは大学生のときに一度チャレンジしたけれど、カントがいったい何を問題にしようとしているのかがよくわからなくて挫折した。どうやって理性は現実を認識するのかみたいな話だったと思うけど、そんなん現に認識できてんだからどうでもいいじゃん、と思った気がする。

このブログでよく取り上げるヒースがカントにすごく影響を受けているようなので、まず『道徳形而上学の基礎づけ』を読み、今は『実践理性批判』をもうちょっとで読み終わりそうだ(『純粋理性批判』はまだ)。かろうじてカントの問題意識がわかってきた気もしないでもないけど、でもやっぱり現に道徳的に行動できてんだからどうでもいいじゃんとも思ってしまう(カント自身も、道徳は普通の人が普通に持っているものなので、哲学書で道徳を高めるとかは無理みたいなこと書いてる)。

自然科学ではうまく説明できない領域として、叡智界(つまり道徳法則の支配する世界)を位置づけたのは重要な気もする。実際、そういう領域を残しておかないと、人間のやることなすこと全部科学で説明できることになって、人間の自由なんてものはどこにもない、ということになりそうだし。で、実際、道徳があるからこそ自由があるというのはかなりリアリティのある考えではあると思う。『水星の魔女』でも、スレッタは母の洗脳が解けて自分なりの道徳に従ったからこそ自由に生きられるようになったわけだし。

ただ、カントの議論はそこまでで止まらないで、神の存在とか魂の不死とか、エピクロスストア哲学との対比とか、最高善はあり得るかとか、私にとってクソどうでもいい議論にまで突き進んでしまうのでうんざりしている。あと数十ページ。持てよ私の忍耐。