【読書ノート】Jacques Godbout(1998)The World of the Gift 第5章

抜き書きとコメント

Chapter 5 The Gift and Merchandise

p80 カーネギーパラドックス

Carnegie's work draws on traditional values (loyalty, enthusiasm, team spirit). Of course, there is much emphasis placed on money, but at the same time the author seems to say that money will come as a supplement, that it must not be one's immediate goal. All the ambiguity of his message, presented at the outset as a miraculous formula, is implicit in this dual doctrine: "Make the other person feel important- and do it sincerely" (145). The author whose aim was to let readers in on the secret for making relationships answerable to business, for learning to succeed in life," must in the long run, as he himself admits (132), return to the precepts set forth by all of humanity's sages, from Confucius to Jesus Christ: be concerned about others, but sincerely, not for utilitarian motives, not as a means to an end but as an end in itself. And when you do this you will also reach the goal of material success, as a bonus. That is what we call the Dale Carnegie paradox and it shows clearly that, even in the mercantile sphere, the instrumental use of social ties is not as simple as it appears in utilitarian dis- course.

  • ここで出てくるカーネギーというのは、『人を動かす』とかを書いた人。人間関係に関わる自己啓発本の元祖、でもないけれど、準元祖くらいの人だと思う。僕も学生のとき読んだなあ。ここに書いてあること真似して、「私はあなたの立場に立っています」ということをめちゃくちゃアピールしたメールを人に出したら「何言いたいのか意味わからん」という返事が来てショックを受けた思い出がある。何事も極端はよくない。
  • で、ここでいうパラドックスというのは、「ビジネスを成功させるには他人に関心を持ってコミュニケーションしないとならないのだけど、でもビジネスの成功という利己的な動機でコミュニケーションしているわけだから、それは本当には他人に関心があるわけではないよね?」というようなことだ。
  • 僕が学生時代に失敗したのもこのパラドックスが関わっている気がする。僕は本当はその相手に関心が無かったのだ。それなのに、自分の要求を相手にのませるために、さも相手に関心があるかのようなメールの書き方をしたから、その相手からしたらわけわからん文面のメールになってしまったのだろう。もしかしたら、こちらの浅はかな打算も見透かされていたかもしれない。ああ恥ずかしい。
  • ここの記述が贈与と何の関係があるのかというと、つまり、贈与によって築かれる人と人の絆がビジネスの成功に導くこともあるのだけど、かといってビジネスの成功を目的として絆を築こうとしてもうまくいかないし、贈与とビジネスの関係って一筋縄ではいかないよねえ、ということをここでは述べているのだ。そして、本章ではそういう一筋縄ではいかないトピック(アート、臓器提供)について考察していく。

p83 アーティストは顧客を顧みない

We could define the "ideal type" of the artist (in Max Weber's sense) in terms of a number of attributes that set artists apart from other producers in contemporary society. First, in contrast to the other producers of goods and services, they devotes themselves entirely to the product, without regard to the clientele. Other producers in this society are usually answerable to intermediaries located between them and the eventual consumer of the product.

  • この章ではビジネスと贈与の関係についてあれこれ議論している。ここではアート作品の話だ。
  • アート作品は商品であって、アーティストは商品生産者なのではないか? 今は売れることを露骨に目的としたアート作品がたくさん世の中に流通しているし、こういう考え方をする人も多そうだ。でも、筆者はそういうのではなく、もっと古典的な芸術観から、アートはビジネスではなく贈与されるものだという風に性格付けている。アーティストは顧客のニーズを調査して作品をつくるのではなく、自分がつくりたいものをつくる。まず、その点でアーティストは商品生産者とは異なる。
  • もちろんこれは筆者が言うように理念型(ideal type)としてのアーティスト像でしかない。実際にはほとんどのアーティストが売れることも意識して作品を作るだろう。ただ、その一方で、自分がつくりたくないものはつくらない、という矜持もほとんどのアーティストが持っているのではないだろうか。
  • 某漫画家がどっかで、自分は漫画を描くとき、原稿料に見合う水準よりもちょっと高い品質で仕上げるように心がけている、とかいう主旨のことを言っていた記憶がある。言い方が正確に思い出せないから誰かは書かないけれど、とてもしっくりくる考え方だと思った。多くの漫画家は、漫画を描くのが好きだから漫画家になるはずだ。だけど、それがやがて「生活のため」という風になっていくと、漫画を描くことはただの労働になって、創ることの喜びは失われていく。「描きたいから描く」という部分を残すためには、たとえば原稿料が1枚1万円なら1万2,000円分仕事をするように意識する。その2,000円分で、漫画が好きだという自分の気持ちが救われるわけだ。
  • コーンの『報酬主義を超えて』という本でも似たような話が書いてあったなあ。楽しくお絵かきしている子どもたちに、「お絵かきしたらご褒美をあげるよ」と言ったら、とたんに絵のクオリティーがだだ下がりになるのだそうだ。アートにはやはり「やりたいからやる」という部分があるのだと思う。

p84 アーティストにとって大事なのはアーティスト同士の共同体

The idea of the avant-garde is the most extreme and perverse example of this. To be successful, for the avantgarde, is proof of failure. For the avant-garde, all that counts is the appreciation of other artists, in other words the community of producers. The temptation is always great, among modern artists who want to reconstitute a lost community, to cut the producer off from the users and to fall back on a community only of producers. This brings us to a second aspect of the artist-myth: the great importance accorded the production process itself and above all the link between the product and the producer

  • ここらへんもアーティストの「理念型」の話。芸術のことがわかるのは芸術家だけだ、みたいな考え方。

p84 クライアントもアーティストの仲間

And this brings us to a third feature. In the artistic system, the producer and client are not such discrete entities. The client shares the values of the producer. She likes to think that in acquiring a "work" (we are not even talking about a product), she is in some way participating in the artistic community. And so she must respect the work and its creator, she must not treat the work as a mere product.

  • アーティスト理念型の特徴3つめ。クライアントだからってお客様ではない。作品を商品として扱うなんてもってのほか。
  • だんだん気になってきたけれど、ここで言われてる「理念型」って、ちょっと偏った芸術観に基づくものなんじゃないだろうか。たとえばセザンヌとかゴッホとか、デュシャンとかピカソとか、プルーストとかベケットについてなら、ここで言われていることは間違いではないと思う。
  • でも、たとえばシェイクスピアは、お客さんたちに楽しんでもらえる作品を書いたわけだよね。太宰治も、初期のころは『二十世紀旗手』みたいな分かる奴にだけ分かればいいみたいな作品を書いていたけど、中期以降は『富岳百景』とか『走れメロス』とか『お伽草子』とか、明らかに「お客さん」を意識した作品を書いている。それは決して「売れることがすべて」という考えではない。とくに太宰の場合は「心づくし」なんてことを言ってるし、むしろ筆者の考える贈与の発想で作品をつくっていたと思う。

p85 アーティストは贈与システムにおいて生きている

We are getting close here to the system of the gift. There is a sort of producer-client community, a community that modernity sets out deny. The artistic system rejects the producer-user split, so crucial to the foundations of modernity. And this gives us an insight into the ambiguous status of the artist in modern society: she doesn't belong to it. And we're back to square one. She is a creature of the gift system, not the utilitarian system.

  • アーティストが贈与の世界の住人だというのはわかる。でもその一方で、筆者が考える「アーティスト」像は結構偏っているんじゃないかという気もしている。筆者が考える「アーティスト」はお客を無視してひたすら芸術に奉仕するような存在だ。保坂和志がよくメルロ=ポンティの「演奏家ソナタに奉仕するのである」的な言葉を引用するけれど、それに近い芸術観だ。
  • でもその一方で、太宰のように、お客様への「心づくし」で作品をつくる芸術家もいる。僕の大好きなエピソードだけど、カフカはお人形を無くして泣いている女の子に「お人形は旅行に行ったんだよ。僕がお人形から手紙を受け取って君に渡してあげるよ」とか言って、自分でせっせと手紙を書いて、女の子に渡したのだそうだ。それも一回ではなく、何度も何度も。こういう、お客さんを楽しませる(というか慰める)ための芸術というのも大事だし、個人的にはそういう芸術の方に魅力を感じる。

p86-87 現代社会は生産者をおとしめてしまう。そんな現代社会を否定するものこそアートだ

Modern society, dedicated to the god of production, reduces the producer to insignificance while at the same time idealizing production. That is its paradox. And that is why it invents the myth of the artist. The unbounded respect for and glorification of the artist's product and act of production are a kind of mythic negation of the fact that the real production system destroys the producer.

  • 資本主義社会だと、生産者は商品を生産するための道具みたいな存在だ。人的資本なんて言い方があるけれど、まさに人は投資に対する経済的見返りを生み出す資本であり、土地や機械と同列に置かれる存在だ。
  • だけど芸術の世界の場合、生産者=アーティストはもっと価値ある存在と見なされる。それは、アーティストの資本としての利益率が高い、という意味ではない。むしろ、生産者をただの人的資本とみなしてしまうような経済至上主義的な見方に対して、アーティストという存在自体が一種のアンチテーゼになっているということだ。アーティストの存在には非経済的価値があるのだ。
  • 筆者と僕の芸術観は違うけれど、ここらへんの議論はわかる気がする。

p87 贈り物が商品化されることへの抵抗

The death of art, forecast for a long time, represents an end to this influence or, at the very least, to the illusion that it exists. Society therefore often strongly resists the transformation of certain gifts into commodities, even when these gifts are in part taken over by foreign systems such as the market. We can see this as well in the case of organ donation.

  • 最後のセンテンスに臓器提供の話が出てくるけれど、臓器提供もまたアートと同じように、商品化されるのを拒む贈与の領域に位置づけられる(同じような話が続くので臓器提供のところは引用しない)。

今回はここまで

  • 筆者の考え方としては、市場において贈与はみられない、ということなのかな? アートにしても、臓器提供にしても、贈与という性格を持っていて、そのために、市場での売買にはなじまない。アートの場合は実際には売買されているけれど、理念型としては、売買を目的としないのがアートなのだ、ということだろう。
  • ただ、ちょっと議論としては物足りないなあ、という気もする。たとえば先にも述べたけど、太宰みたいに読者のための「心づくし」で作品を創る人もいる。そういう作品は、贈与でもあるけれど、たくさんの人に売れる商品でもある(もっとも、太宰が売れたのはかなり晩年になってからだけど)。売ることを主目的としているわけではないにせよ、売れることと心づくしが矛盾しないような芸術家のあり方ってあると思うのだけど。
  • もうちょっと一般受けしそうな話題を書くと、フェアトレードとかエシカル消費とかはどうなのか。これらは贈与という性質を持ちつつも、決して売買を軽視しているわけではない。
  • ようするに、筆者のビジネス観とか芸術観って、ちょっと素朴すぎやしないか、という感じがするのだ。セゾンの堤清二みたいに、大経営者でありながら詩人・小説家でもあるという人もいる。人々に対して新しい形の豊かさを提示するという点で、堤清二のやったことはビジネスでもあって、芸術でもあるのではないか。そういう、ビジネスと芸術の微妙な絡み合いみたいなものを描いてくれたら面白かったんだけどね。

言及した本

カーネギー本。また読もうかなあ。相変わらず今もコミュ障だし、得られるものはあると思う。

報酬を与えるとかえって人はやる気を無くす、という事例をたくさん紹介してる本。

「心づくし」って、ネットで調べたら『如是我聞』に出てくる言葉みたい。太宰全集は大学受験が終わった後に一気読みした。時々再読にチャレンジするけど、なぜかいつも途中で飽きてしまう。

芸術家としての感性とビジネスとは決して矛盾するものではないし、むしろこれらをつなげなくては芸術はただの気晴らしにしかならないのではないか、というのをこの本を読んで思うようになった。捨てちゃったけどまた読み返したい。