抜き書きとコメント
Chapter 7 The Archaic Gift: Some Lessons in Ethnology
- さて、本章からは古代における贈与の話になってくる。
- 正直なところ、個人的にはあんまり興味のない話題だ。モースの『贈与論』を読んだ時も実はあんまり面白いと思わなかったし。不思議な風習を持っている社会があったとしても、だから何なのか、ってのがいまいちよくわからない。異文化理解という点では意味があるのかもしれないけれどねえ。だけど、現代社会の仕組みについて知りたいのなら、ダイレクトに現代社会を調べればいいのでは? わざわざ「古代」を経由することの意味がよくわかんない。
- そういうのもあって、なかなかこの章を読む気になれずちょっと放置していた。渋々だけど読んでみようと思う。
各節の要約とコメント
イントロ(p101-103)
・アリストテレスは、友愛(friendship)がなければコミュニティはあり得ないし、コミュニティがあり得なければ政治的秩序もあり得ないと考えた。
・社会的秩序とかいっても、古代社会はべつに義務でがんじがらめになっていたわけではない。何を贈与するかは自由だし、そもそもそういう義務は自分たちでつくったものなのだし、しぶしぶ贈与するなんてのは贈与とはいえないからだ。
・そんな簡単に一般化して良いのかにゃあ? とか言われそうだけど、まあ反例が無い限りは良いのではないでしょうか。
- なんかここのイントロ異様に読みにくかった。ちょっと誤読してるかも。
- モースの議論を古代社会一般に広げてみる、みたいなことをやろうとしてるのかな? 興味ないなあ。読みたくない。でも読まなきゃ。
Three examples of the archaic gift(p103)
・モースの言っているのは「北欧文明(?)では交換や契約はプレゼントの形で行われる。自発的で、かつ、お互いに義務を負っているのだ」ということだ。
・さて、ここで言ってることを古代社会全般に広げてみたい。モースは、こうして贈与の形式で交換されるものは、「礼儀正しい行為だ」と言っている。
・交換されるのはあらゆるものだ。だから、贈与は「全体社会現象(total social phenomenon)」なのだ。モースがあげているのはポトラッチとクラという例だ。
The Potlatch: Why destroy it?(p103-105)
・ポトラッチをやっていたのは北西アメリカインディアン。
・当時の法律ではポトラッチは禁止されていた。
・ポトラッチってのはお互いに威信をかけて贈り物を贈り合うこと。贈られてすぐ返す奴はクソ。そいつは負債の重みから逃れようとしているのだ。
・で、ポトラッチが過ぎると価値あるものをガンガン破壊したりもする。
- ここらへんはモースの贈与論に書いていることをただおさらいしてるだけ。つまらん。
- 現代におけるポトラッチの事例としてはポトラッチ丼があげられるだろう。
The circular gift: Kula (p105-109)
・クラというのも贈与の習慣。トロブリアンと諸島で、人々は島々を行き来して、相手に贈与して、お返しをもらう。そうして仲良くなっていく。
・お返し目当てのバーターは忌み嫌われる。
・贈与されるものに価値があるかどうかは、それが経済的に価値あるかどうかではなくて、どんな人の手を経由しているかによって決まる。
- ここもクラの復習みたいな話が延々とつづく。最後の方でフェミニストへの言い訳みたいなくだりがあるけど(男どもがクラを実践できるのは女性のおかげだみたいなの)、別にここで言う必要ないと思う。
The traditional gift and the market(p109-113)
- 今度はアフリカかどっかの民族の贈与システムについての説明。うーん。興味ないー。
On the nature of primitive money (p113-117)
・古代のお金と近代社会のお金って何かちがうのかなあ。
・古代のお金はモノの価値ではなく人の価値を計るのだ。
・お金は集合的記憶の媒体だった。
- やっと読み終わった。結局、この章全体をかけて言いたかったのはこのことみたいだ。古代のお金ってのは贈与されるものであって、人の価値を計るのではなく、贈与のプロセスにたずさわった人の価値を計る。
今回はこれまで
- 正直、退屈な章だった。しかも読みにくい。著者自身も文化人類学的な話に深入りするつもりは無いというようなことを何度か書いているんだけど、それでもくどい。
- いや、こういうの好きな人は本当に好きなんだろうけれど、僕は全く興味を持てない。世の中にはいろんな風習を持った社会がある。それはそうだ。でも、それはそれだけのことではないのだろうか。