AI関係の文献を何冊か読んでいくと、心を持つロボットなんて当分生まれそうにないという雰囲気がなんとなくわかってくる。いかにディープラーニングがすごいったって、ディープラーニングは囲碁やら自動運転やらの特定の領域で成果を上げているにすぎない。つまり、画像認識みたいにAIに得意な領域で勝負してるからすごいんであって、ヨガ指導とか介護サービスみたいな領域で勝負したらディープラーニングは人間にボロ負けだろう。ディープラーニングは身体に根付いたものではないし、それゆえに心も持たない。好きな人に触れられてドキドキなんてのもわからなければ、汗臭いおっさんに隣に座られて不快極まりなしという感覚もわからない。「汎用AIなんて近いうちにできますよ」と嘯く人はいるけれど、そういう人はたいてい、その汎用AIのメカニズムを説明せずに、「これまでの技術進歩のペースがこんな感じなので、それを外挿したらたぶんこれくらいの時期には汎用AIができてると思います」みたいなあやふやな根拠しか挙げることができない。わかんないならわかんないって言えばいいのに。AI業界は有象無象の山師でひしめいている。
この本はそういうくだらないビッグマウスとは全く無縁だ。極めて堅実でなおかつラジカルなアプローチでロボットに心を持たせようとする研究成果をまとめている。基本的にロボット工学の本だけれど、ロボットに心を持たせるためならどんな知見でも使ってやるぜという意気込みがあって、第3章は現象学、第4章は脳科学、第5章は力学系にそれぞれ当てられている。特にびっくりするのは現象学の章で、単に「哲学の方にはこんな議論もありますよー」と適当に言及して終わり、というものではなく、かなり真正面から哲学に取り組んだ上でロボット研究に落とし込もうとしている。ハイデガーがロボット研究につながるなんて想像もしなかったよ1。でもこの議論が第7章では、ロボットがいかに外部世界に対する主観的見方を獲得できるか、ということを明らかにするための実験の解釈で生かされている。
このロボットは、いつ何時、雪崩を起こすがごとく認知機能が崩落して壁に衝突して「死ぬ」かわからないのだ。だが私は、この非決定性からこそ、正真のロボットの可能性が生じるのだと考える。これは人間の本来的存在についてハイデッガーが述べたことを念頭に置いたものだ。 (p123)
この引用部を読むと、ずいぶん文学的な書き方をするんだなあ、という感じだけど、ここは例外的だ。次の引用は上記の記述に関連した内容だけれど、書き方はずっと客観的だ。むしろ、本書ではこうしたスタイルの文章の方が多い。
本実験から得られた興味深い知見は、安定的フェーズと不安定的フェーズとの間の移行は、タスク空間の環境自体は静的だったのに自然発生的に起こったということだ。安定的フェーズにおいて、内部ダイナミクスと環境ダイナミクスとの整合性が、主観的予想が観察と密接に一致することにより実現される。あらゆる認知プロセスと行動プロセスは、なめらかで自動的に進行し、主観的な心と客観的な世界とは何ら区別がつかない。不安定的フェーズでは、この区別が明示的となる。というのも予測誤差という葛藤が、主観的な心の期待と、客観世界で生成された結果との間で生み出されるからだ。つまり、この非整合性の瞬間において、ブレーク・ダウンした自己と環境のそれぞれについての意識が初めて生じる。その不整合性を解決しようとする葛藤から、両者への意識が立ち現れるのである。一方の安定的フェーズではすべてのプロセスは無意識的に進行する。というのも意識を生み出すような葛藤がないからである。 (p121)
ときどき挿入される文学的表現は、あくまで読者へのサービスみたいなものだと思う。2番目の引用も、論文としては少し文学的すぎるけれど(「非整合性の瞬間」とか「意識が立ち現れる」とか)、そこらへんをもうちょっと無味乾燥にすれば、そのまま論文として通用する書き方になっている。こうした堅実な書き方で、「ロボットの心」という、ほとんどSFのような問題を探求していくのだ。しかも、筆者自身の実施した実験結果を根拠として用いつつ。ページをめくるごとに、フィクションと現実がどんどん地続きになっていくようで、ものすごく面白い。読むごとに世界観がひっくり返されていくような驚きがある。
しかし堅実なだけに難しい。一般向けに理論や実験内容を端折ったりしないので、予備知識が無いとかなりあやふやな理解のままで読み進めることになる。自分の場合、力学系の勉強はほとんどしたことがないので、5章あたりから読むのがつらくなってきた2。ときどき筆者の文学的表現が入るので、感覚的に何を言おうとしているのか理解するのに助かるのだけど、理屈ではあんまり理解できてないと思う。クラークの『現れる存在』でも力学系の話は出てくるものの、よくわかってなくても読み進めるのにあまり支障はない。だけど本書の場合、力学系の知識が無いと理解できない図が結構出てくる。
力学系に限らず、グラフを見ていても、この変数はいったい何を意味してるのか? というのがわからないことが結構ある。「体性感覚」ってどういう変数? 体性感覚が何かというのは何となく分かるけれど、体性感覚が0~1の間の値を取る変数だ、というのがどういうことなのかよくわからん。あと、8章あたりから頻発するPBという変数がなんなのかもわからん。p126で「パラメトリックバイアス(PB)」と記述があるだけで、そのパラメトリックバイアスとやらが何なのか解説されてないと思う。なのに、8章以降ではこのPBが実験において超重要変数として扱われているのだ。「予測誤差」とは違うんだよねえ…。なんなんだろう。
実は本書をまだ読み終わったわけではなくて、残りまだ50ページくらいある。でも、すでにもうついて行けてない感じがするので、読みかけのまま読書ノートを書いてみました。力学系勉強して、いつか再チャレンジしてみるかなあ。それだけの価値はある本だと思う。