【雑文】ホロウナイトで理系アレルギー解消

Hollow Knight

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この数週間ホロウナイトというゲームを毎日プレイしているのだけど、もうすぐクリアしそうだ。クリアというのは、俗にいう「真エンディング」の方でのクリアです。

最初このゲームをやり始めたころは、その直前に「フェノトピア」という鬼のように難しいアクションゲームを完全クリアしたばかりだったので無敵感があり、そんなに苦労せずにサクサク先に進むことができた。「まあ、どんなに難しいったってフェノトピアの前ではこんなもんだよねえ」と舐め腐った気持ちもあった。

しかしそれは大間違いだと間もなく気づいた。進めば進むほど、どんどんアクロバティックな動作が要求されるようになってくる。ボス戦も、行動パターンの順序にランダム要素が割と入ってきて、すばやく反応できないとどんどん体力を削られてしまう。仮のエンディングを迎えた後、「真」の方でクリアするには、理不尽としか思えない動きをするボス数体と、マゾのパラダイスとしか思えない狂気のステージを踏破しないとならない。はっきり言って迷惑だ。やめてほしい。こちらはゲームにかまけているほど時間に余裕がないのだ。

もうやめて! いや、むしろ俺がやめる! と何度も叫び、Switchを押し入れの段ボールの中に放り込んだ。そして何度も取り出した。アル中が性懲りもなく酒に手を出すように。そして、懸案のボス数体を何とか撃破し、マゾ専用ステージを、何度ものこぎりに切り刻まれながらも踏破し、今は真のラスボス戦の直前にまで到達している。倒せる自信はない。またSwitchを段ボールに放り込むのが目に見えている。そしてまた取り出すのも目に見えている。そしてなんだかんだでクリアしてしまうのだろう。ああ忌々しい。なんたら忌々しいゲームだ。それなのに今は配信でホロウナイトのサントラピアノバージョンを聴きながらこの記事を書いている。ああ、なんということか。わたしはいつの間にか、この忌々しいゲームが大好きになってしまっていたのだ。

さて、前も別の記事に書いた気がするけれど、わたしはアクションゲームが得意でない。反射神経が鈍いし、操作ミスも多い。スーパーダッシュをしようとして地図を開いてしまったり、漆黒のダイブ(だっけ?)をしようとして波動拳みたいなのを出してしまったり、左に逃げようとして右に突っ込んでしまったり、ありとあらゆる操作ミスを連発している。それでも、フェノトピアにせよ、ホロウナイトにせよ、何度も死んでは改善策を考え、再トライしてまた死んで、を繰り返すうちに、必要なスキルが着実に身についてくる。そして、「こんなめちゃくちゃな動きをするボス、倒せるわけないじゃん」と思っていたボスであっても、だんだん攻撃を食らわなくなり、最終的には結構余裕を残して勝てるようになる。そういう体験をくりかえすうちに、「こいつは今は倒せないけれど、あと10回くらい死んだら倒せそう」という前向きな姿勢も生まれてきた。

フェノトピアもホロウナイトも、実は反射神経よりも分析力が要求されるアクションゲームだと思う。敵の攻撃パターンを把握して、それぞれの攻撃にどのように対処するのが最適かを分析する。最初は、敵の派手な攻撃を前にして、ひたすら画面の端に逃げてはかえってダメージを食らったりしていても、逆に突っ込んでみると、意外と至近距離は死角になっていることに気づいたりする。突っ込んでくる敵をジャンプでかわしてもすぐに切り返しでやられてしまう、という場合は、ジャンプ以外の方法でかわす方法と組み合わせると案外うまくいったりする。

大事なのは、問題を複数の小さな問題に分割することだ。「ボスを倒す」という大きな問題は、「ボスの切り返し攻撃を回避する」「ボスが飛ばしてくるへんな虫を効率的に皆殺しにする」といった小さな問題に分割して、ひとつひとつを確実にクリアしていけばいい。ひとつひとつを確実にクリアするスキルが身につけば、ボスの攻撃パターンの発現にランダム要素があっても、瞬時に身体が動いて対応することが可能になる。つまり、反射神経が鈍くても、大きな問題を小さな問題に分割してした上で練習を重ねればなんとかなる。そして、大きな問題を小さな問題に分割する能力こそが分析力だ。そういう意味で、これらのゲームは反射神経よりも分析力が要求されるのだ。

さて、こういう問題解決の方法は、ゲームに限らず、いろんなところで応用できるものだと思う。たとえば文系の人と話すと、「わたしは数学がまったくダメで」ということを言ってくることがたまにある。で、だから統計学はちんぷんかんぷんです、とか言ってきたりする。だけど、たぶんそんなことなくて、文系の人でも勉強すれば統計学を理解するのは難しくないと思う。いきなり「統計学がわかる」を目指さずに、たとえば「正規分布とは何だ?」というのを確実に理解するようにする。急いで教科書を読み飛ばさないで、正規分布のあの複雑な式がどこから出てきたのかというのを数式を書き写しながら理解していく。そして、最終的には教科書を読まないでも自分で正規分布の式を導き出せるくらいまで持っていく。そうやって、小さな問題を確実に解けるようにして、ちょっとずつ大きな問題を解けるようにしていくのだ。正規分布とは? という問いもかなりでかいので、さらに分割してみるのも必要だろう。たとえば、正規分布みたいな理論上の分布と、現実世界での標本分布とは意味がちがう、というのも理解しておくべき小さな問題だ(いや、これでもまだでかいんだけど)。そうした問題分割を適切に行うには、「自分は何がわかってないのか?」を理解するための分析力が必要だ。分析力をどう鍛えるか、というのはまた別の問題なので、ここでは考えない。ただ重要なのは、分析力さえあれば、文系だって、統計学を理解することができるということだ。それは、アクションゲームが苦手な人でも分析力さえあればフェノトピアやホロウナイトをクリアできるというのと同じことだ。

ただ、とくに文系の人の場合、「勉強とは、本や論文を大量に読むことだ」と思い込んでいる人が多い気がする。苦行のように量を読むことこそが勉強であって、古典を人より1冊でも多く読んでないのは恥だ、みたいな感覚があるんじゃないか(もちろんそうでない人もたくさんいると思う。あくまで、わたしにとって身近な文系の人たちをイメージして言っています)。

そういう風に「量」を重視しすぎた勉強をしていると、統計学の教科書を1冊読むのに何ヶ月も時間をかけるのは馬鹿馬鹿しく思えるのかもしれない。でも、そうやって時間をかけるからこそ適切に問題分割をして、ひとつひとつの小問題を確実にクリアすることができるのだ。フェノトピアもホロウナイトも初回クリアにはかなり時間がかかるゲームだ。真エンディング達成を目指すなら、フェノトピアなら100時間、ホロウナイトでも50時間以上かかるんじゃないか。せっかちな人なら、ひとつのゲームにこんなに時間をかけるよりも、もっといろんなゲームを楽しみたいと思うかもしれない。でも世の中には、時間を掛けないと理解できない問題というものがある。逆にいうと、時間さえ掛ければ多くの問題は理解可能だともいえる。

だから、数式アレルギーの文系の人はフェノトピアとかホロウナイトとか頑張ってクリアしてみると良いと思う。むちゃくちゃなこと言っているようだけど、これらのゲームをプレイするときの頭の働かせ方って、統計学や数学を勉強するときの頭の働かせ方と結構似てる気がする。「こういう頭の働かせ方があるんだ!」と気づいたら、統計学や数学の勉強にスムーズに移行できるんじゃないだろうか。