【読書ノート】Morality, Competition, and the Firm 第1章

1_A Market Failures Approach to Business Ethics

イントロ

利潤最大化と自己利益はちがう概念だということに注意してほしい。経営者は自己利益を最大化しているわけではない。利潤最大化を経営者の「義務」として考えてみよう。 (p25)

1.1. The Profit Motive

医者は患者に対して義務を持っており、自己利益のために行動しているのではない。経営者にとっての利潤最大化とは、医者にとっての患者に対する義務のようなものだ。(p27)

裁判において、弁護士は依頼者のために弁護する。これは、別に依頼者が無罪となるのを弁護士が「善いこと」だと思っているからではない。裁判システムの中で、弁護士は依頼者の弁護をする役割を持っているから弁護するのだ。依頼者がレイプ犯だろうと、弁護が必要であることには変わりない。だから、システム全体がどう機能するのか、ということを無視して倫理について云々することはできない。企業経営についても同じことで、私企業のシステムを正当化するものは何か、ということを考えずにビジネス倫理について云々することはできない。なぜ企業は利潤を追求する資格があるのかを理解しなければ、経営者の責任について理解することはできない。 (p28-29)

1.2. What Justifies Profit?

経済に利潤動機を導入する主な理由は、価格メカニズムがきちんと機能するようにするためだ。価格メカニズムがなぜ重要なのかというと、価格メカニズムがあるからこそ効率性が達成できるからだ。つまり、ムダを最小化できるのだ。 (p29)

市場経済の機能とは、生産された資源を可能な限り効率的に利用することだ。そして、市場経済における企業の役割とは、利潤を求めて他の供給者や購入者と競争することで、約定価格を実現することだ。だから、経営者は企業の利潤を最大化する義務があるのだ。 (p31)

1.3. Milton Friedman

経営者の株主に対する関係は、弁護士の依頼者に対する関係と同じだ。 (p32)

フリードマンは、経営者の義務とは、株主のためにできるだけお金を稼ぐことだと言っている。でも、ちょっと舌足らずな言い方だ。彼は「経営者は株主の欲望を満たさなければならない」なんて言い方をしているけれど、これはへんだ。だって、経営者は株主の召使いではない。株主が「俺、今度銀行強盗しようと思ってるんだよね」って言ったら、経営者はその手助けをする道徳的義務がある、なんてのは馬鹿げた話だ。むしろ、株主に対する経営者の義務とは、株主の投資に対してきちんとリターンを出すことだ、と考えた方がいい。 (p32)

ごまかしてお金を稼いだらなぜダメなのか? チェスだと、ごまかすことも勝つための戦略になるのに、ビジネスの場合はなぜダメなのだろう。 (p33)

パレート最適を達成するためには、情報は対称的でないといけない。つまり、各主体は取引に関して、みんな同じだけの情報を持っていなければならない。フリードマンが言いたいのは、経営者は市場の不完全性を利用して利潤を稼いではいけない、ということなのだ。利潤最大化のための戦略は、完全競争の下で許されるものに限られる。 (p34)

道徳と法律は補完的だ。道徳を法律で代替しようとしてもコストがめちゃくちゃ高くつく。たとえそれで効率性が達成できたとしても、ぜんぜんペイしないだろう。道徳の場合、そういうコストはかからない。 (p34)

市場の失敗というのは、市場の不完全性につけこむことだ。だから、ごまかすことも、環境汚染を広げることも、完全競争下で許されないやり方で利潤最大化をめざす戦略だという点では同じだ。 (p35)

フリードマンの考える利潤最大化戦略のフレームワークを以下に整理しておこう。(p35)

許容できる 非道徳的 違法
e.g. 価格を下げる、品質を上げる e.g. 汚染、誇大広告 e.g. 詐欺、窃盗、横領、虚偽の広告

1.4. A Market Failures Based Code

あらゆる企業がすべてのコストを内部化している場合、それ以上「社会的責任」を求めることはできない。 (p36)

市場の失敗アプローチの良いところは、「適切な」汚染水準を決定できることだ。他のアプローチではこんなことできない。 (p36)

市場の失敗アプローチだと、たとえば次のようなことが義務条項となる。 (p37)

  1. 負の外部性を最小化せよ
  2. 価格と品質だけで勝負せよ
  3. 企業と消費者の間の情報の非対称性を取り除け
  4. 所有権が拡散していてもそれにつけ込むな
  5. 参入障壁をつくるな
  6. 競争を無くすための内部補助をするな
  7. 市場の不完全性を正すための規制に反対するな
  8. 関税などの保護手段を求めるな
  9. 価格水準は外生的に与えられるものとして扱え
  10. 消費者や他の企業に対して機会主義的な振る舞いをするな

たとえば、消費者に対して何も有益な情報をもたらさないような広告は、市場シェアを獲得するための戦略として排除すべきだということになる。ムダな広告を各企業がガンガン出し合って競争しても、経済全体には何の利益ももたらされない。広告競争というのはゼロサムゲームなのだ。 (p37)

広告競争というのは軍拡競争のようなものだ。だから軍縮と同じように、すべての企業が合意した上で、毎年ちょっとずつ広告の量を減らし、最終的にゼロに近づけるようにするべきだ。 (p38)

1.5. Further Directions

完全競争にできるだけ近づければ、効率性もできるだけ高めることができる、というわけでもない。経済学でいう「次善の理論(second-best theorem)」という奴だ。たとえば、ひとつの関税を手つかずで残しておいたら、その他の関税をかなり小さくしたとしても効率性は良くならず、かえって関税を追加した方がマシということさえありうる。

感想

経済システムにおける経営者を、裁判システムにおける弁護士とのアナロジーで考える、というのはすごくわかりやすい。弁護士がレイプ犯を弁護していたとしても、それは弁護士がレイプを許容しているということにはならない。あくまで、裁判システムがきちんと機能するためには、弁護士はきちんと弁護の仕事をすることが必要だというだけのことだ。裁判システムの機能が「公正な裁判」だとしたら、経済システムの機能は「財の効率的な配分(パレート最適)」だ。経営者が利潤最大化を目指すのは、そうすることが経済システムがパレート最適を達成する上で必要だからだ。

そして、同じ理屈から、利潤最大化のための戦略に制限がつけられる。つまり、市場をゆがめたり、市場の不完全性につけ込むようなやり方で利潤最大化を目指す戦略は「道徳的」に認められない。たとえば、汚染やまぎらわしい広告は道徳的によろしくない。そうした場合、たとえば広告競争を一種の軍拡競争と見なして、企業同士の合意の上で少しずつ広告の量を減らしていくべきだ。

なるほど、と思うのだけど、問題は、そういう道徳的によろしくない戦略をどうやって排除すべきかということじゃないだろうか。広告競争の場合は、どの企業にとっても広告費を減らすのはありがたい話なので、うまく交渉がまとまるような気もする。

だけど、ESG投資みたいに考慮すべき範囲をやみくもに広げてしまうと、企業活動を評価する基準が曖昧になってしまう。すると、投資家は投資すべき企業をきちんと選択できなくなってくるので、企業としても、どういう戦略が道徳的なのかがわかりにくくなってくる。たとえば二酸化炭素を排出してもしなくても投資量が変わらないのなら、企業としては、二酸化炭素を排出することは道徳的に認められているのだと判断するだろう。ある戦略を道徳的によろしくない戦略と見なし、企業間で合意した上でそうした戦略を排除するためには、ヘルマン=ピラートが言うような「相互承認」プロセスが必要なんじゃないだろうか。

別の話題だけど、フェアトレードは市場の失敗アプローチにおいて否定されるべきものになる可能性がある。なぜかというと、コーヒー農家の収入が低いのは市場の失敗によるものだとは言い切れないから。むしろ、フェアトレードによってコーヒー豆が過剰に生産されてしまうため、市場の失敗アプローチの立場からはフェアトレードは非道徳的であるということになるかもしれない。ここらへんも面白い(いや、フェアトレードに熱心に取り組んでいる人からしたら不愉快な話だと思うけど)。市場の失敗アプローチを使うと、(フェアトレードのように)道徳的だと考えられていたことが非道徳的になったり、逆に(利潤最大化に邁進する経営者のように)非道徳的だと考えられていたことが道徳的になったりする。すごくラジカルだし、その一方で議論にはものすごく説得力がある。なんでこの本、あんまり話題になってないんだろう? もしかしたら、この内容を一般向けに書き下ろしたのが『資本主義が嫌いな人のための経済学』なのかもしれない(結構前に読んだのであまり内容覚えてないけど)。