【雑文】落ち込んでいるときに元気になれるカオスな言葉たち

わたしは基本人間嫌いなので人に会うとだいたい落ち込む。で、今は久しぶりの飲み会の翌日なのでバッチリ落ち込んでいる。こういうときに必要なのは迎え酒ではなくカオスな言葉だ。

言葉は人に意味を伝えるものでなくては意味がない。つまりカオスであってはいけない。それが社会のルールであって、理性という奴なのだけど、ときどき疲れてそんなルールやら理性やら何もかもブン投げて泣き寝入りしたくなることもある。そういうときに必要なのは革命ではなくタックスヘイブンでもなくカオスな言葉だ。

何を言っているか意味がわからない? だとしたらそれはあなたが落ち込んでなくて疲れてもいない証拠だ。そういう人は元気に今日も人間社会に帰還して商談などをまとめて社会にパレート改善をもたらしていればいい。人間未満の気分で落ち込んでいる今日は、人間未満に寄り添ってくれるカオスな言葉たちを並べていよう。

舌のまだよくまわらない子供が
「やきぼそ」といったので
おれは
やきそばのかわりに
ほそい「やきぼそ」をいためて食うたさ

子供が「おひねる」といったので
おれも
お昼寝しないで
おまえとまくらをならべて
「お日寝る」ばかりしていたさ

藤井貞和「子供」(『ピューリファイ!』所収)より抜粋)

わたしが世界で一番目だか二番目だかに好きな詩人である藤井貞和の詩はだいたい言葉が壊れていて、言葉の壊れ具合を楽しむ詩だと思って楽しんでいる。意味がわかんなくても「おひねる、おひねる」と口ずさんでるだけでカオスな気分になれて楽しい。

かなえてよ
全開だわ 
タイヤ背負う
いっぱい
Warning まだ
危機管理エンジョイ
とりどり咲いた色キャンバス駆け抜け
Sunsetだわ
考えてばかりじゃ
そう 前へ!

(コーロまちカド「よいまちカンターレ」より抜粋)

わたしが今年見たアニメで一番目だか二番目だかに好きな作品『まちカドまぞく』第1期のエンディングテーマ。原作者がじきじきに作詞したらしい。正直、まったく意味がわからない。「タイヤ」とか「危機管理」とか、ストーリー上のキーワードが出てくるけど、全体として何も意味を成していない。それでいて最後に「そう 前へ!」とつけることで強引にまとめあげている。なんという度量か。「そう 前へ!」をつけることに躊躇する凡百の詩人どもはこの歌詞の前にひれ伏せよ!

もう 勘が冴えて悔しいわ
無意識に運べたら楽だろうな
淡々と笑えないわ
取り繕ってしまうわ
いつも
ゲラゲラ 道を塞ぐ民よ
感謝の言葉しか出てこないよ
後戻りはしなくていいの
今のところは 帰って眠るだけ

(ずっと真夜中でいいのに。「勘冴えて悔しいわ」より抜粋)

わたしが今年嫌な書類作業をするときのBGMとして一番目だか二番目だかにかけまくってた曲。改めて書き写すとそこまでカオスじゃないかも。普通の意味での意味はないのだけど、ひとつひとつの言葉の配置が適切だから感情やイメージが割と明確に伝わってくる。「もう勘が冴えて悔しいわ」とか「ゲラゲラ道を塞ぐ民よ」とか、日常の会話で出てきたら意味不明だけど、歌詞として聞くと「あるある」って言いたくなる。カオス度は弱めだけどよい。

耳がやたらに嘘をつく
通りの凍る晩
ぼくは座りこんでるよ
ねむけざましのうた
もうすぐさはいつの事か
ぐるぐる回って雲の上
手ものばせやしないとこ

(たま「ねむけざましのうた」より抜粋)

わたしが人生で一番目だか二番目だかに好きなバンドであるたまの曲。作詞は知久寿焼。「耳がやたらに嘘をつく」というフレーズが大好き。普通に考えれば「誰かが嘘をつくのを耳が聞く」のだけど、耳が嘘をつくのです。これを幻聴だとかなんとかもっともらしく理屈づけるよりも、そうかあ、耳が嘘ついてるんだなあ、と素直に受け取った方が孤独感とカオス感を楽しめてよい。

イヤダカラ、イヤダ

(内田百閒の言葉(出所未確認))

最後は内田百閒。芸術院とかいう奴の会員に推薦されたときこう言って断ったのだそう。嫌だから嫌だというのは論理的にはトートロジーでカオスなのだけど、どんな論理も突き破るまっすぐさがあって、こんなことを言われたらどんな厚顔野郎だって沈黙せざるを得ない。人はあれこれ理屈をつけたがるけど、突き詰めれば「嫌だから嫌」だし「好きだから好き」なのだ。落ち込んでいるときにカオスな言葉たちが輝いて見えるのは、そういうクソみたいな理屈どもをきれいさっぱり追い払ってくれるからだと思う。