【翻訳】ディキンソンのお葬式の詩

なんの脈絡もなくディキンソンを訳してみた。純粋な趣味です。たぶんあちこちに誤訳があるので、気になる人は自分で訳すなり自分でお金出して訳書を買うなりしてください。

訳したのは「I felt a Funeral, in my Brain, (340)」。原文は下記サイトから持ってきた。まあ、著作権なんて大昔に切れてるので問題ないだろうたぶん。

www.poetryfoundation.org

お葬式って感じだったな、わたしの頭のなかで、
参列者たちが行ったり来たり
歩いてた――歩いてた――いつまでつづくの
耳が破れるかと思ったよ――

やっとみんなが着席すると、
礼拝が始まった、ドラムみたいに――
鳴りつづけて、鳴りつづけて――いつまでつづくの
脳が痺れるかと思ったよ――

それから聞こえた 棺を持ち上げる音
わたしの魂がきしる音
鉛のブーツたちの歩く音、ああうるさいな、
それから空間が――ゆっくりと鳴り出した、

天国ぜんぶが鐘みたい、
存在がもう、耳みたい、
わたしも、沈黙さんも、居場所がないよ、
へとへとで、ひとりぼっちで、ここでわたし――

ついに理性の底板がね、割れちゃったの、
わたしは落っこちて、落っこちて――
世界に頭をぶつけたの、何度も何度も、
それで何もかもわかんなくなって――そして――

ちょいとググってみると、この詩の代表的な訳だと冒頭部分は「私は私の頭の中で、葬式を感じた」と訳されてるみたい。わたしは「お葬式って感じだったな、わたしの頭のなかで、」と訳した。

いや、たぶんわたしの訳の方が間違ってて専門家の人たちから見たらゴミクズなんだろうけれど、でも、こういう訳し方の方が個人的には好きなのだよね。ディキンソンの詩って、なんか子どもが言葉使って遊んでるみたいな感じがあって。

なんかわたし頭がおかしくなってきちゃってヤバいみたい、という頭のおかしい詩ではある。幻聴を描いているという点で、表面的には、幻覚を描いた芥川龍之介の「歯車」に似てなくもない。でも、「歯車」の場合は、そのあと芥川が自殺しちゃうから本当に精神がすり減ってたのだと思うけれど、ディキンソンのこの詩の場合、そういうすり減り方はぜんぜん感じられない。「自分の葬式」を主題にしているにも関わらず、クスクス笑いながら書いてたんじゃないかなあという気さえする。ヤバい世界を描いているのにユーモアがあって明るいのでディキンソンは大好き。ディキンソンの伝記とか読んだことないので、実はとんでもない闇を抱えた人だった…ということも考えられなくはないけれど、まあ知らん。作品は作品だ。マザーグースの作者が誰かなんて誰も知らないけど楽しんで読めるのだし。