【読書ノート】オストロム『コモンズのガバナンス』問読(第2回)
イントロ
もともとこのブログを始めたきっかけは『独学大全』に書いてあった「会読」という独学法を実践するためだった。
会読は、同じように本を読む人たちとともに行う共同行為である。これだけでも我々は、いくらか挫折や断念から遠ざけられる。(……)では、共に会読する人を見つけられない時はどうすればいいか。一つの方法は、一人でも始めてしまうことだ。(……)一冊の書物をただ読むだけでなく、他人にもわかるように文章化することは、何よりも理解を助け深める。インターネットを使えるなら、一人会読の要約(レジュメ)はぜひともネット上に公開すべきだ。誰かわからぬが、誰かが見ている(かもしれない)事実が、継続を支える。『独学大全』p221-225
この「他人のもわかるように文章化する」というのがポイントなのだよな。ただ読書ノートを作るだけならObsidianなりNotionなりに作ればいいのだけど、後から読み返すとなんか無味乾燥なものになりがちだ。それでブログを再開しようという気になったのだ。
とはいえ、やってみると割と面倒なのだよ。再開の決意はしたけれど、ついついサボりがちだった。それで、「継続する技術」というアプリを導入した。
三日坊主を解決する神アプリ|『継続する技術』で出来る事とは (teluru.jp)
これは、何かを習慣化するためのアプリだ。というとありがちだけれど、このアプリの特徴的なのは、習慣化したいものを1つしか指定できないこと。あれこれ目標を設定すると結局どれもつづかなくなってしまう。だったら1つだけにしてしまえばいい。それさえできなければお前はクズだ。トイレを使っても出したものを流せない連中と同等だ。クズになりたくなければ1つに絞って習慣化するがいい。お前がクズでなければきっとうまくいくからがんばってね。おそらくそういうメッセージが込められたアプリなのだと思う。
それで私は「ブログを書く」という毎日の目標を立てた。クズにならないために、毎日がんばろう。
オストロム問読(第2回)
問い:具体的な事例を教えて1
本書でオストロムは次の3つのテーマそれぞれについて事例分析をしている。
- どうすれば長期にわたって持続的で自律的に共的資源を管理できるのか? (第3章)
- 制度変化はどんな風に行われるのか? (第4章)
- 失敗したり脆弱性を持っていたりする制度はどういう特徴を持つのか? (第5章)
ここで、基本になるのは1番目のテーマだろう。だから、第3章から事例を1つ持ってくれば、本書のイメージが摑みやすくなるはずだ。日本人である私にはちょうどいいことに日本の事例が出てくるので、日本の事例を以下に紹介しよう。
日本の事例:村落での共有地管理
- McKeanという学者が日本の3つの村落を対象に調査研究した。以下、調査結果 p79-83
- 日本では何世紀にもわたって共有地が村落の制度によって管理されてきた。
- 森林や山間部の自然、草地が管理されてきた
- そもそもコモンズでどんなものが生み出されたの?
- 土地の所有権はどうなってたの?
- もともと土地の所有権は朝廷にあったが、16世紀後半の太閤検地の結果、村落に委譲された
- 村落の所有地に関する収支計算や分配の単位は世帯ではなく、組(複数の世帯で構成される)
- 一方、アクセス権は世帯単位で与えられる
- 個人には認められない
- 一方、アクセス権は世帯単位で与えられる
- 近代化以前の人口成長率は昔は非常に低かったので、村落内の所有権分布は大きく変化しなかった
- コモンズに関するルールはどんなものなの?
- 村の寄り合いで、コモンズから得られる有用な産物を各世帯がどれだけ収穫できるかが決められていた
- 寄り合いは、全世帯の家長が参加する資格がある
- コモンズの収量を高めたり維持したりするための共同作業が各世帯に求められた
- 年1回の火入れとか、樹木や茅を刈るとか
- 監視と罰則のルールもあった
- 不正利用者を探す監視員を雇っていた
- 不正利用とは、入山が認められていない時期に入山して収穫するなど
- 違反者は収穫物や道具、馬を取り上げられた
- 罰金を納めると道具と馬は返してもらえる。収穫物は没収
- 違反の程度が重いと村八分となる
- 不正利用者を探す監視員を雇っていた
- 村の寄り合いで、コモンズから得られる有用な産物を各世帯がどれだけ収穫できるかが決められていた
- どういうときにルール違反が発生するの?
- 入山が認められる時期(口明け)が来るのを待ちきれずに入山してしまうとき
- コモンズの管理に関する村の長の決定に納得できないとき
まだ口明けではなかったが、彼らは、自分たちの畑で育てている野菜に用いる支柱に必要な木の棒を切り出すために揃ってコモンズに入ってきた。もし彼らが適切な時期に木の棒を切り出すことができなければ、野菜の収穫が台無しになる。彼らは、村の長が的外れな口明け日を設定しているということに確信を持っていたのである。 (McKean 1986より) p81
- 日本では何世紀にもわたって共有地が村落の制度によって管理されてきた。
さらなる問い
ようするに入会地みたいなことなのかな? 入会地の定義はよくわからんけど。
疑問は、どうしてこういう社会規範が維持されてきたかということ。いくら監視があるったって、大勢の村人たちが違反をやるようになれば、監視が追いつかなくなるのは目に見えている。なんだったら、監視員に見つかっても買収するという手だってある。あるいは、監視員とグルで違反をするという手もある。まじめに監視員をやって報酬をもらうよりもずっと割が良いんじゃないだろうか。
ここらへんの問題は3章のまとめで議論されているみたいだ。明日、そこのところを再び問読していこう。
次回の問い:長期にわたって持続的で自律的な共的資源管理を可能にする社会規範は、どうして維持されてきたのか?
- 6章の結論はなんなのか、という問いも前回挙げたけど、それに答えるにはたぶん本をぜんぶ読まないといけない。まずはやりやすいところから取り組んで行こう。↩