【読書ノート】Jacques Godbout(1998)The World of the Gift イントロ

 

読む動機

  • 今書いている論文で、贈与についてちょっと触れてみたいのだけど、贈与論関係の本でちょうど良いのが無い。何で贈与が大事なのか、って、ある程度自分でも理屈は作れるけれど、自分の主張を援護射撃してくれるような既存研究があると助かる。
  • 現代思想系の人が書いた贈与本が多いっぽい。あと、バタイユの贈与論とか。いくつか読んでみたけど、なんか違う。「ちょっとでも見返りを期待したら贈与にならない」とか、「贈与の差出人は名乗ってはいけない」とか、「他なるものを迎え入れる」とか、そんなのばっかり。
  • 現代思想的にはそういうのを考えたほうが楽しいのかもしれないけれど、もっと、日常生活の中で人々が気楽に行ってる贈与という現象がどんな意味を持ってるんだろうなあ、くらいのゆるい感じの議論が欲しい
  • で、この本はそういうこちらの要求に応えてくれそうな気がする。勘違いかもしれないけれど、読んでみよう。洋書を読むのは苦手だから、ちょっとずつ。

抜き書きとコメント

Introduction: Does the Gift Still Exists?

p8-9 手作りジャムは重い

This example also shows that a present is an object that is linked to social ties. There is no question here of the quality of the gift--of the jam not being delicious. In fact it's because it is delicious and offered by the maker herself--thereby embodying something of her--that the offering may contribute to the creation of a bond. Because it's quality is so high, it carries the bond within it., harbours it, and so is dangerous for the recipient, strikes his "sensitive chord." And he cannot say "thank you."

  • イントロでは、贈与って古代社会限定の現象のように思われがちだけど、実は現代社会にもあっちこっちで見られますよー、みたいなことをいろいろ例示している。
  • その例のひとつとして、手作りのジャムを最近別れた彼氏にあげたら微妙な顔された、みたいなエピソードについての考察。
  • おいしくできた手作りジャムは彼女という人間がいくらか入っている(embodying something of her)といえる。ツバが入ってるとかフケが入ってるとかそういう話じゃなくて、もっと象徴的な意味でだ。で、それを受け取るということは、別れた彼女とまた絆が生まれてしまうということであって、それはまずい。だから元彼からしたら微妙な反応をせざるを得ない。
  • 好きでもない人から気合いの入った贈り物をもらうというのはきつい。もちろん、あげる側としてもありったけの勇気を出したのだ(僕はむしろあげる側に感情移入してしまう)。しかし、その勇気もまた重い。「ありがとう」と言ってしまったら、相手との間に絆ができてしまう。
  • あるあるネタではあるけれど、意外と多くの贈与論本ではこういうありがちな事例をあんまり扱ってくれない。こういうの読みたかったんだよ。
p12 贈与の重要性を示すには言葉を考えてみるといい。我々は日々言葉を贈与している。

The best way to see this is to reflect briefly on the status and function of speech. To illustrate the importance of the gift, we have given examples of the exchange of goods and services. But it is words first and foremost, sentences and arguments, that humans produce and exchange with others. Certainly, more and more, we speak only to pass on information or to give orders. But before providing information or seeing that others conform to our wishes, we must first use words to establish a relationship. … To be able to exchange goods and services, you must establish a minimum of confidence in and with the other, which generally implies that you “give your word” and that you cannot “take it back” without very reason. 

  • ここでは人間関係の基礎をなすものとして言葉の贈与を位置付けている。引用の最後の方の議論はちょっと推論主義っぽい。財やサービスを交換するには他者と最低限の信頼関係を持たなくてはならなくて、そのためには約束しなければ(give your word)ならない。そして、その約束(word)はちゃんとした理由がないと取り返し(take it back)が効かない。主張にコミットしたからには理由がなければそれを撤回できないというわけだ。
  • 言葉の贈与についてはこれ以上議論は深められていないけれど、重要な指摘だと思う。推論主義だと言葉というのは人々をルールで縛るものであるという面があると思う。人々は常に互いの地位について互いにスコアチェックをしあっている。だけどGodboutの場合、むしろ言葉を贈与することによって他者との関係を作り、他者を仲間に入れていくようなもっと開放感のあるものとして描かれているように思う。
  • ところで、この本なんか読みにくいなあって思ってたけど、上の引用文をDeepL翻訳してもあんまりきれいな訳文にならないし、やっぱり癖の強い文章なのかなあ。原著はフランス語で、それを英訳した本らしい。
p15 一次的社会性とか二次的社会性とか。人は市場とか国で生きているのではなくて、家族とか近所づきあいの中で人間になるのだ。

Now, it is very clear that no one lives first and foremost for the market and the state, in the market or in the state. Market and State represent focal points for what one might term secondary sociality, a sociality that relies on status and roles that are defined, for the most part, institutionally. To say that political and market sociality are secondary in no way implies that, constituting as they do a kind of superstructure, they are non-essential. It is simply a reminder that before human beings are understood in terms of any economic, political, or administrative functions they fulfill, they must be understood as persons: not just a conglomerate collection of particular roles of functions but autonomous units endowed with at least a measure of coherence all their own. The transformation of individuals into social persons does not occur first in the relatively abstract sphere of the market and the state, even if they make a certain contribution, but in the world of primary sociality, where, within the family, in relations with neighbours, in a comradeship and friendship, person-to-person relationships are forged.

  • 市場や国がからんだ関係性というのは二次的社会性(secondary sociality)に過ぎなくて、家族とかご近所付き合いとか友だちづきあいとかの関係性というのが一次的社会性(primary sociality)なのであって、一次的社会性においてこそ人間関係は形成されるのだ、みたいな話。
  • で、ここから、一次的社会性においては贈与というのがあるから、人間同士の絆が生まれるのだ、という話につながっていくのだと思う。
  • 当たり前と言えば当たり前の話だけど、じゃあ、なんで一次的社会性においてでないと人間関係は形成されないのか、という理屈を改めて考えるとうまく説明できない。メルカリ(つまり市場)で出品者とメッセージをやり取りしているうちに仲良くなった、ということはあり得ないと思うけれど、じゃあなぜあり得ないのか。そこのところを、これから考察していこうということなのかな?

今回はここまで

  • ふう、洋書は抜き書きするだけで大変だ。せっかく抜き書きしても読み返すの面倒だし。あと200ページもあるよ。面白い本だと思うけど、誰か訳してくれないものか。