【読書ノート】『正義のアイデア』第2章

第2章 ロールズとその後

イントロ(p99-)

  • 本章では、ロールズの正義論を批評しよう。
  • 正義に関する彼の考え方に賛成はしないけど、彼はわたし(セン)にとってこれまですごく刺激になってきた。本章では、私は単にロールズをディスりたいのではありません。大尊敬しているのです。でも、それはそれ、これはこれ。ちゃんとロールズを屠(ほふ)ってあげることで、わたしは自分の正義論を構築していくのです

公正としての正義――ロールズのアプローチ(p101-)

  • ロールズが正義について考えるとき、彼は「公正さ」というのを重視していた。つまり、無知のヴェールに包まれた原初状態というフィクションを考えて、そこで「偏りの無い」正義を考えようとしたわけだね1。そういう意味での「公正さ」だ。
  • もちろん、人々は多様だ。キリスト教の人もいればイスラム教の人もいる。社交的な生活を好む人もいれば、孤独な生活を愛する人もいる。でも、そういう多様性を考慮したとしても、公正としての正義というのを考えていけば、誰もが同じ一組の正義の原理に到達するであろう――これが、ロールズのアイデアだ。

公正から正義へ(p104-)

  • ロールズは、原初状態+無知のヴェールで正義について考えていったら、全員一致で一組の性の原理に到達するだろうと言っている。でも、それは非常に疑わしい。だって、「正義とは何か?」に関するわたしたちの考え方はもっと多様なものなのだから。前章でも「笛をめぐる3人の子供たちの争い」っていう楽しいお話をしてあげたよね? そういうことさ。
  • もっとも、ロールズもいろんな人たちに批判されて、「全員一致で」というのはだんだん言わなくなってきたみたいだけどね。
  • くりかえすけど、わたし(セン)はロールズをおとしめたいんじゃない。そんなことを邪推する薄っぺらなクソ野郎がいるかもしれないけれど、わたしとロールズの絆はそんなものじゃないんだよ。彼と親交を結んだことはわたしの人生で最大の幸せだ。その上で、わたしはロールズを批判してるのだよ。

ロールズの正義の原理の応用(p108-)

  • さて、それではロールズの正義の二原理をここでちゃんと挙げておこうかな。

第1原理:各人は、基本的自由を平等に保障する十分に適切な体制に対する平等な権利を持ち、それはすべての人にとっての同様な自由の体制と両立可能なものである。
第2原理:社会的経済的不平等は、次の二つの条件を満たさなければならない。第一に、機会の公正な平等という条件の下で、すべての人に開かれた職務や地位に付随するものであること。第二に、社会の最も不遇な人々の最も大きな利益をもたらすこと。

  • 言い方が難しいかな。大雑把に翻訳するとこんな感じになる。
  1. 基本的な自由に関してはみんな平等だ!
  2. でも不平等が全く無いというわけじゃない。次の2つの条件を満たしているのなら不平等もOK。
    b-1. 公正な機会のもとでの不平等。つまり、職業差別とか教育機会の不平等が無い状況で、社長になって大もうけする人がいたり、フリーターになって貧乏生活する人がいたりするのはOK。
    b-2. 社会でもっとも恵まれない人には救いの手を差し伸べないとダメ。フリーターで貧乏暮らしをするのはその人の責任だけど、色々事情があるのかもしれないし、「自己責任だ」なんて放っておくのはおかしい。
  • 良さそうなことを言っているようだけど、ここで気になるのは「基本的な自由に関してはみんな平等だ!」と言っているところだ。そこまで自由を重視するのは極端では?
  • あと、こうして正義の二原理が決まったら、人々はインセンティブが無くてもこの二原理に従って動くだろう、とロールズは考えている。でも、それって本当なの? なんかロールズの議論にはいろいろ穴がありそうだ。

ロールズのアプローチから得られる積極的な教訓(p113-)

  • さて、ロールズについてわたし(セン)はいろいろいちゃもんつけてるのだけど、彼の考えから学べる教訓はたくさんある。ディスる前に、まずそういう教訓をちゃんと挙げておこう。
  • 教訓1:正義の問題を考えるときに「公正」の問題は重要だ。
  • 教訓2:実践理性の客観性の性質についてちゃんと考えよう(客観性の話は第1章を読め)。
  • 教訓3:人々を、自分の利益しか考えないガリガリの利己主義者と想定するのは間違い。reasonableというのは「理にかなっている」ということなのだよ。
  • 教訓4:自由を最優先している。これは、公共的に何が良いか、というのを考えていくときに重要な前提。
  • 教訓5:(正義の第二原理に示したような)手続き的公正は必要。
  • 教訓6:不遇な人々に配慮することは重要。
  • 教訓7:人々が人生でやりたいことをやるのは素晴らしいことだよね、という意味でも自由に価値を認めている。

効果的に解決できる問題(p116-)

  • でも、こういうロールズの考えにもいろいろ批判はきてるのだよね。
  • まずは、自由に完全な優先権を与えるのはやり過ぎじゃないの? ということ。
  • あと、正義の第2原理で、ロールズはいちおう社会の不平等に配慮はしている。でも、彼は「基本財」というので不平等を考えているのだよね。ここでいう基本財とは「権利、自由と機会、所得と富、そして自尊心の社会的基礎」だ。でも、人々って多様なのだよ。つまり、超絶的に頭の良い奴もいれば、普通のことを普通にできない人もいる。同じ100万円という富をもらっても、片方はそれで起業するかもしれないけれど、片方は車椅子を買ったり電動で起き上がれるベッドを買ったりするだけで使い果たしてしまうかもしれない。つまり、「基本財」という「モノ」にだけ注目するのでは、不平等の問題を本当には捉えきれないのですよ。

新たな検討を要する課題(p118-)

(1)現実の行動の不可避的な妥当性

  • ロールズは「公正な制度」にばかり焦点を当てる。
  • でも、公正な制度がつくられたとしても、実際のところ人々がどんな風に暮らしているかを見ないと、本当に不正義が減っているかどうかはわからない。
  • あと、本当に人々が公正な制度通りに動くかどうかわからない。

    (2)契約論的アプローチに対する代替案

  • ロールズは正義の問題を考えるときに、功利主義を比較対象にしている。で、本人は契約論的アプローチを採用している。でも、アダム・スミスの「公平な観察者」みたいな、功利主義でも契約論でもないアプローチだってあるのだよ。
  • で、公平な観察者という考えだと、相対的評価ができるとか、制度だけじゃなくて実際の社会的達成を評価できるとか、明らかな不正を取り除くための指針を出せるとか、グローバルな正義を考えられるとか、いろいろメリットがある。

    (3)グローバルな視点の妥当性

  • ロールズの社会契約という考え方は、「この社会での契約」を考えているわけだから、よその社会のことを考えてない。
  • だけど、正義の問題を考えるときに、グローバルな視点は大事だ。たとえば、この社会での正義のあり方は、よその社会の正義のあり方に影響を与えるかもしれない。また、よその社会の視点に立ってみると、自分の社会のおかしさが見えやすくなるかもしれない。

ユスティアとユスティティアム(p125-)

(省略。ロールズには感謝してるけど、わたしはわたしの道を行きます、みたいな内容)


  1. 「え、原初状態とか無知のヴェールとかって、なあにそれ?」という人もいるかもしれないので一応説明しておく。「正義とは何か?」というのをみんなで決めるという状況を考えよう。このとき、おそらく金持ち連中は「平等なんて糞食らえ。力こそ正義だ! 貧乏人どもは俺たちにかしづけ!」という風に自分たちに都合のいい正義を考えるだろう。逆に貧乏人どもは「金持ちは一人残らず皆殺しにしてさらし首にして目ん玉にポッキー刺してやれ! そして、奴らの財産を貧乏人たちに平等に分け与えるんだ!」という風な正義を考えるだろう。つまり、人はみな、自分にとって都合のいい正義を考えるはずだ。だから、現実世界で「正義とは何か?」を考えても、そういう偏った正義しか生み出されないだろう。となると、そういう偏りをできるだけ無くした正義を考えるためには、現実世界からいったん離れる必要がある。それが「原初状態」だ。つまり、正義を考えるためのスタートポイントとなるフィクション世界を想像してみよう、ということだ。原初状態に必要なのは、まず、ほどほどに資源があることだ。もし無限に資源があるのなら、わざわざ正義なんて考える必要はない。人々はみな、無限の資源を好き放題使って贅沢三昧すればいい。逆に、資源があまりに少なかったら人々は資源をめぐって殺し合いを始めるだろう。だから正義について考えたいのなら、資源の量はほどほどであるべきだ。 次に必要なのは、自分が誰だかわからないことだ。自分が金持ちなのかもわからないし、貧乏人なのかもわからない。なぜかみんな記憶喪失になってしまって、「ここはどこ? わたしはだあれ?」状態になっているわけだ。これを「無知のヴェール」という。かぶったら記憶が飛ぶヤバい布を思い浮かべてくれればいい。で、こういう無知のヴェールをかぶった状態なら、金持ちも貧乏人も、自分たちに有利なように正義を決めてしまおうなんて洒落臭いことは考えない。つまり、偏りなしに、「公正に」、正義について考えられるわけだ。