【アニメ感想】家なき子レミ

レミのキャラデザインがかわいくて見始めたアニメ。半年くらい前に見終わったのだけど、ふと思い出したのでつらつら思い出を書いてみます。

半端でない貧乏

19世紀ヨーロッパの貧乏は半端ではない。貯金も社会保障も無い旅芸人のヴィタリスさん。犬が死んだらどうするの? 病気で動けなくなったら? 野垂れ死にする未来しか見えない。そして、実際に野垂れ死にしている。

原作の方もかなり過酷だ。原作では、ヴィタリスさん亡き後レミは親切な花づくり農家に拾われ、他の子ども同様に面倒を見てもらうことになる。その農家はガラス製の温室みたいなので花を育てていて、それなりに儲かっていたのだけど、とつぜん巨大な雹(ひょう)が降ってきてガラスの温室が完全に粉砕されてしまう。そして農家の親父さんは、温室を建てるのに借りたお金が払えず、牢屋行きとなるのだ。原作(新潮文庫)の目次をみると、「20 花づくり農家」「21 一家離散」となっている。たった1章で一家離散してしまっている。たぶん農業共済なんて制度は皆無の時代で、天候の変化がダイレクトに破滅につながってしまうわけだ。

いまいちこれが正確にはいつの時代の話なのかよくわからないのだけど、出版年の1878年が舞台だとしたら、これくらい社会が貧しいのは納得できる。ピンカーの『21世紀の啓蒙』上巻のp175に載っているグラフによると、1870年当時で、「世界の極貧生活を送る人々の人口比率」は80%くらいだ(現在は10%くらい)。「極貧生活」というのは、所得水準が現在のアフリカの最貧国と同程度とのこと。つまり、現在のほとんどの日本人が体験したことのないような壮絶な貧乏生活が当時は普通だったわけだ。

アニメ版でも原作でも、レミはお金持ちの本当のお母さんに再会してハッピーエンドとなる。ハッピーなんだけど、今の目からみるとちょっと腑に落ちない。当時、貧乏人は基本的に貧乏人のままで上には這い上がれないのだ。だから、「本当のお母さんはお金持ちで」というファンタジーが必要になる。「貧しくてもがんばって勉強していつかは周りを見返してやれ」という刻苦勉励の美学はたぶんまだまだ先の時代のお話なのだ。今とは比べものにならないほど、格差が徹底的に固定化されてしまった社会だといえる。アニメ版のラストで、お金持ちのお母さんはレミの孤児仲間たちを引き取ると言うけれど、それは焼け石に水に過ぎないし、偽善くささも感じる。

バーネットの『小公女』『小公子』もこんな感じで、貧乏だけどお金持ちの身内に出会ってハッピーエンドとなる。ハッピーエンドなんだけど、現在の視点からみるとその背景にある、社会全体に蔓延している諦めムードがどうしても気になる。子ども向きのお話なんだけど、当時の人たちの社会観や人生観が垣間見られるので、大人が読んでもなかなか面白いですよ。

女の子になったレミ

自分はレミのキャラデザインでこのアニメを見始めたので、原作通りに男のままだったら見なかったと思う。それでも、やっぱり女の子にしてしまったことによる物語への影響が結構気になった。

後半で、レミはブタみたいな男に売られてそこでこき使われるという展開になる。女の子が売られたら、普通は「じゃあ、お前は芸をして金を稼いでこい」とかじゃなくて、もっとひどいことをさせられるものだと思う。そのため、(このブタ、人使いは荒いけど実はけっこう良い奴なんじゃないか…?)とか思ってしまった。ただ、ラストの方でレミを誘拐し金持ち母さんから身代金をむしり取ろうという暴挙に出るので、やっぱりこのブタはクソ野郎でOKだったんだな、と納得した。

後半はマチアというイケメン孤児との恋愛展開になる。もちろん原作にそんなエピソードはない。だいいち、原作でマチアはあんなイケメンではない。というか、かなり異様な風体のキャラとして描かれている。

十歳くらいのこどもだった。体をひきずるようにして近づいてきたが、それがあまりに奇妙だったので、その姿がいまでもまざまざと目に浮かぶ。その子には、言ってみれば、胴体がなかった。数年前に流行った漫画みたいに、不釣り合いなほど大きな頭が脚の上に直接のっているように見えたのだ。顔の表情は深い苦しみとやさしさをたたえ、目にはあきらめの光があって、顔全体を見れば、どんな希望ももっていないことがわかった。そんな体つきでは美しいはずはなかったが、それでも人の目を惹きつけ、好意を抱かせるなにかがあり、犬の目みたいにやさしい、大きなうるんだ瞳や物言いたげな唇からある種の魅力が放たれていた。
新潮文庫版『家なき子』上巻 p281

「不釣り合いなほど大きな頭が脚の上に直接のっているように見えた」というビジュアルがシュールすぎてうまく想像できない。原作でレミ(男)とマチアは親友同士になるのだけど、BLの要素はたぶん無いと思う。

さて、アニメ版でレミとマチアの恋愛フェーズに入っていくと、ときどきレミの頬に赤みが差すという演出が出てくる。「ぽっ…」という奴だ。だけど、その赤さがちょっと赤すぎて不自然だった記憶がある。なんか、赤色のクレヨンを塗った感じというか。普通、「ぽっ…」という演出だったら、もっと柔らかい色合いを使うんじゃないだろうか。で、その不自然な赤みを見るたびに、(むりしてる)と思ってしまった。レミを女の子にしてしまったことによる物語上の不自然さを象徴的に示しているのが、あの赤クレヨンでぐりぐり塗ったみたいな「ぽっ…」なのだと思う。

でも前半までは見る価値あると思う1

ピングドラムとかに比べるとものすごくオーソドックスで素朴な作品だけど、前半の、ヴィタリスさんが雪山で死ぬところまでは悪くないと思う。故郷の村では元気に歌っていたレミが、見知らぬ町で人前で芸をするのを躊躇するところなんかはとてもリアリティがあって良い。物語の後半、レミは「前へ進め!」を連発するポジティブモンスター化してしまうのだけど、前半まではけっこうネガティブで落ち込みやすい。そういう子がちょっとずつ無口なヴィタリスと打ち解け、立派に人前で芸をできるように成長していくのは感動的だ。雪山で仲間達が倒れていく絶望感も良い。雪山から脱出できればいいというものではなく、下界に到着してもお金がないし、仲間がいなくては芸もできないし、完全に詰んでる。アニメに限らず、現在を舞台にした物語作品ではこういう徹底的な絶望感はなかなか描けないと思う。


  1. 後半は後半でリーズがかわいくて、ほっこりするのだけどね。