【読書ノート】『意思決定の科学』序章

このところサボってたけど、AIの勉強はまだ続けている。

本書は、大ざっぱに言うと、コンピュータの登場によって経営はどう変わるか(あるいは変わらないか)というのを論じるもの。原書の出版は1977年だから古臭い部分もたくさんあるのだけど、妙に今の時代にも通用しそうな話もあったりして面白い。コンピュータが普及しても失業率は増えない、なぜなら…という話が出てきて、ここらへんはAIに仕事が奪われるとかいや大丈夫だとか言ってる今の時代と同じような問題意識で既視感がある。その一方で、「なぜなら」の先が意外で、「比較優位が働くから」というものだった。その発想が妥当かどうかはわからないけど、今、書店に溢れているAI本よりも普遍性のあることを論じていると感じるところが多い。

以下は抜き書きじゃなくて、文意を踏まえて自分なりに書き直したもの。ただの抜き書きだと飽きるし、頭に定着しない気がするので。

序章 コンピュータと経営

本書の目的は、コンピュータ技術の登場で経営意思決定過程がどんな風に変わってきて、これからどんな風に変わっていくのかを論じること。 p2

コンピュータを神秘的なものだと人は考えがちだ。つまり、なんだかわかんないけどコンピュータすごい、って思いがちだ。そのために、人はコンピュータについて描写しているつもりでいながら、実は自分自身を描写してしまっているのだよ。 p2

コンピュータを作ったり操作したりできる人はたくさんいる。でも、コンピュータが世の中にどんな影響を及ぼすかまで彼らがわかっているわけではない。それは、自動車を発明した人が、自動車の登場で世の中がどう変わるかまで考えてなかったのと同じことだ。 p4

さてさて、コンピュータについて猫も杓子もあれこれ好き勝手言ってるのだけど、彼らの考え方というのは次のような3つの軸で分類してみると分かりやすいよ。3つの軸というのは、「技術的次元」「経済的次元」「哲学的次元」だ。それぞれの軸について、「急進主義」「保守主義」の2タイプがある。 p5-6

技術的次元

技術急進主義

コンピュータは、人間のできることならなんでもできるさ、という人たち。

技術的保守主義

コンピュータができるのはプログラムされたことだけ。だから、コンピュータにはできないことがあるんだよ、という人たち。

経済的次元

経済的急進主義

コンピュータの登場によって大量失業が発生するであろう、という人たち。

経済的保守主義

コンピュータの登場によるオートメ化は、たんなる産業革命の延長にすぎないよ、という人たち。

哲学的次元

哲学的急進主義

コンピュータの認知能力は人間の能力と同じくらいの広がりを持っているよ、という人たち。

哲学的保守主義

コンピュータと人間は違うのだよ、という人たち。

ちなみに、わたし(サイモン)は、技術的急進主義者、経済的保守主義者、哲学的現実主義者だ。「哲学的現実主義」という言い方をしたのは、そもそもコンピュータが発達する前に哲学の話をするのは不毛だと思うから。 p9

さて、突然話は変わるけど、みなさんはどんな風に専門家を選ぶかね? 専門家を選ぶのは難しいことだ。だって、素人には誰が専門家なのかよくわからないものだからだ。Twitterでもっともらしいことを言っていてしょっちゅうバズってる人でも、実はただの素人のおっさんだったりするものだしね。 p10-11

でも、専門家を選ぶためにわたしたち自身が専門家になる必要はない。専門家を名乗る人がいたら、彼らに次のことを聞くと良い。「どんな風にしてその結論に到達したの?」「どんな風に推論したの?」「エビデンスはどんなもの?」。こういうことが明示されれば、どこかから他の専門家の人がやってきて「こいつ専門家じゃないよ」というツッコミを入れてくれるかもしれない。このように、わたしたち自身が専門家にならなくても、まともな専門家を選別することはできるのだよ。 p11

わたしは本書の中で、経営における意思決定にコンピュータがおよぼす影響を検討していく。そのとき、たんに結論を述べるだけじゃなくて、どうしてそういう結論に至ったかも明示しよう。そうすれば、あなたが専門家でなくても、わたしの議論がまともかどうかをテストできるだろうからね。 p12

感想

人はコンピュータについて描写しているつもりでいながら、実は自分自身を描写してしまっている、という下りは、今の時代でも変わってないなあと思った。AIを神秘的なものだと思い込んで、AIを自分の妄想を映し出す鏡代わりに使っている人はたくさんいる。

自分の場合は、技術的急進主義、哲学的急進主義かなあ。前に『ロボットに心は生まれるか』という本を読んで、今はまだまだだけど、あと100年もすれば人間と同じような心を持ったロボットが生まれても全然おかしくないと考えるようになった。「経済的」の軸に関しては態度を決めかねているけど、心を持ったロボットが生まれる、と考えるのなら、経済的急進主義の立場を取らないと整合性がとれないかな。

ただ、今後数十年くらいの期間で考えるなら、技術的保守主義、哲学的保守主義になる。経済については…保守主義かな。機械翻訳が高性能になったって言っても、人間がチェックしないととても使い物にならない。AIに絵を描かせるというのが前に流行ってたけど、これも人間が入らないと意味ないのではないか(これで漫画を描かせても、目線とか表情とかしぐさとかを調整し直さないとならないからかえって二度手間だと思う。背景だけならアリかも)。自動運転も、高速道路ならいけると思うけど、日本の狭い車道を走るのはどう考えても無理だ。もちろん、AIを使った新しいビジネスを起こす人はたくさん現れると思うけど、昔からある仕事をAIに任せる、というのはなかなか進まないんじゃないだろうか。