【読書ノート】『意思決定の科学』第1章

まとめるのをしばらくサボってたけど、今やってる合理性云々の話とも絡んできそうなので、やっぱりまとめてみる。興味のつづく限り。

1章 会社は機械によって管理されるか

イントロ

経営管理でコンピュータを使うことについて分析したいのなら、工場やオフィスでオートメーション化がどういう風に行われているのかを観察するべき。というのは、経営管理で扱う対象がどんどんオートメ化されていっているし、工場やオフィスでの仕事と経営管理の仕事は、実は結構似てるから。

長期均衡の予測

長期均衡について予測したいのなら、次のふたつを区別するべき。

  1. 第一原因:自立的かつ変化の激しい変数
  2. 与件:一定かつ不変のもの

変化の原因

システムに変化を与える大きな要因は、人間の知識の増大と、実質資本の増加。

じゃあ、知識の増大はどんな風になっていくのだろう? おそらく、近い将来、われわれは組織内部で行われる人間の仕事のすべてを機械で置き換えることが技術的に可能になるだろう。というのは、汎用コンピュータ向けの複雑な情報処理のテクニックが発展しているし、あらゆる生産活動や業務活動をオートメ化するテクニックが急速に進歩しているからだ。

でも、この予測がまともかどうかを検証するには、社会システムの重要な不変数についても議論しないといけない。

不変数

  • 不変数その1:社会の人的資源は実質的に完全雇用の状態になるだろう。
    • オートメ化が進展すると失業が増えると考える人はいるけれど、歴史的にはそんなことは言えない。
    • もっとも、それぞれの職業でどれだけ人が雇用されるかという相対的な分布は変わるだろう。で、その面での変化は組織にも影響を与えるだろう。
  • 不変数その2:社会における知識や能力の分布は現在とほとんど変わらないだろう。つまり、人的資源の質は変わらない。

比較優位の原則で考えてみよう。市場の働きによって、労働者はその生産性が機械の生産性より相対的に高い過程に流入し、逆に、相対的に低いところから流出していく。以下のような状況を考えてみてくれたまえ。

  • 人間の帳簿係 vs. コンピュータ
    • コンピュータが1000倍速く計算を行う
  • 人間の速記者 vs. コンピュータ
    • コンピュータが100倍速く書く

このとき、比較優位を持たない帳簿係の人数は減少するが、比較優位を持つ速記者の人数は増加すると予測できる1

新しい情報処理技術

ほぼオートメ化された工場

  1. オートメーションは「非人間化」労働を意味しない。むしろ、退屈な反復作業を機械がやってくれるので、従業員が興味を持てる仕事ができるようになってきている。
  2. 現在のオートメーションは、従業員の間の技能水準にあまり大きな変化を起こしていない。

職業プロフィール

高度にオートメ化された経済で職業分布がどうなっているかを予測するには、次の二点を考慮しないとならない。

  1. 需要の所得弾力性
  2. 需要の価格弾力性

精神科医の数はオートメ化によってどう変化するか? というのを考えてみよう。

  • 精神病の治療にオートメ化が行われたと仮定しよう。

    • 以前:ある仕事に10人必要だった
    • 現在:1人いれば十分
  • 精神病治療の料金が下がることで、精神病治療の需要が増えるなら、精神科医の数は増えるだろう(精神病治療の価格弾力性次第だけど)。

  • しかし、需要の増大程度は他の産業の生産性向上によっても影響を受けるので(精神病治療の所得弾力性次第)、精神科医の需要がどの程度増えるかはわからない

もう一つの予測方法

オートメーションは次の2つの方向で進展する。

  1. 以前は人間がやってきたことを機械が代わりにやる
  2. 以前は人間がやってきたことを全くやらないで良いようにする
    • e.g. バター包装機(手でバターを包装するという作業自体を無くしてしまう)

どちらの方向でも、人間はどんどん駆逐されてきた。

じゃあ、人間はどういう領域において、機械に対し比較優位を持つのだろう? それは、柔軟性と汎用的な適用可能性だ。そう考えると、次のことが問題になってくる。

  1. 人間の柔軟性とオートマチックな機械とはどの程度調和できるのだろうか?
  2. 柔軟性が必要無い状況を作ってしまったらどうだろうか?

オートマトンにおける柔軟性

思考したり記号操作したりする機能のオートメ化は、より複雑な眼ー脳ー手の連動作業のオートメ化より、いっそう急速に進むであろう。つまり、そういう柔軟性が問われる機能がオートメ化するには時間がかかるものだ。

柔軟性に代わるものとしての環境統制

それなら、環境の方を統制して、柔軟性があまり必要無い状況を作ってしまえばいい。たとえば、でこぼこ道を移動するには人間の足のような柔軟性が必要だが、アスファルトで平坦な道を作ってしまえば車で快適に移動できる。

これまで機械化は、人間のもつ柔軟性を模倣することよりも、柔軟性が必要無い環境をつくることで進展してきたのだよ。

だから、「私の仕事は柔軟性を要するから機械どもには奪われないよ」なんて思っている人たちは甘い。医者(外科医を除く)や会社の副社長、大学教員なんかの仕事をオートメ化することは、土木工事の労働者の仕事をオートメ化するのと同じくらい可能性をもった話なのだ。

人間の環境としての人間

たいていの職場において、人間の環境の重要な部分は人間自身である。しかもそれは、人間の環境のうちでもとくに「はっきりしない」部分だ。

でも、オートメ化されてくれば、「叱咤激励」とか「督励」みたいな監督業務は減ってくるだろう。そんなことしなくても、オートメ化された工場での生産量は落ちないから。

セールスマンの場合はどうだろう? もし消費者の購買決定がこれからもっと客観的に行われるようになるのなら2オートメ化の余地があるけれど、そうならないならオートメ化は遅れるだろう。だとしたら、これからは雇用全体のうちかなりの割合が販売活動に従事するようになるだろう。

要約:ブルー・カラーとホワイト・カラーの仕事のオートメーション

将来の組織は、現在の組織よりも人間に対する機械の比率がはるかに高くなるだろう。そういう組織で、人間は次のような役割を果たすようになる。

  1. 従来の痕跡を残した「労働者」は、数はぐっと少なくなるが残るだろう。
  2. システムの活動を維持する保守作業的な仕事に携わる人はかなり増えるだろう。
  3. 専門的なレベルで、製品計画や製造工程の設計、さらには全般管理に責任を持つ人は、かなり増えるだろう。

オートメ化が進むことで、対人関係にともなうストレスはかなり減るだろう3

また、対人的な相互作用を含むサービスが重要となる仕事に従事する人は増えるだろう。

経営管理のオートメ化

経営管理のオートメ化は、意思決定過程とか問題解決過程とかの問題も含んでくるので、次の章からもっと詳しくやるつもりだ。だけど、今の段階でいえる結論を述べておこう。

意思決定は、次のように分類できる。別にこんな風にきれいに2つに分類できるということではなくて、もちろん両者の中間もある。これらはあくまでグラデーションの両極だ。

  1. プログラム化しうる意思決定
    • e.g. 事務要員の調達とか、標準品の価格設定
  2. プログラム化しえない意思決定
    • e.g. 新しい製品ラインをつくるための一回限りの意思決定とか

概していえば、社長や副社長が直面する問題は、工場長や工場レベルの部長が直面する問題より、プログラム化することが困難だ。

コンピュータによる意思決定

意思決定の分野で技術革命が行われつつある。それには2つの局面がある。

  1. プログラム化しうる意思決定にかかわる技術革命
  2. プログラム化しえない意思決定にかかわる技術革命

ただ、仕事のオートメ化がどんなペースで進んでいくかは、こういう技術的要因だけでなく、むしろ経済的要因によって強く規定されるだろう。

経営管理上の変化に関するその他の諸側面

経営管理の仕事がこれからどうなるのかについてもうちょいと考えてみよう。

  1. 経営管理者の時間的視野はどんどん長いものになっていくだろう。というのは、工場がオートメ化されれば、日々の細々とした管理の仕事が不要になってくるからだ。
  2. でも、かといって経営管理者がオートメーションの仕組みに関する技術を深く知るべきだ、ということにはならない。それは、車を運転する人がボンネット内部のことについて知る必要がないのと同じことだ。
  3. 会社がオートメ化されていく中で、プログラマーが権力あるエリートになる、というのは幻想だ。プログラミング業務自体がオートメ化されることで消滅していくだろう。コンピュータが自然言語をうまく扱えるようになれば、ますますその傾向は強まるだろう。

オートメーションに関するいっそう広範な意義

オートメ化が進むと、次の3つの問題が注目を浴びるようになってくるだろう。

  1. 人間の科学を発展させること
  2. 基礎的な社会目的として仕事と生産のほかどのようなものがあるかを見出すこと
  3. 宇宙における人間の位置についての考え方を定式化し直すこと

人間の科学

コンピュータや発見的プログラミングの研究が進められることで、人間の認知過程の理解に大きな貢献が為されてきた。

社会目標

仕事を通して自己実現したいという人たちはいる。つまり、組織が創造性の重要なはけ口になっているわけだ。だけど、意思決定機能がオートメ化していけば、会社の意思決定において創造欲求を働かせる余地は無くなってくるかもしれない。でも、この点については異論もあるから、次章でまた検討しよう。

宇宙における人間

人間をシミュレートするコンピュータ能力のいっそうの発展は、種としての人間の自己同一性についての概念を変化させるだろう。

感想

意思決定とか合理性とかの話は次章以降で、この章ではオートメ化が人々の仕事や会社の経営をどんな風に変えていくか、という概論が述べられている。

「オートメ化」というのは今はあんまり聞かない言葉だけど、「AIの導入」と置き換えればそのまま今でも通じる議論になっていると思う。しかも、議論が緻密で説得力がある。1970年代の時点でここまで見えていたのがすごい。

とくに、経営者の意思決定もオートメ化できるよ、というところは非常に新鮮だ。その一方で、オートメ化できるから経営者はみんな失業だ、みたいな結論には飛びつかない。なぜなら、オートメ化の進展は技術的要因だけじゃなくて経済的要因の方に強く影響されるからだ。ラジカルな主張をしつつも、経済的要因をきちんと考慮することで、議論が地に足についたものになっている。

大学教員の仕事もオートメ化できるかもね、という可能性に言及しているあたりは割と納得できる。学生がAI教授と対話しながら卒論作成を進めるとか、今の技術でもある程度可能なんじゃないだろうか? 学生が読んでない文献を紹介するとか、学生の議論の矛盾を指摘するとかは、AIでもできるんじゃないかなあ。授業もAIに任せるとか行けそうな気がする。大学予算はどんどん削減されているので、ありえない話ではない。とはいえ、社会全体における大学教員の相対的な生産性とか、教育サービスの所得弾力性・価格弾力性なんかも絡んでくるので、そう簡単には結論を出せないのだと思うけれど。


  1. ここの議論ってイマイチ納得いかない…。リカードの比較優位の原則というのは、それぞれの国で相対的に生産効率の良い財の生産に特化した方が貿易を通して全体としての富は最大化する、みたいなことだったよね(うろ覚え)。これを本書での話に置き換えると、機械は帳簿係の仕事に特化し、人間は速記者の仕事に特化した方が全体としての富は最大化する、だから人間の仕事が機械に奪われるなんてありえない、ということになるのかな。だけど、たとえば帳簿係の仕事も速記係の仕事もスマホのアプリひとつで一瞬で終わる、という風になったら、やっぱり人間の仕事は機械に奪われることになるんじゃないだろうか。つまり、人間の場合、帳簿係の仕事をしている間は速記者の仕事ができないので、片方の仕事に力を注いだらもう片方の仕事に力を注げなくなる。だから、どちらの仕事に特化するべきか、ということが問題になってくる。でも、機械は疲れないし、仕事のスピードを極限まで高めることができるから、帳簿係と速記者の仕事の両方を全力でこなすことができる。そうなってくると、比較優位の原則が崩れてしまって、すべての仕事を機械がこなす、という風になってもおかしくない気がするのだけど。

  2. ここはたぶん、消費者の意思決定プロセスが機械に理解できるように客観的なものになるなら、ということを言いたいのだと思う。で、それは今の時代では動画サイトのレコメンドシステムで実現しているんじゃないだろうか。だとしたら、セールスマンの仕事もオートメ化されていることになる。そして実際、AIの普及で営業の仕事は無くなるのではないか、ということも言われている。たとえばこの記事(「AI(人工知能)が進化すれば営業は消えてなくなる」は本当か?)。この記事だと、営業を「NEW SALES」という新たな段階に進化させれば営業はこれからも生き残っていける、と述べられているけれど、読んでもあんまり意味がわからなかった(ビジネスの世界の人たちが語る夢のある話はわたしにとってほぼ常に意味不明だ)。

  3. ごくたまに役所みたいな古い体質の組織の人と関わるとき、メールで済ませばいいのにやたらと電話をかけてくることがある。わざわざFAXを送ってくるとか、ひどい人になると「今FAXを送りました」と電話してくることさえある。こういう、電話やファックスみたいな効率の悪いツールを使いたがる人と関わるとかなりストレスがたまる。大学の事務の人も電話をかけてくる傾向が強い気がする。どういうことなのだろう? あえて効率的なツールを使わないことで、「だからわれわれ人間は必要なのだ」と自己主張しているのだろうか。その自己主張にこちらを巻き込まないでほしい。