前に書いた記事の後日談的なものを書いておく。
調べてみたら、計画的行動理論って海外ではかなりボコボコに批判されてるみたい。今から10年近く前に、「計画的行動理論はそろそろ引退した方がいいよ(Time to retire the theory of planned behaviour)」とタイトルの論文が出ていて、グーグルスカラーでみると被引用数が1741もある。でも、この論文を引用している日本語論文を探してみたけれど、なんか見つからない。まだ日本では紹介されてないということかな? 以下、その論文のリンク。
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/17437199.2013.869710
どこらへんが批判されているかというと、まず、実験研究がほとんどされていないこと。計画的行動論では、態度と主観的規範とコントロール感が行動意図に影響して、そして行動意図とコントロール感が行動に影響する、という風に変数間の影響の順序がきっちり決まっている。だったら、その順序を踏まえたデザインの実験をするべきなのに、実験研究が少ない。それは、行動変化を扱うための理論がちゃんと構築されてないからだと筆者は述べている。そして、その数少ない実験研究でさえ、計画的行動理論を支持する結果が得られていない。
また、あまりに少ない変数で行動を説明しようとしているところも批判されている。合理的な意思決定ばかりに焦点を当てていて、無意識による影響や、感情による影響を見ていない。たとえば、習慣なんかの方が行動をずっとよく説明できてるということを示す既存研究もあるとのこと。
あと、私が無知で知らなかったのだけど、計画的行動理論というのはもともと環境行動を説明するための理論ではなくて、ダイエットとか禁煙とかの健康行動を説明するためのものだそうだ。だけど、計画的行動理論は合理的な意思決定に焦点を当てたものであるがゆえに、「禁煙しようという意図はあるけど、ついつい吸ってしまった」みたいなよくある現象が説明できない。
で、結果的に計画的行動理論は、人々の健康行動を変えるために実践家が介入を行う上で、なんの役にも立ってないと筆者は厳しく批判している。計画的行動理論から得られる新しい知見はもはや何もない。だからさっさと引退してもらって余生を楽しんでもらおう(should be allowed to enjoy its well-deserved retirement)。いいね。こういう皮肉な言い回しは読んでて楽しい。日本の学術論文でもこういう書き方を認めてほしいものだ。
さて、自分の研究にどう生かすかというのも最後にちょっと考えてみたい。
興味があるのは、無意識とか習慣みたいなものの方が行動に影響するよ、というところ。それはすごく納得いく話だし、私も「計画的」行動理論という言い方が前から気になっていた。だって、人間ってそんな何もかも計画通りに動くような合理性は持ち合わせていないし。ましてや、行動経済学がノーベル賞まで取るようになった時代にそうした強い合理性を仮定してしまうのは素朴すぎる(合理性っていっても、ブランダムとかアマルティア・センくらいの緩い感じの合理性を仮定するのなら良いと思うけど)。引用されている論文を読んでみようかな。
あと、ともかくも計画的行動理論の束縛から解放してもらった感じがあって、そこはうれしい。日本語の論文を読んでいると、行動の規定要因を研究したいのなら計画的行動理論を使っておけばまず間違いなし、みたいな風潮があるような気がしている(そこまで読み込んでないけど)。だけど、計画的行動理論がこれだけズタボロに批判されているということは、もっと自由に自分の理論をつくる余地があるということだ。実際、この論文の最後の節ではさまざまな新しい行動理論が列挙されている。この中に私も自作の理論を忍び込ませておいてもいいわけだ。人の理論を検証するなんて働きアリみたいなことはしたくない。どうせなら自分でなんか作りたいよ。