【研究ノート】「なぜ? なぜ? なぜ?」では理由にたどり着けない

前回に引き続き、「合理的に考えてもらうには?」というテーマでうじゃうじゃ考えている。

推論主義によれば、合理的であるとは「理由が答えられること」だ。だとしたら、人に合理的に考えてもらうには、「なぜ? なぜ? なぜ?」と問い詰めて理由を答えてもらえばいい、ということになりそうだ。でも、たぶん、そんな風に問い詰めて理由を答えてくれる人はあまりいないんじゃないと思う。

道ばたやスーパーで、母親が子どもに「なんで!?」と問い詰めている光景を何度か見たことがある。たぶん、子どもが何かやらかしたりワガママ言ったりしたのに対して、「なんであんたはそうなのよ!!」と叱っているということなのだと思う。じゃあ、どうしてそういう叱り方になるのかというと、「なぜ」というのは答える側にとって負荷が大きい疑問詞だからだ(精神科医神田橋條治がそんなようなことをどこかで書いていた)。

「いつ」だったら答えやすい。「いつ起きたの?」「うーん、たしか7時半」。だけど、「なんで朝はご飯じゃなくてパンなの?」と聞かれても、「なんとなく」としか答えられないんじゃないか。「パンが好きなんだ」と答えたとしても、「だったら、昼もパンにすれば? なんで昼は麺なの?」と再質問されるかもしれない。「いつ」は一回答えたらそれで終わりだけど、「なぜ」は次々と連鎖する。答えても答えてもその答えに対して再び「なぜ」が投げかけられる。きりが無い。そういう意味では、「なぜ」は答えようのない問い方なのだともいえる。だから、「なぜ」と問われた側からすれば、負担を避けるために、答えをはぐらかすとか沈黙するという対応をすることになりがちだ。理由を問うのに「なぜ? なぜ? なぜ?」は悪手だといえる1

ナラティブ・アプローチといって、精神病の患者に過去の物語を語ってもらうことで患者のアイデンティティを回復することを狙いとした精神療法がある。ある意味、「あなたはなぜあなたなのですか?」という問いに対する答えとして物語を生み出しているのだともいえる。こうした物語は、ひたすら「なぜ? なぜ? なぜ?」と問い詰めていけば勝手にできあがるものではない。セラピストと患者が対話しながら少しずつ作り上げていく共同作業の産物だ。当然、セラピストの側の力量は大切で、「なぜ? なぜ? なぜ?」とひたすら患者を問い詰めるような人はセラピストとして無能だということになると思う。

ここで「合理的に考えてもらう」に話を戻すと、一種のセラピーみたいな形で物語を語ってもらう、というのは良いやり方かもしれない。「なぜ」と問い詰めて理由を聞き出すのではなくて、もっと緩い物語の流れの中で理由が発見されていくようなやり方。

具体的にどういう物語かというと、たとえば、「その意思決定に至るまでの物語」ということになるのかな。前回引用した橋本治のエピソードは物語的だと思う。橋本治は経済学的な発想を直接否定しているわけじゃなくて、「わたしが子どものころはこういう考え方で意思決定していた」という思い出話を物語っているだけだ。だけど、そういう物語を示されることで、「この人は経済学とは違う考え方で意思決定しているけれど、この人なりに合理性を持っているんだな」と他者は理解することができる。

ただこれも、漠然と「意思決定に至るまでの経緯を語ってください」とお願いするだけだとちょっと心許ない。漠然とした質問には漠然とした答えしか返ってこないものだ。もうちょっときちんと構造化された物語が出てこないと、どのあたりに合理性があるのか見当がつかなくなると思う。大まかには「意思決定に至るまでの経緯を語ってください」という質問でいいのだけど、それを補足するようなサブ質問がいくつも必要になってくる。たとえば「意思決定するときの気持ちはどんな感じでしたか」とか「今回と似たような意思決定問題を過去に経験したことはありますか」とか。そうやっていろいろ細かいサブ質問を丁寧に積み重ねた上で、最後に「なぜこういう意思決定をしたのですか」という「なぜ」式の質問を持ってくる、というのはアリかもしれない。

となると、どんなサブ質問をつくるかが問題になってくるな…。がんばろう。


  1. マーケティング研究だと、ラダリング法といって、消費者がなぜその商品やサービスを選ぶのかを「なぜ? なぜ? なぜ?」と繰り返し問うことで明らかにしていくという手法があるみたい。「消費者の無意識をさぐる」というコンセプトに基づく手法のようだけど、本当にこれで無意識が探れるのだろうか? 調査者によって回答が変わってくるとかもありそうだ。また、調査という働きかけによって、回答者の中に理由が生成されるという面もあると思う。つまり、無意識の中に理由が漂っている、というのではなくて、そもそも理由なんて存在しなかったのが、ラダリング法によって理由がでっちあげられただけなのでは。また、この手法がマーケティングに有効だということをどうやって実証するのだろう。この手法に基づいて開発した商品の売り上げが3億円だとして、その3億円のうち、何パーセントがこの手法の寄与分なのだろう? そんなのわかるわけがない。