【雑文】異世界転生モノの経済学

興味があって小説投稿サイトを覗いてみたのだけど、予想していた通り異世界転生モノがメチャクチャに多い。あと、タイトルが異様に長い。ある程度時間をかけて探すとセンスのある作品も見つかるけれど、面倒くさい。これなら普通に文芸誌を買うなり、本屋に行って適当に立ち読みした方がずっと効率的に良い作品に出会えると思う。

なぜ異世界転生モノが人気なのだろう? 適当に検索して意見を探してみると、たとえば「現代社会の行き詰まり」が理由として挙げられていたりする1

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だとしたら、マンガやアニメ、映画でも異世界転生モノがもっと流行っているはずだ。だけどそんなことはない。たとえばAmazonプライムで人気のアニメ作品をチェックすると、『ぼっち・ざ・ろっく!』『水星の魔女』『チェーンソーマン』などが出てくる。異世界モノは『異世界おじさん』くらいだ。確かに人気ではあるのだろうけれど、異世界モノが市場を席巻しているかというとそういうわけでもない。だから、異世界モノが流行っているのは現代社会がどうこうということじゃなくて、発表媒体の性質によるものだと思う。

最近にわかで経済学を勉強している。そのにわか知識を活用して、こういう仮説を立ててみた。

仮説:小説投稿サイトで異世界モノが人気なのは、小説投稿サイトで情報の非対称性の問題が解決されていないから。

簡単な思考実験でこの仮説を検証してみよう(ただのお遊びなので真面目に読まないでいいです)。

思考実験1:シグナリング手段が極端に制約されている場合

まずはベースラインとして、こういう架空の小説投稿サイトを考えてみる。

  • サイト登録者は閲覧も投稿も全部無料でOK
  • 相互評価は一切できない。「いいね」もできないし「フォロー」もできない
  • PV数のランキングは公開されない
  • ただし、投稿者は自分の作品のPV数のみチェックできる

こういう状況で、登録者たちはどういう行動を取るだろう。

閲覧者はどの作品を読めば良いかわからない。各作品の「いいね」の数もわからないし、ランキング上位なのか下位なのかもわからない。かといって、作品をひとつずつチェックするわけにもいかない。小説は読むのに時間がかかるので、自分で作品を探すコストは大きすぎるからだ。

こうした状況を踏まえ、投稿者はタイトルを工夫するようになる。なぜなら、こんな風にシグナリング手段が極端に制限された状況で閲覧者にアピールできるのはタイトルだけだから。アピールのために、閲覧者の気を引きそうな刺激的なキーワードがタイトルにちりばめられることになる(そしてタイトルがどんどん長くなっていく)。

しかしタイトルの豪華さは作品の質と基本的に無関係だ。だから、タイトルに惹かれて作品を読み始めた閲覧者の大半は作品の質の低さにがっかりすることになる。もちろん、中にはタイトルに負けないくらい良い作品もある可能性はある。しかしタイトルと品質が無関係である以上、品質の分布を取れば大半が平均の周辺に位置づけられることになる。タイトルが豪華であるということは、閲覧者の期待はとうぜん平均よりもだいぶ高めに設定されることになる。だから多くの閲覧者は作品を読んでがっかりすることになる。良い作品を求める閲覧者は次々と退会し、あとは時間つぶしのチープな作品が読めれば良いという閲覧者だけが残るだろう。

さて、ここで新規参入して作品を投稿しようかどうか迷っている人がいるとする。この人はまず閲覧者としてこのサイトの作品をいくつか読んでみる。もちろんこの人もタイトルだけで作品を選ばざるをえない。そして、他の多くの閲覧者たちと同じように作品の質の低さにがっかりすることになる。さて、この人は新規参入するべきだろうか?

こんなにレベルの低い作品ばかりのサイトなら、自分が作品を投稿すればいっきにスターダムにのし上がれるのでは? 自作に自信のある人はそう考えるかもしれない。しかし一方で、こんなところに投稿したら、せっかくの自信作なのにきちんと読んでもらえない可能性が高いとも考えるだろう。なぜなら、まともな閲覧者はとっくの昔に退会してしまっているからだ。こんなサイトに投稿するよりも、普通に文学賞に投稿したり同人誌に投稿したりする方がきちんと読んでもらえるだろう。そう考えて、この人は自作を投稿しないという意思決定をすることになる。

すると真面目に作品を書く人ほどこのサイトに投稿しなくなるから、サイトの作品の質はますます低下する。そしてまともな閲覧者もどんどん退会していく。結果的に、ろくでもない閲覧者とろくでもない投稿者だけが残り、ろくでもない作品がサイトを独占することになる。

これは、「作品の質に関する情報を閲覧者が入手するのが困難」という点で、情報の非対称性が生じている状況だといえる。で、その情報の非対称性により、質の悪い作品だけが市場に残るという逆選択が発生している。この点で、このサイトはレモン市場だといえる。

思考実験2:シグナリング手段を追加した場合

さて、逆選択を解消する常套手段は、商品の質に関する情報を消費者にとって入手しやすくしてあげることだ。

架空の小説投稿サイトに次の機能をつけてみる。

  • 相互評価は可能。「いいね」も「フォロー」もできる。また、そうした情報は閲覧者に公開される。
  • PV数のランキングが公開される。

このとき、閲覧者は「いいね」や「フォロー」が多い作品、PV数ランキング上位の作品を中心に読むようになるだろう。もちろん、中にはそうした指標に頼らずに自分で作品を探す人もいるだろう。しかし、そうした行為にはかなりのコストがかかるのだから、どうしても少数派に留まるはずだ。

一方、投稿者は、こうしたシグナリング機能が追加されたことで、どのような作品が人気になりやすいのかというリサーチができるようになる。

ここで、この架空のサイトのPV数ランキングに登場する作品は、次の2つのタイプに分けられるとする。

  1. 異世界転生モノ (ランキングシェア率:60%)
  2. おしかけ美少女モノ (ランキングシェア率:40%)

このとき、投稿者はどのような作品を書くべきだろうか?

「ランキングに惑わされず、自分の書きたいものを書く」という人がいるとする。この人は、書いても書いても作品が読まれないことになる。なぜなら、閲覧者にとってランキングは自分が読みたい作品を選ぶための重要な情報源だから。そもそもランキングに入ってこない作品は読まれず、読まれないのでランキングに入らない…という悪循環が発生してしまう。

普通の出版社の場合は、そうした悪循環を断ち切るために、「一般的にはまだ人気がないジャンルだけどこれから流行りそうなジャンルの作品」を売り出すこともできる。そうすることで、他の出版社を出し抜いて先駆者利益を獲得することもできる。しかし、この架空のサイトの場合、そうした対策は実行できない。結果的に、「ランキングに惑わされず、自分の書きたいものを書く」という人の作品は読まれない。そしてそういう人はこのサイトを去り、普通に出版社に持ち込みをするようになる。

となると、残るのは「自分の書きたいものを書くよりもランキング上位に入りたい人」や「自分の書きたいものとランキング上位作品のジャンルがたまたま一致している人」だけになる。

で、「自分の書きたいものとランキング上位作品のジャンルがたまたま一致している人」はとくに戦略を考えないだろう。ただ、この一致は「たまたま」なので、気づいたら「ランキングに惑わされず、自分の書きたいものを書く」になっている可能性もある。その場合、この人はやはりサイトを去ることになるだろう。

では、「自分の書きたいものを書くよりもランキング上位に入りたい人」はどうするか? もちろん、ランキングシェア率が最大(60%)の異世界転生モノを書くだろう。なぜなら、それが消費者(閲覧者)が求めているジャンルだから。

すると異世界転生モノは供給過多になっていくはずだ。最終的にはランキングシェア率のほぼ100%を異世界転生モノが占めるようになるだろう。普通の市場の場合、供給過多になると価格が下がるので、供給者は別の商品を別の市場で売るように戦略を変更する。この架空のサイトでは作品はすべて無料だけど、投稿者にとっては「PV数が増えない」ということが「価格が下がる」と同じようなものだと見なせる(と思う)。

しかし、投稿者が作品の供給先を別の市場(つまり別のジャンル)に振り向けるという戦略は実行しにくい。なぜなら、今やランキングは異世界転生モノでほぼ独占されているから。この状況では、閲覧者にとって、異世界転生モノ以外の選択肢はほとんど目に入らなくなる。だとしたら、投稿者にとって、異世界転生モノ以外のジャンルを選択するのは自殺行為だということになるだろう。そのため、この架空のサイトに残った投稿者は異世界転生モノだけを投稿し続けることになるし、閲覧者は異世界転生モノだけを閲覧し続けることになる。

おわりに

たぶん、小説投稿サイトで異世界転生モノが流行り続けているのは、こうしたサイトが生まれた初期の時点で、たまたま異世界転生モノが多数派だったからではないだろうか2。もしかしたら他にももっといろんなジャンルの作品があって、競争状態になっていたのかもしれない。でも、作品の質に関するシグナリング手段がPV数ランキング等に限定されている以上、情報の非対称性の問題はうまく解消できない。放っておけば初期の時点でたまたま多数派だったジャンルがサイトランキングを独占することになる。そして、供給過多だと誰もがわかっているのに異世界転生モノを供給し続けなければいけない状況にあるのではないだろうか。

もちろん今回の思考実験はかなり単純化されたものだ。実際には、異世界モノ以外のジャンルもそれなりにランキングに入っているし、ジャンル別でさらに詳細なランキングを表示すると異世界転生モノが全く出てこないこともある。だから異世界モノがランキングを独占している、なんてことはない。もうちょいと条件を追加した「思考実験3」もやった方がいい気もするけれど、条件が多すぎると思考実験だけじゃ何も言えなくなってくるんじゃないだろうか。今回のはエビデンス無しのただのひとり遊びです。数理シミュレーションとかやってみたら面白そう。できないけど。

あと、こうやってあれこれ考えてみて、出版社って大事な存在なんだなあと改めて思った。一見、小説投稿サイトみたいに誰でも自由に作品を投稿できる場所をつくればこれまでにない独創的な作品が生まれる確率が高まりそうだけど、実際にはむしろ出版社がきちんと関与した方が独創的な作品がスルーされずに拾い上げてもらえるように思う。感謝。

今回の思考実験で重要な仮定は「小説を読むのはコストがかかる」ということ。読むのがたいへんで、いちいち閲覧者が自分で読んで良し悪しを判断するのが難しいからこそ、情報の非対称性の問題が発生する(で、その情報の非対称性を解消する役割を担えるのが出版社だということ)。pixivにアップされるイラストなんかの場合だと、とにかく一瞬でも閲覧者の目に入ればそのイラストを見たことになるわけだから、閲覧者にとってのコストはだいぶ低くなる。だから、ひとつのジャンルがやたらと流行る、みたいなことはpixivでは発生しにくいんじゃないか(登録してないから詳細は知らない)。

最後に、システム上の改善案を考えてみる。今の小説投稿サイトにおいて、登録者には「投稿者」「閲覧者」という2つの役割しかないけれど、これにプラスして「発掘者」というのもつくってみたらどうだろう。つまり、人気はないけど面白い作品を発掘してアピールする役割の人たちだ。発掘後にその作品に「いいね」がたとえば100ついたら、発掘者には100ポイントが与えられる。このポイントは、何かの商品と交換できるわけではない。ただの数字だ。だけど、このポイントが大きければ大きいほど、「名発掘者」としての地位を確立することができる。そうすれば、運が良ければどこかの出版社で編集者として採用されるかもしれないし、なんらかの仕事が回ってくるかもしれない。そういう実益が何もないとしても、単純にうれしい。ただ、これだけだと発掘者が異世界転生モノばかり発掘してくる可能性があるので、不人気ジャンルから発掘してきた場合はポイントにウェイトが高めにつけられるようにすればいいんじゃないかな。「発掘」という作業自体もそれなりに楽しいものなので、悪くないアイデアのような気がする。


  1. 他に、「ストレスがかからないから」というのもある。つまり、異世界転生モノというわかりやすいテンプレに沿って書かれた小説は読者にとってストレスがかからない。また、転生主人公は大体チート的な能力を持っているので目の前の困難をサクサク解決できるという点でもストレスフリーだ。だけど、だとしたらなぜ小説投稿サイトだけでこうした現象が見られるのかが説明できない。小説投稿サイトの作品は隙間時間にスマホで読まれることが多いからとくにストレスへの要件が厳しいのだ、という考え方もありうる。たぶんそれもあるのだとは思うけど、でもだとしたら、異世界転生モノでなくても水戸黄門みたいな勧善懲悪モノでもいいはずだ(水戸黄門はストレスフリーだ)。となると、もっと多様なジャンルにチャンスが与えられることになるはずだ。つまり、「ストレスがかからないから」というのだと、「なぜ小説投稿サイトだけで異世界転生モノが過剰供給になっているのか」というのがうまく説明できないと思う。他には「異世界転生モノは貴種流離譚だから」というのもあるけれど、これもやっぱりなぜ小説投稿サイトでだけ異世界転生モノが氾濫しているのかを説明できてない。小説投稿サイトという表現媒体独自の特性に着目しないとこの現象はうまく解釈できないと思う。
  2. 別に事実関係をきちんと調べてるわけではない。ちらっと探してみたら「初期は異世界転生モノではなく別のジャンルが主流だった」という証言も見つかる(ただ、私みたいに詳しくない人間が見ると、その「別のジャンル」も「異世界転生モノと何がちがうの?」という印象がある)。