【研究ノート】計画的行動理論の批判的検討

 人はなぜ環境保全行動をするのだろう。マイバッグを使う、クーラーの温度を控えめにする、電気をこまめに消す。こうした行動を人はなぜ取るのか。

 環境保全行動の規定要因を明らかにすることで、どうすれば環境保全行動を促せるかが見えやすくなる。たとえば、もし人がお金だけで動いているのだとしたら、環境教育なんかしても意味はなく、補助金や課税によって人々の金銭的インセンティブをコントロールすることがもっとも効果的だということになるだろう。逆に、人々の環境に対する価値観が重要なのだとしたら、環境教育にもっと力を入れるべきだということになるかもしれない。

 論理としてはとてもわかりやすい。だから、環境保全行動の規定要因を探る研究は人気で、これまでたくさん行われてきた。いろいろモデルが提案されているが、その中でももっとも広く用いられているのが、計画的行動理論だ。ところが私は計画的行動理論が気にいらない。今回は、なぜ私がこの理論を嫌うのかをあれこれ考えてみて、自分なりのモデルを考える手がかりを見つけようと思う。

 計画的行動理論では、人間の行動の規定要因は3つだとされている。「態度」「主観的規範」「行動の統制可能性」だ。言い方が難しいけれど、かみ砕いていえば、「その行動を良いと思っているかどうか」「その行動をとるべきだと人々から期待されていると思うか」「そもそもその行動を取ることは可能なのか」ということだ。価値観、規範意識、予算制約、という言い方もできると思う。

 これはAjzenという、どう読んだらいいかわかんない名前の人が1985年に提唱した理論だという。このモデルの説明力が高いので、世界中で同じモデルがさまざまなテーマの研究に流用されることになった。でも、私はいろいろと不満がある。

 まず第一に、同じような研究が量産されるようになってしまったことだ。外国で何かの理論や手法が流行るとみんなが次々と真似を始める、というのは計画的行動理論に限ったことではない。ソーシャルキャピタル、社会構成主義、CVM、ベストワーストスケーリングなどなど。金太郎飴みたいに同じような論文ばかりで、正直うんざりする。とくに計画的行動理論なんてもう40年近く昔のモデルなのだから、そろそろ新しい展開がほしいところだ。

 第二に、計画的行動理論の提案するモデルは必ずしも優れたものではない。たとえばこれはゲーム論的状況を考慮していない。その行動を良いと思っていて、そうするべきだとも思っていて、それをすることもできるという状況でも、周りが協力してくれるという保証がないからなかなか行動に移せないというのはあるだろう。ようするに、共有地の悲劇とか囚人のジレンマみたいな状況だ。人の行動はそのときどきの社会状況から切り離して問えるものではないのだから、どういう状況でその行動を取るのか、ということを見ないといけない。計画的行動理論は、人々の社会関係を考慮していないのだ。現在どういう行動を取っているかを聞くのではなく、「こういう状況ではあなたはどう行動するか」という風に、具体的な社会関係の中でどうするかを問う仮想質問をしなくてはならないだろう。

 ヒースが『ルールに従う』の中で、ゲーム理論の分析の中に、人々の規範意識みたいなもの(ヒースはこれを「原理」と呼んでいる)を取り入れることを提案している。こうすることで、帰結に対する選好と、規範に従って行動することに対する選好をより分けることができ、それによって、これまでゲーム理論ではうまく説明できなかった社会現象を説明できるようになるからだ。ヒースのモデルの中に、計画的行動理論のモデルを包摂することはできると思う。「態度」に相当するのが「帰結に対する選好」で、「主観的規範」に相当するのが「規範に従った行動に対する選好」。そして「行動の統制可能性」は、従来のゲーム理論でも普通に考慮されてきたことだ(行動できない選択肢はそもそもゲームの戦略から外されている)。そして、ヒースのモデルは計画的行動理論とちがってゲーム論的状況を分析できるものだ。ヒースのモデルを具体的にどうやって意識調査に落とし込むかという課題はあるにしても、計画的行動理論よりも優れたモデルであるのは確かだろう。

 計画的行動理論に対する不満の三つ目は、モデルとしての説明力が高くても、その知見を具体的にどう活用すればいいかが見えにくいことだ。たとえば、「態度」と「主観的規範」が環境保全行動を強く規定することが明らかになったとしても、それでは「態度」と「主観的規範」をどう高めればいいのかとなると、さっぱりわからない。「行動の統制可能性」だったら、お金や道具や施設や人材を提供することで高めることができるかもしれない。でも、「態度」と「主観的規範」はどうすればいいのか? 環境教育をすればいい、ということになるかもしれない。環境教育を通して、その環境保全行動を取ることの重要性を理解してもらうとともに、そういう行動を取るべきであるという規範を植え付けるのだ。でも、環境教育が大事だなんて、ずっと昔から言われていることだ。環境教育の大事さを改めて示すという意義はあるかもしれない。でもそれだけのことだったら、計画的行動理論にもとづく研究をこんなに大量にやる必要はないだろう。それなりに意義はあるにしても、明らかにひとつのモデルに拘りすぎだと思う。

 という風にいろいろ文句を言ってきたけど、じゃあお前はいったいどういう代案を持っているのだ、ということになるだろう。私としても名案は無い、というか、名案を考えるための土台として計画的行動理論をディスってみただけだ。今のところの方向性としては次のようなことを考えている。

  • ゲーム論的状況を取り入れる。そのために、調査に使うアンケートでは、具体的な社会状況を設定した仮想質問を活用する。
  • 「態度」や「主観的規範」を高める要因に焦点を当てる。

 どちらも誰かがすでにやってそうだなあ。だからこれだけではとても「名案」とは言えない。

 あと、私としてはあくまで環境倫理に関心があるのだ。とくに、環境倫理の世代間での伝承みたいなのに関心がある。これもまた、おそらく計画的行動理論ではうまく扱えないものだと思う。なぜなら、計画的行動理論は人々の社会的関係を考慮しないモデルだから。親と子の関係とか、地域社会における文化の継承みたいなものは、このモデルではうまく扱えないだろう。このあたりを突っ込んで考えていった方が、私なりの「名案」を生み出せそうな気がする。