何年か前に読んだ本の再読。
断続的だけどベルクの風土論はずっと勉強し続けていて、もう20年近くになる。でも、いまだによくわかった気がしていない。
たぶん、環境問題を解決する上ではほとんど役に立たない議論だと思う。そもそも現実の環境政策に何の影響も与えていないし、これからも影響力は持たないと思う。でも、読む価値がないかというと、そういうわけでもない気がしている。やっぱり、環境とか自然について本質的なところは突いていると思うし、こうした視点をまったく知らない人が環境問題解決に向けて何か提案したとしても、どこか物足りないなあと感じてしまう。直接役立たないとしても、心構えみたいなものとして知っておくべきだとは思う。
とはいえ、ベルクの本はとてもわかりにくい。読んでいるときはわかったような気分にさせられるけれど、読み終わった後で他人に説明しようとすると、「つ、つーたいが主観と客観を乗り越えて近代の主客二元論が…」みたいにベルクの造語を呪文みたいに唱えて呆れられがちだ。
ベルクはたくさん本を出している。その中でも本書はとても薄い。なんと解説を除くと101ページしかない。ただ、ベルク風土論のエッセンスを手際よくまとめているとはとても言いがたく、はっきり言って、ベルクの他の本を読んだことのない人が読んでも、他人の日記を読まされているような感じにしかならないと思う。余計な昔話が多すぎるし、重要な概念の説明が不足しているし、後半に行くほど人に理解してもらおうという意思が感じられなくなって、「書きたいことを書いてみましたけど読みたかったら読んでね」って感じの極めてユーザーアンフレンドリーな代物になっている。でも、私は多少知識があるので、説明不足なところもなんとなく推測して理解することができる。補足しながらまとめていこう。
第1章 最初の無理解
若いころ、私(ベルク)は地理学者として日本に留学しました。先生に和辻哲郎の『風土』を貸してもらったけど、へたくそな英訳だったので意味がわかりませんでした。若き私はまだ風土論に目覚めていませんでした。
コメント
ここは完全に昔話の章。「ベルクって誰よ?」という人からしたら、なんで知らないフランス人の昔話を読まされなきゃならんの、という気分にさせられる。偉人でもないのに日記を出版してはいけない。自伝は自費出版でお願いします。
第2章 走り坊主の遺産
博士論文では北海道の開拓時の稲作について書きました。
日本人が北海道に入植したころ、稲作は禁じられていました。というのは、北海道の気候は稲作には向いていないと思われていたからです。米よりも小麦や馬鈴薯をつくれ、酪農をせよ、というのがアメリカ人顧問のアドバイスでした。
だけど、日本人の米に対する愛着は西洋人たちの想像を超えたものでした。中山久蔵(1828-1919)という米作りの名人がいて、彼は1873年に、石狩平野で初めて米を収穫することに成功しました。水温を上げるために、自分の家の風呂の湯を田んぼに注いで水の温度を上げたと言います。これこそが、私が後に唱えることとなった「通態性」の典型的なシンボルです。つまり、「湯(ゆ)」という言葉は、いろいろ神聖な意味を持っており、日本ではお湯は魂の力をもつと考えられているのです。中山はこの魂の力を田に注ぎ込み、米という形でその力を受肉させたわけです。
そして、農民たちの技術改良のおかげで、やがて北海道の大半の地で稲作が可能になりました。彼らは、本州での農業のやり方をそのまま北海道で踏襲したわけではありません。新しい技術、新しい行動、そして新しい風景を伴う、新たな「風土」を創造したのです。
これは社会と環境との偶然的な出会いによるものです。当時栽培されていたのは北海道での稲作に適した「坊主」という品種ですが、もしこれが北海道以外の土地で生まれていたら、不良品種として撥ねられていたでしょうね。
コメント
北海道の稲作のエピソードはベルクがあちこちで語っているものだ。この考察が、ベルク風土論の出発点となる。
このエピソードの何がポイントなのか、わかりにくいのだけど、ようするに「地理決定論的でない」ということだけ押さえていれば良いと思う。つまり、「北海道は稲作に向いてないから小麦を育てよう」と考えてしまうのは、「北海道という環境 → 小麦を栽培する社会」のように環境が社会を完全に決定してしまうという地理決定論に基づいた発想だ。これに対し、北海道の稲作のエピソードでは、環境と社会は相互に影響し合いながら変化していっている。「日本人の社会」だからこそ、そこが稲作に向いていない土地であっても米を作ろうとする。そして、そうした土地で米をつくるには、稲作のやり方も使う品種も本州とはちがったものを開発し、発展させていかなければならない。すると、逆に社会のあり方も影響を受ける。結果的に、北海道の風景は、アメリカの農村のように広大でありながら、耕作されているのは小麦畑ではなく水田であるという、本州とアメリカの合いの子のような独特なものになっている。これこそが北海道という風土の進化だ。
地理決定論だと何がまずいのかというのは説明されていないけど、まあ、説明するまでもないということだろう。地理決定論みたいな単純な理論だと、世界中に存在する社会や風景の多様性が説明できなくなってしまうのだ。
しかし、そもそも地理決定論などというものを信じる人が今の時代にいるのかどうか。たぶん、ほとんどの人はそんな風に考えないと思う。もちろん、「日本は地震や津波が多いから、日本人は苦難に遭っても弱音を吐かない我慢強い国民になったのだ」のような雑なことを言い出す人はたまにいる。でも、それはあくまで半分冗談で言っていることであって、公の場でそういうことを言ったりすると、文脈によっては差別的発言にもなりかねない(「おまえらの国は地震も津波もないから、国民の性質が惰弱なのだ」みたいな裏読みをされるとか)。
と考えると、地理決定論を否定するということ自体が、とくにインパクトのある主張ではないということになる。社会と環境の間に相互作用があるというのは、改めて言われなくても、当たり前のことなのではないか。
当たり前すぎて、ベルク以外にあえて取り上げる人がいなかった、という面もあるだろう。また、それだけでなく、あえて「環境と社会」の関係性として捉える必然性がないというのもあると思う。北海道の農民は、北海道の環境という「制約条件」の下で稲作を発展させたのだ。その制約条件の中には、環境だけでなく、ヒト、モノ、カネ、そして社会制度といったものも入ってくるだろう。そこから環境だけを取り出して扱うことにどういう必然性があるのかはよくわからない。
あと、「湯」に関する議論はぜんぜんついていけない。中山久蔵としてはとにかく水温を温めたかったのであって、別にお湯であることにこだわってたわけではないと思うけど。サーモスタットがあったらサーモスタットを使ってたと思うよ。
あれ? なんか2章の時点で議論がずいぶんガタガタのような…。