【読書ノート】『グリーン経済学』8章~9章

8 グリーン経済学と持続可能性の概念

 主流派経済学(新古典派経済学)による環境問題への考え方はこういうものだ。まず、環境関連の財・サービスは、普通の財・サービスとちがい、市場の失敗の影響を受ける。なぜ市場の失敗の影響を受けるのか? それは、たとえば二酸化硫黄の排出に適正な価格がついていないからだ。だから、きちんと価格をつければ市場の失敗は解消され、環境問題も解消されるだろう。

 こういう考え方には次のような批判がある。

  1. 現在世代の選好には将来世代の選好が反映されていない。
  2. 金融市場や公的な意思決定には、将来よりも現在を重視するバイアスが働く。
  3. 環境の質のような公共財の価値は、自由放任主義市場経済では安い価格で評価されがち。
  4. 持続可能性を確保する方法が何も考慮されていない。

 この中で大事なのは4番目だ。というのは、1~3の批判は、突き詰めれば持続可能性の問題だといえるからだ。

 財やサービスの中には、「かけがえのないもの」と「かけがえのあるもの」がある。たとえば、電車が導入されると駅馬車は使われなくなったが、それは、駅馬車が「かけがえのあるもの」だからだ。これに対し、環境に関わる財やサービスの中には「かけがえのないもの」が含まれている。しかし、主流派経済学はこうした違いを考慮しない。ある種の財が希少になるのなら、別の財で代替すればいいじゃないか、と考えるのだ。

 とはいえ、「これはかけがえがないから、絶対に消費するべきではない」というのも極端だろう。「かけがえのないもの」と「かけがえのあるもの」の間に明確な境界線が引かれているわけではない。だからこそ費用便益分析が必要になるのだ。

コメント

 「かけがえのない」というのは、本文だと「侵害すべからざる」というわかりにくい言い方だったので勝手に言い換えた。「かけがえのある」の方は、本文だと「純経済財」となっている。まあ、どちらも経済学の教科書には出てこない表現なので、適当に言い換えても問題無いだろう。

 「かけがえのない」と「かけがえのある」の区別は曖昧だから、費用便益分析で判断しよう、ということだけど、それだと主流派経済学とあまり変わらなくなってしまうんじゃないだろうか? 「費用」と「便益」について現在世代を優遇するってこともあるだろうし。あと、割引率を設定するときも、批判の2にあるような、金融市場による現在バイアスがかかるとかありそうな気がするけど。

 いや、別に主流派経済学でのやり方でも個人的には問題ないと思うのだけど、ただ、費用便益分析で行こうとなるとグリーン経済学の独自性が曖昧になってくるんじゃないかなあと思ったということ。

9 グリーン国民計算

 環境汚染を適切に処理した国民生産(つまりGDPみたいの)は、「グリーン生産」と呼ばれる。

 グリーン生産の前に、まず、GDPをもっと改善する方法を示そう。というのは、GDPでは減価償却が考慮されていないからだ。だから、投資総額から減価償却をマイナスしよう。あと、居住者のみの所得に注目した方がいい1。そうして求められるのが国民純生産(NNP)だ。

 しかしNNPにも欠点がある。それは、環境のように、市場で取引されない財やサービスがカウントされないことだ。以上を踏まえて、とりあえずグリーン生産を次のように定義しておこう。

 グリーン生産:国民生産の測定であり、市場取引を介さない重要な財・サービス、投資を含むとともに、大気汚染のような外部性が経済に与える影響を補正する。

 具体的な式で表すとこんな風になる。

 グリーンNNP = 通常のNNP + 汚染の価格 × 量

 出発点はNNPだ。NNPをあれこれ補正することで、グリーン生産を求める。補正の仕方には2つある。水準補正と成長補正だ。

 まず、水準補正について。Xという汚染物質で環境が汚染されているとする。するとその分の「汚染の価格×量」がグリーンNNPから差し引かれることになる。こうした水準補正によって、NNPの成長率を補正することを成長補正という。

 これを気候変動の例でみてみよう。水準補正すれば、普通はNNPよりもグリーンNNPの方が小さくなる。つまり、二酸化炭素排出の分、成長を少なく見積もるからだ。ところが成長補正によって、逆にNNPの成長率よりもグリーンNNPの成長率の方が大きくなることがある。なぜか? それは、環境対策のおかげで生産2に対する二酸化炭素排出量の割合が少しずつ減少しているからだ。二酸化炭素排出量の減少分がグリーンNNPの成長とカウントされるので、結果的に、グリーンNNPの成長率の方が大きくなることがあるわけだ。

 別の例でも見てみようか。地下資源の場合だとどうなるだろう? つまり、地下には石油や天然ガスや金属が埋まっているのだから、そいつらもグリーンNNPに組み込むべきではないかということだ。でも、それはやらない方がいい。というのは、地下資源はただそこにあるだけであって、新たに生産されているわけではないからだ。

コメント

 ふーん、と思いつつも、グリーンNNPを求めたとしてそれを何に使えばいいのだろうか、とふと思った。グリーンNNPの低い国に「もっとがんばれ」とハッパを掛けるとか? でも、グリーンNNPには経済活動の分と環境破壊の分がまざってるので、経済発展をがんばればいいのか、環境保全をがんばればいいのか、かえって方向性がわからなくなる気もする。あと、環境破壊を凌駕するような経済成長を遂げれば、少々の環境破壊はごまかせる、みたいなへんなインセンティブが働きそうな気もする。別に、無理して求めなくてもいいのではないだろうか。無理して求めるべき理由もとくに書いてなかったと思うし。


  1. GDPだと海外に住んでる自国民の生産もカウントするのだけど、それだとたとえば日本という国として環境にどんな影響を与えているかが見えにくくなってしまうから、ということかな?
  2. 二酸化炭素の生産ということではなく、経済生産ということ。