19 グリーン世界における個人の倫理
アダム・スミスのいう「見えざる手」がうまく働いていれば、私たち一般市民は倫理をめぐる複雑なあれこれを考えなくて済む。市場がきちんと機能しているなら、私が何かを売買する時、たいてい売買相手の経済的な幸福を向上させるからだ。それに、倫理的にその行動が正しいかどうかを判断するために情報をたくさん集める必要もない。
でも、現実の世界には外部性がある。そういう場合、見えざる手はうまく機能しなくなる。そして、外部性によって私たちは他人に害を及ぼしてしまう。それなのに、その分の補償をしないのは非倫理的といえるだろう。つまり、外部性が規制されていない場合の道徳的な原則は、次のようなものになるのだ。
他者に害を為してはならない。害を為した時には、補償しなければならない。(p270)
また、外部性が規制されてない場合、そうした外部性を規制するための法の成立を促すことも、私たちの倫理的義務になる。
もうひとつ、経済学の考えにもとづく倫理を述べておこう。
あなたの外部性のフットプリントを削減する、ほんのちょっとした行為によって、全体的な幸福度を大きく向上させ、相手に対する外部性の影響も削減できる。(p274)(だから、そのほんのちょっとした行為をしよう)
これは、私が「無後悔対策」と呼ぶものに基づいている。私の幸福と、あなたの幸福はトレードオフの関係にある。私が夏に、エアコンの温度を21度にしておいて快適に過ごしているとする。あまりに快適なので、21度を22度にしてもそれほど快適さは失われない。だけど、そうすることで電気の使用量を10%減らすことができる。そうなると、あなたの幸福度はだいぶ上がることになるだろう1。
だけど、こうした行動を個人でやっても、あまり大きな効果は期待できない。そもそも、どんな行動をするのが環境にとって効果的なのかという情報も個人には不足している。とくに気候変動みたいな問題に対処するには、政府による力強い集団行動が必要になってくる。
コメント
外部性がないときの倫理原則(ちゃんと補償をせよ)は、ヒースの市場の失敗アプローチとかなり似てるな。経済学の観点からいうと倫理はこうした形のものにならざるをえないのかもしれない。
「無後悔対策」の議論はなんで出てきたのかよくわからない。限界効用は逓減するから、効用水準が高いときは財の消費を多少減らしても効用水準が大して減らない、みたいなことを言おうとしてるのだと思うけど。でもそれって、排出権取引とかの形で市場に内部化してしまえば、市場取引を介して自動的に考慮されるようになるのではないだろうか? あるいは、市場取引を想定しているのではなくて、課税を通して再分配をするようなシチュエーションを想定しているのかな? (環境税を金持ちから多めに取ろうみたいなこと?) → 後の方の章でこの議論が役立ってくる。
20 グリーン企業と社会的責任
フリードマンは、企業の社会的責任とは「オープンで自由な競争に専念するというゲームのルールを逸脱しない限り、企業の資源を活用して、利潤を追求する事業活動に従事することだ」と主張している。
でも、フリードマンのいう「ルール」とはなんだろうか? 外部性が規制されていないとき、外部性を垂れ流すのはルール的にセーフなのか? それともアウトなのか? 「ゲームのルールを逸脱しない」というガイドラインは曖昧すぎて役に立たない2。
利潤の最大化というのも、短期主義を避けるべきだ。近視眼的に動くのではなく、「啓発された価値最大化」を目指すべきだ。
なんでもかんでも法で規制することはできない。法の不完全性による空白を埋めるのがESGなのだ。ESGの対象になるものは膨大だ。適切なESGをどうやって選べばいいだろう? その選択基準になるのが外部性だ。私は次のようにESGを定義し直したい。
環境、社会、企業ガバナンス、すなわちESGには、企業による金銭的、技術的な外部性の軽減が含まれる。最も関連性が高いのは、従業員や地元コミュニティなどの利害関係者に及ぼす影響であり、とりわけ深刻な社会的影響を及ぼし、企業が特別な専門知識を持つ外部性である。 (p289)
私は、次のようなESGのガイドラインを提案する。
- 企業活動は、社会的便益ー費用テストに合格すべきだ。
- 企業は、情報的、経済的な比較優位を持つ分野に自らの資源を集中すべきだ(その方が、有害な影響を特定しやすいし、対策も立てやすい)。
- 企業はおもに利害関係者に便益をもたらすESG活動に焦点を合わせるべきだ。
ガイドラインの3つ目は、企業を営利組織ではなく、小さな社会と見なすという発想だ。「企業はそのミニ社会に積極的に参加すべきであり、とりわけ労働者、コミュニティ、長期の顧客を疎かにすべきではない
企業は自らの事業と地域社会についてはよく知っているが、それ以外のことはよく知らない。だからこそ、ガイドラインの2と3が重要になってくるのだ。
あと、企業がESGに取り組むとき、無後悔対策の原則も忘れないようにしよう。企業は外部性を補正するために、利益をほんの少し削減するだけでいいのだ。
コメント
ここらへんはヒースの「市場の失敗アプローチ」そのままという感じだな。ただ、ESGのガイドラインの3つ目に関して「ミニ社会」への参加を求めるあたりは、ヘルマン=ピラートっぽい感じでもある(ミニ社会=アソシエーションと捉えれば)。
あと、そうした企業の社会的責任を後押しする議論として「無後悔対策の原則」を援用しているように思う。ここらへんはノードハウスのオリジナルだ。
21 グリーンファイナンス
企業の社会的責任では、企業が何をどのように製造するかが重視される。ところがグリーンファイナンスでは、「何を」製造するかしか重視されない。たとえば、エクソンモービルはとにかく石油と天然ガスを生産しているのだから悪だ(だから投資はするべきでない)とった風に。
しかしそのために、ポートフォリオにおいて、特定の銘柄が排除されてしまいがちだ。そのため、期待収益率が下がってしまうのだ。
ここでも無後悔対策の原則を適用しよう。最適なポートフォリオから、特定の銘柄をちょっとだけ排除しても収益にはわずかな影響しか出ない。しかし、たくさん排除したらダメだ。
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グリーンも大事だけど、ほどほどにね、というのが教訓。