【読書ノート】『グリーン経済学』10章~13章

10章 エクソ文明の魅力

 地球の環境がメチャクチャになっても、よその惑星に移住すればいいじゃないか、と考える人はいるかもしれない。移住先で新たに「エクソ文明」を築くことに成功したなら、地球上のさまざまな環境問題はチャラになる、というわけだ。

 でも、残念ながら自給自足可能なエクソ文明を築ける可能性は低い。たとえば火星に移住するという計画を実行しようとしても、ロケット打ち上げにかかる累積費用はひとり当たり25億ドルを超えるし、住居費やらなんやらを入れたらひとり当たり年間2億5000万ドルはかかるだろう。火星で何か財を生産して地球に輸出したとして、この費用をまかなえるだろうか? 無理だ。だから、火星の植民地は持続可能性テストに合格できないのだ。

 たくさん投資して技術進歩していけばもっとコストを下げられるのでは? と思われるかもしれない。確かに。でも、だとしても心理的、経済的な問題、さらには社会構造の問題はつきまとうだろう。たとえば心理的な問題を考えよう。犬がないと生きていけないという人はそれなりにいるだろう。彼らにとって、犬のいない星なんて生きてる価値がない。では、犬は火星に住めるのだろうか? それは無理かもしれない。なぜなら、犬は地球という特殊な環境に適応してきた生物だからだ。

 持続可能な世界を人為的に作ろうとした事例も見てみよう。バイオスフィア2というのがある。これは、アリゾナ州に建設された巨大なガラス張りの閉鎖空間だ。ここに地球上の生物群系を再現して、2年間、8人の人々に生活してもらおうという実験をやったことがある。しかしこれは大失敗だった。酸素濃度はギュンギュン下がるし、生物種がどんどん絶滅していくし、散々な結果に終わった。

 バイオスフィア2の「ひとり当たりNNP」を推計してみた。2015年のアメリカの値が47,907ドルであるのに対し、バイオスフィア2の場合はなんと-3,443,064ドルだった。これは、バイオスフィア2を維持するのにとてつもない投入が必要であり、さらには資本の減価償却も膨大なものになるからだ。

 というわけで、近い将来に自給自足のエクソ文明が実現する見込みはほとんどないのだ。

コメント

 そうか、NNPはこういう風に使うのか。本章では持続可能性の指標としてNNPが使われている。

 『水星の魔女』とか見てても、いきなり緑豊かなコロニーで暮らしている人々の生活が出てくる一方で、そういうコロニーをどうやって作ったのかというプロセスはまるっと省かれてしまっている。考えてみればそれも変な話だけどな。私はSFに疎いのだけど、ここらへんのプロセスを描いた作品ってあるのだろうか? 意外と無さそうな気がする。

11 パンデミックなどの社会的カタストロフィ

 (コロナ禍に書かれた本なので、コロナについてたくさんページが割かれている。こういうカタストロフィはもちろん持続可能な社会をつくる上で重要なのだけど、ちょっと内容がコロナに寄りすぎているので、他の章に比べてかなり浮いてる印象がある。なので省略)

12 グリーンの敵である行動科学

 省エネ効果の高い家を買うとかするときは、市場収益率を使って費用便益を割り引くべきだ。だけど行動経済学の教えによると、人間は割引率を高く設定しすぎる傾向がある。

 これは環境行動において問題になる。というのは、環境汚染を削減するために投資するとき、費用は今すぐ払わないとならないのに対して、実際の便益が現れるのはずっと将来になるからだ。すると、便益が大きく割り引かれてしまう一方、費用の方は割り引かれないから、「環境汚染を削減することは割に合わない」と評価されることになるからだ。

 同じような話だけど、「初期費用バイアス」といって、目先の費用を過剰に気にしてしまうという問題もある。

 では、なんでわれわれはそんな風に意思決定に失敗してしまうのだろう? 理由は次の4つだ。

  1. 情報の問題:情報が足りなかったり、情報をきちんと理解してなかったりする。
  2. 意思決定の問題:間違った意思決定を合理化してしまう。
  3. 制度の問題:制度が原因で価格インセンティブが働いていない。
  4. 経済以外の選好:現状維持バイアス、損失回避、利他的な行動など

 ライフサイクル費用分析というのを使えば、初期費用バイアスにひっかかった意思決定が馬鹿げたものであることは一目瞭然だ。つまり、費用と便益が長期的にどんな風に発生するかを調べ上げて、さらに適切な割引率で割り引く、というやり方だ。

 じゃあ、ライフサイクル費用分析を使えば私たちは初期費用バイアスを克服できるのだろうか? そういうわけでもない。というのは、ライフサイクル費用分析はすごく手間がかかるし、そもそも必要なデータが手に入らないこともあるからだ。

 だから、個々人がライフサイクル費用便益分析を使うのではなく、政府が適切な規制を実施すればいいのだ。そうすることで、エネルギー効率の悪い住宅や家電を排除してしまえばいいのだ。

コメント

 個人の心理的バイアスをいかに克服するか、という方向に話を進めるのではなく、そもそも個人の意思決定にあまり頼るな、というのがこの章の主張。

 経済学の観点からいくとそういう結論になるのはわかる。ただ、そういう発想だと個人が環境に対して関心を持つきっかけが軽視されることになるのではないかな、とも思う。「消費者は政府の規制をクリアした商品を買ってればいいんだよ。中途半端に頭使わなくていいよ」と言っているようなものだから。

 私も個人の意思決定が合理的なものだなんて思わない。環境に良いと思い込んでいる行動が、環境にとってほとんど無意味だということは普通にあると思う。でも、無意味であっても環境配慮行動を習慣化している人々がいるからこそ、炭素税みたいに本当に環境保全に有効な政策を支持する層が維持されるという面はあると思う。環境のために何かしたことのない人が環境配慮に関心を持つ可能性は低いのではないかな。ノードハウスは「非合理な行為は無意味」と考えているように思うのだけど、私は「非合理な行為もまわりまわって有意味」と考える。

13 グリーン政治理論

 市民の健康や安全を脅かすような深刻な外部性については、政府は直接的規制管理を行う。たとえば1970年、アメリカのでは気浄化法で汚染物質排出量の削減を自動車メーカーに義務づけた。

 ただ、本当をいえばやみくもに規制するのではなく、きちんと限界費用と限界便益を比較するべきだ。たいていの規則はこういうプロセスを経てない。直接的な管理は非効率なものになりがちなので、たとえば排出課徴金を利用するなどして、市場を通してアプローチした方がいい。

 政治とは、個人の選好をひとつにまとめる方法だと定義できる。つまり、大気汚染や気候変動のような問題に対処するには人々が集団行動することが必要だが、政治は、彼らの選好をひとつにまとめて、規制を設けたり、望ましくない活動に課税したりするのだ。

 しかし選挙をするたびに与党がころころ変わってしまうことはある。その場合、政府の意思決定もころころ変わってしまうことにはならないだろうか? とりあえずアメリカの場合は大丈夫だ。というのは、制度の多くに慣性の法則が働いており、方の撤廃にやたらと面倒な手続が必要だったりするからだ。

 一方で、税法は割と変わりやすい。だから、せっかく環境税が成立しても、環境主義に批判的な人物が政権の座に就くと、あっさりと廃止されてしまう可能性がある。

 最後に、ロビー団体の影響力は大きい。良い環境政策であれば、費用便益分析をきちんとパスするだろう。しかし、環境問題の害を受ける人々は広範囲に散らばっていて、団結できない。一方で、ロビー団体は一部の人々の利益を代表して団結することができる。だから、良い環境政策であっても成立しなくなってしまいがちなのだ。

コメント

 ロビー活動って、日本だとあまり身近に感じられない気がするのだけど、そうでもないのかな? 農協はロビー団体なのかな。でも、農協は准組合員がやたらと増えてしまったので、組織としての一体性がなくなってきてるんじゃないかと思うのだけど(調べたら6割くらいが准組合員)。ちょろっと検索したら「農協のロビー活動の影響力低下をめぐる要因分析」なんて報告が見つかるくらいだから、やっぱり弱体化してるんだと思う。

 環境保全を働きかけるロビー活動ってないのかなあ、と思ったけど、やっぱり難しいのかな。ロビー活動は基本的に自分たちの利益のためにやるものであって、一方、環境保全は公益のためのものだ。「公益」を隠れ蓑にしてロビー活動はありそうだけど、本当に環境のために行われるロビー活動は存在しないんじゃないかな…と思って調べてみると、いや、結構やられてるよ。どう理解すればいいんだろう? ダメだ、私には知識も常識もない。