【雑文】もっと凸凹を!

 私がやりたいことは突き詰めれば勉強ノートをまとめることなのだから、別にブログに書かなくてもいいよなあ、と思ってしばらくブログを休止していた。その後少しのあいだだけScrapboxを使っていて、そのあと深い理由もなくNotionに移行した。

 ただ、Notionに勉強ノートを書き続けてだんだんわかってきたのだけど、これだと本当にただ本の要約を書いているだけになってしまいがちだ。

 要約だけだと何がまずいのか? それは、本の内容が頭を素通りしてしまうことだ。

 本を読むときは、別にその本に全面的に賛成して読んでいるわけではない。ところどころ「へんだなあ」と思ったり「これって、こういう方向にも展開できないかな?」とか思ったりしながら読むわけだ。つまり、本は読み手のバイアス込みで読むものだ。なのだけど、単に要約を書くというだけだと、そうしたバイアスのない、平板な文章になってしまう。だから、頭を素通りしてしまって、読んでも読んでもなかなか頭に定着しないし、自分の考えもあまり進歩しない。文章はもっと凸凹したバイアス込みのものにした方がいいのだ。

 別にNotionでもなんでも、バイアス込みで書けばいいじゃん、という気もするのだけど、なぜかNotionだとそうはならない。Notionだからというよりも、人目に触れない文章を書くと、書き方が平板なものになってしまうということだと思う。書いても楽しくないから、必要最低限の労力で効率的に書こうとする結果、平板になるのだろう。

 放置していたブログの方は、あんまり人は来ないのだけど、それでも平均したら毎日10pvくらいはある。10人が1回ずつ見てるのか、1人が10回見てるのかはわからないけど、ともかく人目に付いているということだ。

 人目があれば、そこには自意識が働く。自分が賛成できない内容の本の要約を書くとき、自分がそこに賛成していると思われたくないから、余計な自分の意見を書き添えたりする。くだらない自意識だ。でもその自意識が、余計なことまで考える動機になる。それで結果的に、ブログに書いた方が凸凹した文章になるのだ。

 あと、私はずいぶん長いこと失業していたのだけど、やっと大学教員に復帰することになったのだよね。それで授業資料をつくろうと苦悩しているのだけど、「なんかこんな調子じゃクソみたいな授業にしかなんないな」という感じにつきまとわれているのだ。

 だから、授業資料のパーツをこのブログで作っていこうと思っているのだ。で、なるべく凸凹したパーツをつくっていきたい。凸凹したものが学生に受けるかどうかというと、まあ、受けないだろうと思う。効率的に勉強したい大多数の学生にとって、凸凹は忌むべきであって、もっとすべすべしてないといけないのだ。でも私は中学生や高校生くらいのころから、そういう「わかりやすく丁寧だけど無味乾燥な授業」をする先生たちのことを内心軽蔑していたのだよ。点数の取り方を教えてくれる先生よりも、自分の考えを論じてくれる先生の方が好きだった。

 私が高校時代好きだった古典の先生は、古典の授業なのに太宰治坂口安吾の話ばっかりしてたな。クラスの9割くらいの人たちはその話を無視してせっせと受験勉強に励んでいたけど、私を含む1割は先生の話を熱心に聞いていた。私はその1割に届く授業ができればいいと思っている。

 はてなブログ、しばらく使ってなかったけど、ブログタイトルをAIが考えてくれるサービスなんて追加されてたのだな。使ってみたら、「授業を楽しくする先生の秘訣」だってさ。まあ、AIに読みこなせないような文章を書けるよう、これからも努力するよ。