【雑文】2022年に読んで良かった本

今年も残すところあとわずかええと何日ですか。数えるのが面倒くさいけれどたぶん10日は切っていると思うから今年をまとめておこう。まとめ方もいろいろあって、極端な人は1文字でまとめようとか無茶をやらかしてるらしいけれどたぶんそういう雑なまとめ方だとあとで振り返ったとき何が何だかわからなくなると思う。「2022年は膝でした」とか言われてもね。だからおっくうがらずそれなりに字数をかけて、そして焦点を定めてまとめた方が良いと思う。私がどこに焦点を当てるかというと「2022年に読んで良かった本」です。

今年一番良かったのはこの本。やたら難解だけど、経済学と倫理学の結びつきをこんなに説得力ある形で示してくれた本は初めて読んだ。アマルティア・センの議論をさらに先に進めるものだともいえると思う。再読が苦手な私にしては珍しく2回読みました。ただ、文献引用の仕方が割と雑なので、元ネタの本や論文を読まないと議論についていけないところが結構ある。それで、クラークの『現れる存在』とかピピンの『ヘーゲルの実践哲学』とかも読んだ。センの『正義のアイデア』も再読したな。その流れでセンの『集合的選択と社会的厚生』というクソめんどくさい本にも手を出してる(8章まで読んで最近は中断してるけど)。カントとヘーゲルとか青木昌彦も読んでみて、また読み直してみようかな。

数年前に読んだのを再読中。さっき挙げたヘーゲル本にかなり似た議論をしているという印象がある。たとえば本書でヒースが主張する「選好の認知主義」というのに対応する表現として、ヘーゲル本では「選好は制度である」というのがある。いずれも、選好は所与のものではなくて社会において生み出されるものであり、本能ではなく理性の範疇のものなのだという風な考え方だ。ただ、ヘーゲル本の方は「公共的討議」といって、社会制度を構築していくときに多様な人々が議論することを重視している。そしてその公共的討議の場となるのは企業であって、企業によるロビー活動は公共的討議のひとつのあり方なのだ、みたいなことも言っている。でもたぶんヒースはそういうロビー活動みたいなのは市場を歪めるものだと批判的に考えるんじゃないだろうか?

市場の失敗を利用しない範囲で利潤最大化することが企業の義務である、というのがヒースの主張する市場の失敗アプローチだ。ロビー活動が市場の失敗につながるかどうかはケースバイケースだと思うけど、あまり肯定的には捉えられないんじゃないかなあ。経済学の基礎を再構築する方向性はヒースとヘーゲル本でかなり似ているけれど、市場に対する考え方は真逆のようにも思える。いずれにしても、この市場の失敗アプローチというのはすごく面白くて、「パレート原理」という経済学の基礎概念をベースにして市場における道徳を導き出していくというのは発想としてかなり画期的だと思う。普通は、倫理学の方で何らかの道徳を考えて、それを経済学に適用してみる、という手順で考えると思う。ヒースは逆に、経済学そのものの中から道徳を引っ張り出してきてるのだ。

ヒースの市場の失敗アプローチのベースにはフリードマンCSR批判の議論がある。それで参考のために読んでみたらすごく面白かった。フリードマンって新自由主義のラスボスみたいな扱いをされることが多い気がするけれど、本書を読むと別に「なんでも市場に任せればいいんだよ政府死ねガッハッハ」みたいなことは言ってなくて、むしろ市場という制度をうまく利用した方が格差を解消したり人々の自由や権利を守る上でずっと有効だよということを言っているのだとわかる。逆にそういう市場のしくみをよく理解せずに弱者救済のための政策を実行するとかえって当の弱者にも害をもたらしてしまうことがあるので、善意の人々は本書を読んで善意のうまい使い方を考えてみると良いと思います。経済学ってやっぱり大事だよなあと思って、最近は岩田・飯田の『経済政策入門』をちびちび読んでる。フリードマンの本に比べると書きぶりにユーモアが欠けるのが難点だけど、普通のミクロ・マクロの教科書に比べるとずっと政策批判に踏み込んでて面白い。

経済学に興味を持ちだして、関連する本をちょこちょこ読み出した。この本は、たしかGoogleとかAppleとかのIT系の超大企業には新規参入企業はぜったい勝てないということを実証的に示した本だったと思うけどよく覚えてない(まじめに読書ノートを書かないとこのザマだぜ)。ようするに、ネットによって社会がリゾーム型になって弱者が強者に抑圧されることもなく逃走して一花咲かせることができるぜ、みたいなのは幻想で、実はネットによって弱者にはぜったいに覆せない絶望的な格差が生まれてしまうということを膨大なデータで示してくれる。もちろん楽しい本ではないのだけど、今の社会の構造を理解するためには読んでおかなくてはならない本だと思う。

この関連だと、最近はずっと積ん読になってた『21世紀の資本』を読み始めている。こちらも、格差は絶望的で覆せないぜということを言おうとしているみたい。なんか、社会が19世紀に戻っちゃったみたいだよね。『家なき子』とかの19世紀の小説を読むと、貧乏人は本当に貧乏から逃れる術が何も無くて、「赤ちゃんのころにお金持ちの両親の元から連れ去られた」みたいな無理な設定がないと、貧乏人がのし上がることは不可能だ。で、それが20世紀になると『グレートギャツビー』みたいに、貧乏人でもチャンスをうまく生かしたり少々の不正に手を出したりすれば大金持ちにのし上がれる、という物語が登場するのだけど、こういう物語もだんだんリアリティを失っていくんじゃないか。今の「純文学」をみても、「貧乏人には貧乏人なりの生きる喜びがあるのだ」みたいなシミったれた小説ばかりでぜんぜん面白くない(偏見かな? そもそも最近小説読んでないし)。貧乏が固定化されると、文化までもが衰退していってしまうのだと思う。

で、これからさらなる格差を生み出しそうなものとしてAIが挙げられる。AIが上手な絵を描いたりして、もう人間はAI様の肩もみでもして生きるしかないのではないかと戦々恐々としている人も少なくないだろう。また、AIが心を持ったとか騒いで会社をクビになったAIエンジニアがいるみたいで、実際にAIを作ってる人でも、AIが人間に取って代わると信じている人もいるみたいだ。でも本書を読むと、少なくとも今みたいにディープラーニングだけに頼ったやり方だとAIに心が生まれるのはありそうもないというのがわかる。心を生むには環境とのあいだに複雑なインタラクションを持つための身体が必要だし、「死」というものをなんかかんかの形で取り入れることも必要だ。本書は後半にいくほどどんどん難解になっていって、途中からはほとんど理解できてない。でも、力学系とか勉強していつかまたチャレンジしたい。全部は理解できなくても、AI恐怖症を克服するにはよい薬になると思う。

あと、AI関係だと『ゲームAI技術入門』というのも良い本だった。AIってディープラーニングばかりじゃなくて、ファミコンドラクエ4デスピサロ相手にザラキ唱えまくるクリフトだってAIなんだよね。AI技術は実はゲームの世界が先進的で、ゲームで開発されたAI技術がロボティクスで活用されるなんてこともあるらしい。あと、ディープラーニングは計算コストがかかりすぎてゲームプレイに支障がでるから意外とゲームでは活用されてないとか、ゲームのバグ取りにAIを使うと便利だよとか、ゲーム開発の現場での実態に即した地に足がついた議論でとてもためになる。そりゃそうだ。AI、AIって、世の中はいまさら騒いでるけれど、ゲームの世界ではもう何十年もAIとつきあってきているのだ。

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で、最後に、今年プレイしてよかったゲーム。本じゃないじゃん。そして全部メトロイドヴァニア。ラムラーナ2は難しすぎて自力でクリアできる気がしないけど、来年中にはなんとかどうにかしたい。