「新しさ」をアピールするものはだいたい古い

マンションの郵便受けになんちゃら党からのチラシが入っていて、エレベーターの中で読んでみると、割と良いことを書いているように思った。ふむふむ、テーマごとに人々が集まって、 一緒に学び合いながら政策を考えていく。そして、コミュニティから政治家を送り出していく。なるほどねえ。政治ってのは多くの人々にとって身近なものではないし、選挙活動では候補者たちはきれいごとしか言わないから、国民たちはなかなか政治参加のモチベーションが湧かない。こうやって、人々が話し合える場があるのは悪くないんじゃないかなあ。そのときはそう思った。

で、自分の部屋に戻ってもうちょっと考えてみると、でもどうかな? とも思うようになった。そういえば、このチラシ、具体的な政策がなんにも書いてないな。それもコミュニティで議論しながら考えていきましょうってことなのかな? でも、それって丸投げ過ぎでは? 政策の大まかな方向性も示されずに、人はこういう政党のタウンミーティングみたいなものに出かけようと思うだろうか…。チラシの写真では意識高そうな老若男女が微笑んでいるけれど、そもそもこの人たちはいったい誰なのか。いったい何を微笑んでいるのか。微笑みの理由を教えてくれ。わたしには君たちの微笑みの謎がぜんぜんわかんないよ。

そして、ネットで調べてみると、党の主要メンバーの発言についていろいろ楽しい情報が見つかった。反ワクチン、波動治療。うん、もうわかった。その先まで言わないでいい。どうせお次はウクライナナチスの関係を情熱的に論証する800ページくらいの報告書が出てくるのだろう。チラシに政策が書いてない理由がわかった。つまり、まともに政策を書いたら大部分の人がドン引きするのが目に見えているからだ。だから、政策に関しては黙しておいて、意識高そうな老若男女に微笑ませておけばいい。たぶん、写真撮られた老若男女も自分たちの写真が何に利用されるのか知らなかったのだろう。そう思いたい。

で、この政党のチラシはさっさと捨ててしまったのだけど、でも、タウンミーティングみたいなところから政治家を送り込んでいくというアイデアは悪くないような気がした。もっとうまいやり方をすれば良いんじゃないかなあ、と10分くらい考えてみた。で、うん、やっぱりダメだ、という結論になった。

なぜかというと、結局のところ、まず政策が無いと人は集まらないものだからだ。タウンミーティングっつったって、それを主導する人がいないと話が始まらない。いきなりタウンミーティングで議論始めて、「それじゃあ、あなたは弁が立つから今度立候補してね」なんて言われたらたまったものじゃないし、多くの人は、自分は立候補しないという前提じゃないと参加しないだろう。

自分以外の誰かが立候補してくれるのでないと、人はそもそもタウンミーティングに集まらない。で、その立候補したいという人たちは、当然、政策を持ってないとならない。政策の無い人が立候補したいとかほざいてたって、頭脳が健康な人ならにこにこ微笑んで通り過ぎるだけだろう。

で、そうなってくると、ちゃんとした政策を持つ候補者の主催するタウンミーティングに彼の政策を支持する市民たちが集まってくる、という構図になる。それってどういうことかというと、要するに普通の後援会と何にも変わらないわけだ。なあんだ。意識高い老若男女が微笑んでるから、てっきりなんか新しいことなのかなあとか思ってたけど、やっぱり彼らは何も考えずに微笑んでただけなんだ。

「みんなでつくる」とか「DIY」とか言われると、なんだか良いことが行われているような気がしてしまうものだ。でも、そういうとき、「よし、じゃあ私もこのタウンミーティングに参加してDIYしてみようっと!」と慌てる前に、まずは暖かいお茶でも飲んで、「一体これは何が新しいんだろう…?」とノートにいろいろ書き出してみると良いと思う。本当に新しいことなんて、世の中にはあんまりないものだ。だって、もう2022年なんだよ? 普通の人が思いつくことなんて、とっくにやり尽くされています。新しさを装っていても、冷静に考えるとだいたいのことは古いか、あるいはただの詐欺です。