【読書ノート】Morality, Competition, and the Firm 第3章

3_Business Ethics without Stakeholders

イントロ

わたしは、企業に社会的責任はない、なんてことは考えていない。ただ、そういう企業の義務を考えるのに、ステークホルダー理論というのが適切かどうかというのに疑問があるのだ。p68

3.1. Business Ethics as Professional Ethics

医者の義務は医者としての義務であって、その人個人としての義務ではない。それと同じように、経営者の義務は経営者としての義務だ。ビジネス倫理をそういう風に考えてみよう。 p69

こういう風に、経営者の倫理を「プロとしての倫理」と考えるなら、そういう行動規範は会社法とかベストプラクティス集とかに書いてある。 p70

3.2. The Shareholder Model

個人が自身の利益を高めるために弁護士を雇うのと同じように、企業の所有者は自身の利益を高めるために経営者を雇う。 p74

利潤を求めることを擁護する根拠として、パレート原理が挙げられる。つまり、利潤を求めるからこそ、市場における効率性が達成できるのだ。 p74

3.3. The Stakeholder Model

経営者がステークホルダー集団の受託者だと考えてしまうと、経営者はステークホルダーたちの要求のバランスを取りつつ、株主が満足する経営パフォーマンスを達成するという無理ゲーをクリアしなければならなくなる。逆に、ステークホルダーからしてもこれは大問題であって、経営者がうまくやっているかどうかを評価するのがほとんど不可能になってしまう。というのも、経営者は独自の判断でステークホルダーたちの主張のバランスを取っているからだ。いくらステークホルダーたちが文句を言ったって、「いや、やれることはやってるんだよ」と経営者に言われたら、それを信じるしかないということになる。 p81

そもそも誰をステークホルダーとしてカウントするべきなのか? ある工場がデトロイトにあるとしたら、デトロイトの地域社会はその工場にとってのステークホルダーとしてカウントされるだろう。ここで、この工場がメキシコに移転するとしたらどうなるだろう? デトロイトからメキシコに移転すれば、デトロイトの地域社会にとって不利益になる。一方、移転を取りやめれば、メキシコの地域社会にとって不利益になる。「いや、まだ移転してないんだから、メキシコ関係ないじゃん」という反論があるかもしれないけれど、道徳的な観点からは、実際の利害の方が潜在的な利害よりも重要だという理屈は成り立たない1。ただ、利害が潜在的な場合、メキシコの地域社会の人々は自分たちの利害を表明するために団結することができない。でも、だからといってメキシコの地域社会を企業が義務を負う対象のリストから外すことはできないだろう。 p82-83

仮に経営者はステークホルダーたちに関心を示さなければならないとしても、そもそも経営者はそういう判断を下すのに適した人物なんだろうか? そういうのは公共政策とか民主的熟議で考える問題であって、経営者が考える問題ではないのでは。 p84

市場経済を通して社会的に望ましくない結果が生まれたとしても、それは価格メカニズムの結果だ。個々の企業とか経営者が直接責任を負うべきことかどうかは明らかでない。 p85

3.4. The Market Failures Model

Freeman(1998)では、規制を拡大してきたことは、ステークホルダーたちの主張が法的に認識されてきたことを意味しているのだ、という主張がなされている。これは重大な誤解だ。規制が拡大したのは市場の失敗を是正するためだったのだ。 p87

わたしが提唱する「市場の失敗アプローチ」だと、企業は法的規制だけじゃなくて、道徳的・社会的義務にも従いながら、利潤を最大化するよう経営されるべきだ、ということになる。で、ここでいう「義務」というのは、一般的な道徳に基づくものではなくて、市場全体が効率性を達成するための条件に基づいたものだ。 p90

で、利潤最大化の手段には「スポーツマンシップ」的な道徳的制約を課している。勝つことが目標であっても、手段はちゃんと選べ、ということだ。たとえば、「抜け穴」があったとしてもそれを利用してはいけない。スポーツと同じように、競争ではお互い敵同士なのだけど、だからといって相手を倒すために何でもやっていいわけではないのだ。 p91

ステークホルダー理論の問題は、こういう「敵同士」という観点がすっぽり抜け落ちていることだ。 p91

3.5. Conclusion

(省略)

感想

前章と議論内容はほとんど同じような感じという印象。経営者がステークホルダー同士の利害をバランスさせるなんてできないし、それをやろうとしたらその経営がうまくいっているかどうか誰も評価できなくなるよ、という話。

ちょっと新しいのは、最後の方に出てきたスポーツマンシップの倫理で経営者の倫理を考えようとしているところ。でも、ここは次の4章できちんと展開されるので、ここではそこまで詳しく論じていない。


  1. ここは、Mitchell et al. (1997)を参照していると書いてるだけで、詳しい説明は省かれている。たぶん、気候変動で将来世代に配慮すべきかどうかみたいな話をしてるんじゃないかな。気候変動の影響を被る将来世代はまだ存在してなくて、彼らの利害は潜在的なものであるけれど、だからといって彼らを無視して二酸化炭素を出しまくることが道徳的に認められるわけではない、みたいな話じゃないだろうか。