【漫画感想】『チ。』

この漫画を最初読み終わったときは、最後の方の展開がよくわからなかった。なんで死んだはずの人が生き返ってるんだろう? パラレルワールドなの? でも、しばらく時間をおいてから読み直して気づいた。最後の方がパラレルワールドなんじゃなくて、最後の方以外がぜんぶパラレルワールドだったんだ。そのことに気づくと、この作品は『ピングドラム』に少し似てると思うようになった。

ピングドラム』は地下鉄サリン事件をモチーフにしているけれど、現実の事件とは直接関係ない。一種のパラレルワールドだ。「地下鉄」「テロ」「宗教」というキーワードによって、現実の事件を意識しているのは明らかだけど、直接関係づけないための慎重な配慮がほどこされている。どうしてわざわざそんな危ない橋をわたるのか。「不謹慎だ」という批判の声が上がってもぜんぜんおかしくない。それでもこのような危なっかしいモチーフが選ばれたのは、現実とフィクションの関係について描きたかったからではないかと思う。フィクションを通すことで、現実に対する別の視点をつくる。フィクションが媒介になることで、現実の重みと距離が身にしみてわかるようになる。他人事を自分事にするのにフィクションが一役買っているという言い方もできる。

『チ。』も、そういう「現実をめぐる視点の切り替え」について描いている作品だと思う。地動説・天動説というモチーフが選ばれたのは、天は地球を中心に回るのか、それとも太陽を中心に回るのか、というのがまさに視点の切り替えをめぐる問題だからだろう。科学史からいうと間違っている記述もあるようだけど、そもそもこの作品は科学をテーマにしているのではないと思う。科学は、宗教、そしてフィクションと並列に位置づけられている。これらはいずれも、人の視点を枠付けたり、変えたりするものだ。天体の運動に関する科学的知見が変われば世界の見方が変わる。神はいるのかいないのか、というのも世界の見方を強烈に決定づける。そして、フィクションはまさに受け手の視点を変えることを主機能とするものだ。

「生の現実」というものはありえなくて、人は何らかの視点に立たないと現実にアクセスすることができない。「現実なんて人それぞれだ」という相対主義的なことを言いたいのじゃなくて、現実へのアクセスの仕方はいろいろある、ということを言っているだけだ。だからこそ、人は矛盾を抱えながら生きることになる。宗教を信じる一方で科学に惹かれたり、逆に科学を「信仰」してしまったり。この作品で感動的なのは、そうした矛盾を抱えた人々のありようや、そうした矛盾の中で行われる決断に関する描写だ。「俺は地動説を信仰してる」「きっと迷いの中に倫理がある」という印象的な台詞は、そうした矛盾を端的に示している。

ピングドラム』とこの作品が違うところは、そうした様々な視点の間の矛盾を原動力にして現実への通路を切り開いているところだ。だから、同じように現実とフィクションの関係を問う作品であるのに、『ピングドラム』の洗練された構成に比べ、『チ。』はものすごく荒々しい。いろんな矛盾を異様な熱量で突っ切っている。その運動は「歴史」という言葉でまとめられる。それは、歴史学者が考えるような、様々な資料によって考証される歴史ではないと思う。「全歴史が私の背中に押す」という台詞が象徴しているように、様々な矛盾がひとりの人間の身体に凝集した何かがこの作品における「歴史」だ。

「科学をダシにして好き放題描いてる」という批判もあると思うけれど、ひょっとしたらそういう批判も期待した上で描かれてる作品なんじゃないだろうか。様々な人々がこの作品をめぐって考えたり議論したりすることこそが「歴史」だという見方もある。そうすることで、フィクションをフィクションの中に閉じ込めずに、現実との通路を作ろうとしたのかも知れない。サリン事件を扱った『ピングドラム』と、第一印象はぜんぜん違うけれど、現実との通路を強く意識している点では似ている作品だと感じた。