ブログ始めて2ヶ月目の反省会

さて、気づいたことをあれこれ書いてみよう。

気づいたこと

論文書いてるときはブログ書けない

  • ブログを書くことは一種の表現だ。普段考えていることや、本を読んでちょっとモヤモヤしてることなんかを書いてみて、アイデアに形を与えるためにやっている。言ってみれば、ブログを書いているときは「クリエイティブモード」なのだ。
  • 一方、論文を書くのもやはり表現だ。書くのはつらいけれど、書き始めてみると見過ごしていた問題に気づいたり、新しいアイデアが浮かんだりする。これもまた「クリエイティブモード」だといえる。
  • つまり、ブログを書くことと論文を書くことってかなり似てるのだ。もちろん、ブログの方が書き方は圧倒的にゆるいけれど、論文だって、下書きの段階ではかなりゆるゆるで書いてる。そうすると、ブログを書くことと論文を書くことは、同じようなリソースを使ってやる作業だということになるだろう。たぶん、脳の同じような部位を使って、同じような脳内物質を垂れ流しながらやってる。リソースが競合してるわけだから、ブログを書くと、論文を書く気が無くなる。逆に論文を書くと、ブログを書く気が無くなる。今週、平日は基本的に論文を書いていて、ブログ記事はあまり書けなかったのだけど、どうも原因はリソースの競合ということだったみたいだ。

2,000字超えると読み返すのがおっくうになる

  • ブログを立ち上げたばかりのころは、5,000字を超える長文記事をけっこう書いていた。でも、いまはなるべく2,000字を超えないようにしている。もともと、読書ノートをつくるというのがブログ立ち上げの目的だったのだ。せっかく長文でまとめても、読み返さないのだったら結局頭脳に定着しない。
  • 本だと10,000字くらいの長さでも気にせず読めるものだけど、ブログで10,000字って結構きつい。そもそもブログって、流し読みするのが前提のメディアだと思う。ブログを読んで面白かったら、そこで紹介されている本とか、なんだったらその記事を書いた人の著書とかを買ってじっくり腰を据えて読む。で、そうやって腰を据えて読んでみると、ブログはあんなに面白いのに、本になると議論のアラが目立つなあ、とがっかりしたりもする。その人の考えをきちんと理解しようとするならやっぱり本とか論文を読むべきだ。ブログはあくまで勉強ノートくらいの捉え方の方が良いと思う。だからこそ、長文だときついのだ。

ブログのネタはだいたいヒゲ剃ってるときに思い浮かぶ

  • それで、わざわざヒゲ剃り中断して、iPhoneメモに謎のキーワードを入力している。手が泡だらけのこともあるからSiriに頼んだらどうかなあ、と今思いついてやってみた。「映像研には手を出すな」とつぶやいたら、「映像手に手を出すな」となってしまったので、役に立ちそうもない。これからも泡だらけの手でフリック入力しよう。

アクセスはあっても無くても書くものの質にあんまり影響しない

  • ほとんどアクセス無いと書く内容がだらけきっていくのではないか、と心配だったけど、そんなことないみたい。
  • もちろん、せっかく書いたのにアクセス0だったりすると馬鹿みたいな気持ちになるけれど、それはそれだ。自己顕示欲を充たしたいのならユーチューバーにでもなって愉快な陰謀論を拡散すれば良い。勉強ノートをつくるという初期の目的が達成できているのなら何も問題はない。

一人称の問題

  • 最初は「僕」とか書いてたけど、読み返すと「何が僕だよ」と腹立たしく感じるのでやめた。でも「わたし」と書いても、読み返すと「はあ、わたしですか。ずいぶんえらくなったものですね」という嫌みな気持ちになる。なので、最近はなるべく一人称を使わないようにしている。
  • もともと、人と話すときも一人称が使えない人なのです。なぜかはわからない。「俺」とか、大学デビューしたとき頑張って使ってみたけど、けっきょく一日しか使わなかったし。

今後の方針

  • アクセス数に惑わされず、あくまで自分のための勉強ノートとしてブログを利用する。
  • 先月は「1記事5,000字以内」という目標を立てていたけれど、「1記事2,000字以内」を目標にする。注はたくさん書いてもいいけど、本文は2,000字以内ということ。
  • ブログをがんばって論文書けないなんて本末転倒も良いところだ。論文が大詰めのときはブログを休んでも構いません。ただ、ずっと離れていると再開する気を無くしそうなので、休日は必ず何か記事を書くようにしよう。
  • 一人称には一生悩まされつづけるだろう。運命を受け入れよ。