【雑文】大事なのは「アイデア」と「ブツ」

わたしは話の長い人がとても苦手だ。

さっきも、話の長い人のいる研究会に参加して、終わったのにまだ絶望的な気分がつづいている。元々その研究会には話の長い人が1人いたのだけど、今年の春からもう1人増えた。しかもその人は、誰かが発言するとそれに必ず絡んできて長い話を始めるというやっかいな癖を持っている。そうするともう1人の話の長い人がうずうずしてくるのか、話が終わると待ってましたとばかりに自分の話を始める。そしてもちろん、その話にまたもう1人の話の長い人が絡んでくる。無限ループだ。春から毎週、わたしはこんな絶望的な数時間を過ごしているのだ。ファックだよ…。え? なになに? 何か言った? てめえ、聞こえなかったのか? ファックだっつってるんだよッッ!!! そんな楽しいやりとりは無いけれど、そんなのを夢見てしまうくらいには絶望している。

研究会で話が長い人の特徴は、豆知識をばらまきたがることだ。たぶん連想ゲーム方式で、ある話題を聞いて思い出した豆知識をぜんぶしゃべってしまうのだと思う。それが余談であることは本人もわかっていて、「これは余談ですけど」といちおう断る。でも、余談をやめようとはしない。やめられないのかもしれない。とくに、文系の研究会だとこういう人が多い気がする。前に農村社会学の研究会に出たことがあるけど、若い参加者達を無視してひたすらおじいちゃんたちの昔話がつづく地獄のような時間だった(結局、若い人たちは全員やめてしまった)。

わたしはいちおう文系だけど、ちょっと理系っぽい研究室で育った。教授は計量系の人だし、准教授は社会工学の人だった。その社会工学の先生は、研究はブツを作ってなんぼ、という発想の人だった。つまり、たくさん論文を読んだりたくさん調査したりして知識を集めるのは研究とは言わない。そんなのはクソだ。そうではなく、アイデアを出すこと、そのアイデアを現実化するようなブツをつくること。それこそが研究なんであって、知識をためこんでくだらんウンチクをばらまくようなのは愚の骨頂だ!! いや、愚の骨頂とまでは言ってなかったと思うけど、まあ、言っててもおかしくないと思う。

結局、連想ゲーム方式で豆知識を振りまいたって、世の中変わらないと思うのですよ。純粋に知識をため込む喜びというのはあると思うよ? だけど、社会科学をやっているのなら、知識をため込んでいてもしょうがない。それでいろんなテーマについて「現状と課題」を整理することはできる。でも、それだけだ。で、専門家同士で集まれば豆知識を交換し合って歓談し、おいしいお酒が飲めるのかもしれないけれど、それがいったい何だと言うんだい。

大事なのは「アイデア」と「ブツ」だ。知識はそれらの材料になるものであって、知識そのものに価値があるわけではない。知識を人前にさらすときは、それがいったいどんな「アイデア」と「ブツ」に結びついているのかを意識するべきだし、そういう結びつきのない知識はガンガン省略していくべきだろう。「アイデア」と「ブツ」を意識しないから話が無限に自己増殖してしまうのだと思う。