【雑文】私は社会とか社会科学とかにあんまり興味ないのだけどね

大学受験のとき学部選びに失敗して全然興味のない学部に入ってしまって、ああもう転部しようかなあ中退しようかなあ、と迷っていた学部3年のころから、私はずっと社会にも社会科学にも興味が持てないままでいる。

こないだ、計量系の研究会に遠いご縁で参加したのだけど、やっぱりこういうの興味もてないなあと思った。分析手法を一生懸命勉強して、寝ても覚めてもデータ分析して、これこれの限界効果はこの通りです、だからこの社会問題に取り組むには政府はこの変数を高めるように頑張るといいと思うよ、みたいな結論が出されるのだけど、うーん、そりゃそういうのは大事なんだろうけれど、そういうのは頭のいい人たちが勝手にやってくれよと思った。

私が社会とか社会科学とかに興味がないのに大学にずるずる残りつづけたのは、へんな先生に出会って彼の下で学位を取ったから。彼は、社会科学を社会に役立てようなんて馬鹿げた話だみたいなことをよく言ってた。つまり、社会ってのは機械ではないのであって、そのメカニズムを明らかにしたつもりになって社会を改善する政策を実施したとしても、ぜったいに想定外のできごとが起こりうる。エリートどもがよかれと思ってやることは大抵のばあい社会に害悪をまき散らすものなのだから、へんなことが起きたときにきちんと立ち止まれる謙虚さが大事なのだよ…なんてことは言ってなかったけれど、たぶんそういうことが言いたかったのかなあと理解している。そこになんていうかブンガクを感じた。ブンガク人間の私としては、社会のメカニズムを明らかにしようという人たちとはあんまり仲良くしたくないけれど、「社会は機械じゃない」と言うための学問だったらやっても良いかなあ、と思った。で、そんなこと考えてる同業者はほとんどいないので、学問の世界ではほとんどの人と話が通じず、ごくごく少数のへんな人たちとばかりつきあってる。学会や研究会後の飲み会ではだいたい壁の花。しかし顔が深刻なのでだいたい心配される。顔が深刻なのは、早く家に帰ってホロウナイトをやりたいからだ。

私がセンとかヒースとかヘルマン=ピラートとかの七面倒くさい議論を頭抱えながら勉強してるのは、彼らが「社会は機械じゃない」と言ってくれてるように思えるから。彼らの言っていることを別な風に解釈する人はたくさんいると思う。たとえば頭の良い人は、センのケイパビリティをきちんと客観的なリストにした方が指標として使い勝手がよくていいよねみたいなことを考える。でも、たぶんそういう風にしちゃうとダメなのだよ。使い勝手が悪いというのがセンのケイパビリティの良いところなのだ。使い勝手が悪いからこそ、「ケイパビリティの専門家」みたいな人が一方的にものごとの善し悪しを決めてしまうのではなく、いろんな人たちが議論に関わることが必要になってくる。そして、そういう議論では計量研究では扱えないようなさまざまな濃い意見が出てくるだろう。濃い意見と濃い意見がぶつかって絡まり合ってにっちもさっちも行かなくなるだろう。そのあたりに私はブンガクを感じる。でも、頭の良い人たちは社会にはブンガクなんていらないと言うだろう。だけどそれでは社会は無味乾燥な機械になってしまうと思うのだよね。で、もし社会がそういうものだとしたら私はそんなものにぜんぜん興味持てないし、いっそ滅びちゃってもいいんじゃないかな。機械なら生きてたって死んでたって死んでるのと同じなんだし。

というわけで、私は社会滅びればいいのにと結論するすれすれのところで留まって社会科学をつづけている。正直、センとかヒースとかめんどくさくってもう読みたくないしいっそホロウナイトのプレイ動画をアップロードするだけの人になりたいのだけど、我慢して読み進めている。なんだかやる気がなくなってきてるので、なんでこんなことやってんだっけ? と再確認するためにぐじゃぐじゃ書いたぜこんな休日。